経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

甘い芥子

2005年05月03日 | Weblog
脳力開発のセミナーで、必ずお話しすることですが、行動するとうまくいくか、うまくいかないかの2つのうち、どちらかである。これは10円玉を投げると、表か裏か、どちらかがでる。それだけの話だ。だから失敗という言葉はなじまないのだが、言葉の都合上そういう記号を付けた、とみたらいい。
 
 ここでは失敗を、私が好きな芥子と呼ぼう。芥子そのものには何の問題もない。ですが芥子を辛くないようにしていくと、それは大きな問題になる。(択一の対象から外れてしまう。このことは存在そのものの否定になる。詳細は省く)。二度と立ち上げれないものになる。

 S工業の塩さん、ヤオゼンブのWさん、それにITの、板意さん等々の共通は「失敗を売り」の講演を大手セミナー会などではじめたこと。
 最初は芥子でしたが、だんだん甘い芥子になって、やがてその芥子の苦みは無くなってきた。もうだれも、そんな芥子など必要としなくなりました。

 自分の大切な芥子は、自分の中で、一番辛いときのまま保管しておくべきだった。それでこそ芥子の値打ちがでようというもの。だが、それに耐えきれなかった。

 喜びは拡散しなければ、妬みを招きます。
 辛さは保管しなければ、奢りを招きます。
 
 自分で保管し、臥薪嘗胆として一人で、時折嘗め嘗めしてこそ、芥子の値打ち。
 辛い話は、みな頭を縦にフリ、ときには額にしわを寄せ、ときには涙を流して同調してくれ、それは甘美すら生みます。
 しかし、心は別の所にあります。(ブログのどこかに書いています)。

 人は人の不幸で幸福を覚え、人の幸せで落ち込むもの。これは自然なのです。お風呂に入ってなぜ、暖かく感じるか。自分の体が冷えているからですね。コレと同じです。

  絶対幸せは、神の世界だけ。人は哀しいことですが、相対幸せなのです。

 ここで冒頭に戻します。やれば、うまくいくかいかないかどちらかだ、と言いました。
 では、うまくいかないことをおそれて、やらなかったら、という問、疑問があります。
 多くの人は、やったらうまくいかないこと(失敗)を恐れ、案じ、メンツをイメージし、「やらない」。

 やらないことこそ、繁栄の原則の反対概念、生の反対概念、滅、死を意味します。
 これでおわかりでしょう。失敗は、繁栄の範疇、生に内包されもの。
 
 芥子の苦さは生きている証。
 これが苦くなくなったのは、芥子が甘くなったんじゃない。
 あなたが、甘くなった証。無意識に死を選択している証。