経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

じゃっどん経済問答 その1

2005年03月08日 | Weblog
Q-1:素朴な質問なんですが、

 公的資金の注入といいますが、あたかも国民の税金を銀行に贈与しているような報道に感じるのですが、ホントはどうなんでしょうか?私は出資みたいなものが殆どで、売却できればかえってくるものと思っているのですが、違うのですか?

A-1:現実は、銀行はトンネルみたいなモノで、銀行の焦げ付き融資先に流れるわけですから、まずかえりません。

Q-2:国債が多くて日本は倒産寸前だというのですが、僕の周りには国債をもっている人は多くありません。(相続税の申告をしていると、お金持ちは持っている人もいますが、そんなに多額ではないような?)
 いったいだれがもっているのでしょうか?僕は中期国債ファンド等になっているものもあるけど、多くは銀行等がもっているのではないか?と思うのですが??

A-2:さすが。すごい着眼点です。持ち合いという言葉ありますよね。概念的には、それやっているのです。政策的に国同士での持ち合いもある。

 主として銀行、財界、政府系特殊法人、息のかかったところに、実質的な割り当てで流しているのです。それを、またそれぞれが下請けなどに割り当て流し込んでいる。
大義名分としては、安定株主の概念と同じ。外国人に購入されるのが、國としては一番いやなわけですね。利回りが良いときはともかく、今はみなこのババを、いやがるわけです。

Q-3公的資金、国債が多いとどうしていけないのでしょうか?一般企業でいう借入金とは異なると思うのですが?

A-3國の借金の、貸し方(でしたっけ)は国民の債権、という論理、よく麻生太郎さんが使っていますね。しかし、これは、インフレー基調であること。それに國は絶対滅びないという2点を前提にしています。。高い利息をつけて釣って、返すときはインフレですと、チャラ以下になり、国はホクホクです。デフレですと、金利は安いから借り手はいやいや。償還するときは国には金がないかもしれない。それに國が返す頃には、値打ちが上がっているわけですから、国は償還を嫌がり、借り換えを勧める。こういうことは見通し済みですから売れないのですね。
 このことは、私が持っているお金を女房にわたす。それで私は小遣いもらう。この商取引で田上家の資産が増えるわけはない、いわゆる花見酒の論理。そうこうしているうちに、貨幣価値が上がる。これは国から見たとき紙をお金で買い戻すのと同じことになり、悲劇です。。

 また国家と国民の取引自体をいくら繰り返しても國や民を富ますことにはならない。それだけでなくその間,他に投資して稼げる取引の機会を逸していること(機械損失)になりますから、経済行為から見たら、実態は大いなるマイナス、私は滅びの論理といっていますが、この悪魔のサイクルに、今日本はこれの入り口にいると危惧しています。
 
 取引としては、一般企業のそれと國の場合とは、おなじだと思いますが、その規模の違いと花見酒の経済になるということで、ご指摘通り、全く異なります。

 公的資金は、注入されるほうのメンツ,信用、それに国家権力に支配されるというような漠然とした恐怖といったことも大いにありましょうが、やはり「そこまで悪いのか」というレッテルになってしまうことを一番嫌がっているのではないでしょうか。2に、見返りりにこれまでの経営責任と改善を迫られる。この2点がいやなんだろうと思います。

  でも本当はほしいので、1.2.3.みんないっせいに赤信号なら、応じるということできまるのじゃないですか。いやいやながらというポーズをとって。(笑)~続く