経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

私はちっぽけなお店に助けられている

2006年04月28日 | Weblog
爾来、小は中になる前の前段階、中は大になる前の通過点といった意味で中小企業をとらえ、弱者保護という観点が中小企業対策の中心思想であった。これすなわち、「弱者は救ってやらねば生きていけない」。
 吐き気がします。

「君は俺の援助なしには行けていけないのだ」
と、人から言われたら、喜びますか。嬉しいですか?

 郊外にはメガ・スーパーセンターなどがでて、商店街はナカヌケ。その中で、こな小さな店のままでいけるのだろうか、中小企業は生き残れるのであろうか、といった不安はある。ない方がむしろおかしい。

 事実、郡部の殆どは、商業統計がでるたびに中小店での購買率は低下し店舗数も激減していることは事実である。危惧は理解できないわけではない。

 しかし、たとえば4人以下の商店数が減少していることは、必ずしも「消滅」という暗い側面だけではないのだ。なぜか。声高らかに言いたい。

 「中には消滅どころか店を大きくし従業員が増え、統計上の1つや2つ、ランクアップした店も多くある」と。

 詳細に現場をみれば、こんな例いくらでもある。統計は、必ずしも現実を捕らえていない。その場合、優先すべきは統計ではな句、現実なのだ。

「大駐車場を持つ大型専門店とSC(ショッピングセンター)が充足したら、中小店の役割は買い忘れ補充、近いだけが便利だけ、それもコンビニエンスストア(以下CVS)が果たしてくれるから中小商店は不要」といったように、危機感をあおるタイプのコンサルタントもいる。「だから頑張りなさいよ」と好意的に受け止めたいが、その彼らがいうCVSですら中小商店の明るい一面の一つではないか。

 あんなちっちゃな店でも、やり方ではやっていける、いいモデルとして見るとらえ方もあるのだ。

 中小企業不要論者が「元来商店は、地域社会を構成する住民への利便性を求める二一ズがあり、その利便性をより幅広い形で充足してくれる大型店には、いわゆる“包み込みの理論”により存続をゆるされない」といったことをいう。

 これも論理的に理解できるのは前半だけ。「ではCVSは包み込まれないのか」。私の質問に、某カリスマは答えられなかった。論理矛盾,実態無視の論。

 なぜか、大であろうと小であろうと、現状に対応していく姿勢があれば、知恵が出る。人間の力はすごい。それが次々新しい業態を生んだ。CVSもその1つ。

 だがもっとすごい現実がある。
 もう一度、手許の商業統計をみて欲しい。
 消滅した数と残っている数とどっちが多いのか、確認してみて欲しい。圧倒的な数の中小商店が、どうどう現存している事実があるではないか。どうして消滅した方を見て、残った方を無視し、あるいは彼らを今後の消滅予備軍とみるのか。

 そうした論者は、そのことに気づかない、無知か、なにか意図があってのことか。堂々生き抜いてきている中小商店に失礼だ。

 行政人口が減少する中で、一握りの人々に支えられて生き抜き続けていること。 何度でも繰り返す。すごいではないか。私は、そうしたけなげなお店を見ると、涙が出てくる。誇りに思う。

 それは「大には大の、中には中の、小には小なりの機能と使命がある。それぞれの規模においてその機能と使命を果たすことで小といえども堂々と存立できる」
 と、ただひたすら25年間も主張してきた私の心の支え、生きてきた証にもなるからである。彼らの存在がなかったら、とっくにまた元のサラリーマンに戻ったか、挫折して年金待ちの生活をしていたに違いないのである。

 「有り難う」と、過疎の町を歩くたび、ちっちゃなお店に頭を下げている。