経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

明暗を分ける

2005年03月26日 | Weblog
 どこにも必ずといっていいほど、「良きリーダこそ地域活性化の決め手」とか「うちは,良いリーダーいないからだめなのだ」といったことをしたり顔して言う人がいるものだ。つまり自分をあっちに置いてといての「リーダー待望論」なのである。

 彼らは,自らリーダーになることなど、微塵にも思ったことはない。謙虚さからではない。常に傍観者でいたいからである。批評だけしていればいい評論家はいごこちがいい。
 いや地域や自社のことすら他人事としてかみない、某政治家Hの如く、帳客観者といっても過言になるまい。彼らは,どんな話にも理解したかのようなふりはするが、所詮他人事。自分が関ることは一切ご免である。

 だからそうした人たちにとってリーダーは,常に自分以外の他人でなければなならない。こうした、各地,各所には必ずいるといってもよい他人依存,無責任の体質こそ,地域活性化にとっての隠れ癌、と考える。
 
 仕事がら、いろんな会社の朝礼や会合に出ることがあるが、どの会社も社長が判で押したように自ら暗い話題を積極的にしているのに驚く。
 当人は、危機感を煽っているつもりかもしれないが、聞かされている社員は、そうは受け取らない。「なんと暗い社長だ」と思うぐらいならまだまし。大半は「こんな先々見通し暗い、しかも社長自ら潰れそうだといっているような会社はごめんだ」と、まず先見性のある優秀な社員から率先して、リストラの対象となっている。
 
 微かな明かりをもつ一握りのリーダーをも失った職場は、より暗くなり、ますます業績悪化してしまうのは当然である。
 
 今必要なのは、先へ向けての「明かり」を掲げることである。周囲が暗ければ暗いほど,見通しがきかないところほど、小さな明かりで明るくなるのではないか。
 明るい所ではろうそくの明かりは目立たないが,暗闇の中では力強い光明になる。人々の希望になる。チャンスなのである。
 
 小さい明かりが目立つということは,地域社会にとってチャンスである。それはまた中小企業のチャンスなのである。
 だから暗いからといって誰かが明かりを灯して呉れるのを待つといった他人頼りでは、だめである。誰も示してくれなかったらどうなるのか。死して待つというのか。
 明かりを灯すことを他の人に期待してはいけない。リーダーは何処の誰だろうかと、キョロキョロ周囲を見回しても駄目である。リーダーは他人ではない、自分自身であることに気付き、自ら明るい光明を掲げることなのである。
 
 主体性を確立しているリーダーであるか、そうでないかが、地域、企業の活性化の明暗を分けるといってよい。