人は自分の意志や力で生まれてきたわけでもなく、自分だけで生きてきたわけではない。こんな当然のことを意識しないまま生きてきた。そして組織の重要性を、説いてきた。
いな、それ以前に自分の生き方は、どうだ。「俺が、俺が」で通し、それが通らない場合には、人を恨むか挫折感を味わい、落ち込む。誰のことでもない。それがアバウトな自分のである、ということだ。
それが会社という組織を離れ、脱サラこの仕事を始めたことで、知らずして社会という組織に身を投じることになり、しかも仕事上、たくさんの組織をみてきたことで、「そうか。組織って一人で生きられない事を前提に存在するんだ」ということがわかるようになってきた。
その視点で、企業を見るとその現在の問題点、行く末まで見えるし、人の場合でも組織を活かせる人かそうでないかもわかるようになった。その分、自分の我が儘も受け入れてくださる周囲の方々の好意も見えるようになったし、そうした中での自分の役割もまた認識できるようになった。
お互い様、個性を発揮する、役割、分担、使命、仲間、社会、などなど、みんな「組織」の存在を前提として、存在する言葉だ。こう考えてくると逆にそうしたことを否定する在り方、言葉こそ、「生きること」にとっては、危険な、災いを招くことになる。
社会組織(社会システム)の中で、企業組織は存在している。このことを活かすか、否定し孤立して存在するか、あるいは反逆した存在を採るか。このことは、人の体を社会組織とし、正常細胞とガン細胞に置き換えられよう。
後者に属し、がんばっている企業、組織ほど、彼らが頑張ればがんばるほど、自らの組織の死期を早め、人体組織を崩壊させることになる。
そうした企業が、今朝の新聞にも、いくつかか載っている。
今回の旅で、青森の緩やかな流れの下で、唐突のようだが、改めてそうことを考えた。そして、ガン細胞組織体が、やる気あるリーダーのもとで、報・連・相強化、一致団結、内部体制固め、ガンバルゾーなどをやっている怖さを覚えた。
あえて難しく言えば、「社会システムとの有機的結合」、このことを経営理念なり、生き方の柱に据えることは欠かせない、と痛感した。
穏やかな旅の中であったからこそ、こうしたことが透けて見えてみえてきたのかも。
いな、それ以前に自分の生き方は、どうだ。「俺が、俺が」で通し、それが通らない場合には、人を恨むか挫折感を味わい、落ち込む。誰のことでもない。それがアバウトな自分のである、ということだ。
それが会社という組織を離れ、脱サラこの仕事を始めたことで、知らずして社会という組織に身を投じることになり、しかも仕事上、たくさんの組織をみてきたことで、「そうか。組織って一人で生きられない事を前提に存在するんだ」ということがわかるようになってきた。
その視点で、企業を見るとその現在の問題点、行く末まで見えるし、人の場合でも組織を活かせる人かそうでないかもわかるようになった。その分、自分の我が儘も受け入れてくださる周囲の方々の好意も見えるようになったし、そうした中での自分の役割もまた認識できるようになった。
お互い様、個性を発揮する、役割、分担、使命、仲間、社会、などなど、みんな「組織」の存在を前提として、存在する言葉だ。こう考えてくると逆にそうしたことを否定する在り方、言葉こそ、「生きること」にとっては、危険な、災いを招くことになる。
社会組織(社会システム)の中で、企業組織は存在している。このことを活かすか、否定し孤立して存在するか、あるいは反逆した存在を採るか。このことは、人の体を社会組織とし、正常細胞とガン細胞に置き換えられよう。
後者に属し、がんばっている企業、組織ほど、彼らが頑張ればがんばるほど、自らの組織の死期を早め、人体組織を崩壊させることになる。
そうした企業が、今朝の新聞にも、いくつかか載っている。
今回の旅で、青森の緩やかな流れの下で、唐突のようだが、改めてそうことを考えた。そして、ガン細胞組織体が、やる気あるリーダーのもとで、報・連・相強化、一致団結、内部体制固め、ガンバルゾーなどをやっている怖さを覚えた。
あえて難しく言えば、「社会システムとの有機的結合」、このことを経営理念なり、生き方の柱に据えることは欠かせない、と痛感した。
穏やかな旅の中であったからこそ、こうしたことが透けて見えてみえてきたのかも。