経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

全部原価方式的生き方

2006年11月18日 | Weblog
時間を掛けたからっていいものとは限らないが、得られるものに関係なく、これを読んでくださった経営者が、実践し、成果が上がる。確実にあがると自分が納得できる報告書を作る。そうしたあり方の仕事をしている。誇りたくて述べているのではない。

このことを、私(W)側からみて、数字を入れると、投下(OUT)50に対して、回収(IN)が1で差し引き49の赤字、といったことになり、子供でもやらない。

ここからいろいろな展開ができる。
その一つとして、私(W)がこのやりかたで生活していくためにはどうしたらいいか、と言うことがある。もし時間を制約やコストと見なさず、時間コストをゼロとしたら、この-49のほとんどは消えてしまう。パソコンを使って仕事しているからわずかの電気代、それにパソコン他の減価償却費の案分額程度は費用としてかかるが、どうせ仕事をしなくても雑文を書いてかかる費用だし、人件費といっても生きている限り何をしていようとかかるコスト。自分の命の維持にかかるコストを上乗せすることもない。だから限りなくコストはゼロに近くなる。ならば-49は、こうした仕事を50やれば1の黒字に持って行ける。この1で、夫婦二人が生活できればいい。これを全部原価方式の考え方である。そしてもう一つ。これは仕事をした方、私(W)からみた会計上の採算である。

経済行為には、必ず相手がいるから、今度は受診者(G)から採算をみてみよう。
1の投資で50の成果を得たとしたら、Gは49の得である。
Wは私だから1人、だがGはW以外だから、世界の人口-2(夫妻)いる。
そのおびただしい数のGは、1の投資で50の成果を得る経済行為に対して、投資をするかしないかの意思決定、すなわちどちらを選択するか。
これはGからみた会計上の採算である。

 家庭を忘れ、仕事の粗製濫造を厭わず、がんばってきた私が、そのあり方に疑義を感じ、このあり方に転じたのは、なにも殊勝なボランタリー的精神が芽生えたためでもないし、年齢を重ねて人間が変わったためでもない。
これは私のしたたかな野望と戦略、計算である。それが、私が提唱している消費者中心主義(G)から判断したらどうなるか)の理論の根本になった。自分でやらないことを自分の理論として人に説くことは愚であり恥である。

私は、仕事、時間や生産性、採算性という概念すら抱かない。だから1時間で仕上げても1週間掛けても、それは私(W)の問題で、Gには関わりないこと。Gの意思決定による私への投資が、Gの期待を高い方に裏切れるものを「創ること」。それが私の生き方である。そしてWの仕事である。これを全部原価方式が裏付けしてくれている、と確信している。Wをあなたの仕事、事業に入れ替えて考えていただければ、うれしい。