経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

どちらが?

2005年03月01日 | Weblog
 晴天で気持ちのよい日曜日、多くの人々が戸外でレジャーで楽しんでいるとき、狭い教室で健康や成功のセミナーで熱心にメモを取る者もいる。

 どちらがほんとうなのだろうか。どちらがズレているのだろうか。
健康な子供は坊主の説教を嫌う。大好きなものをプレゼントされた子供は、にこっと笑って夢中で包装紙を破るであろう。それが嬉しさというものである。それを「感謝、感激、神様と仏様にお祈りしたおかげです」といったとしたらどうだろう。

 妻が、トイレ掃除を自慢したり,洗った茶碗の数を人に言ったり,記録を誇ったりしたら、どうだろう。

 日常の凡事は,健康な子供が,健康食品に関心がないのと同じで、口に出すこと自体,不自然なのである。不自然さから生まれるものは,不自然なもの。すなわち災いをなす。

 私に感覚のズレがあるとしたら、それは首の骨のズレと同じで必ず痛い思いという災いを招いている因となっている。これはあくまでわが身が招いた災いであって世間や他の人の責任ではない。
 

一見客商法

2005年03月01日 | Weblog
博多空港ターミナルでのこと。これから青森へ発とうというのに、朝から食事をしていなかったので、入った店。貼り紙に、「うまい、出来立て、手打ち、秘伝のだし」とある。こうした店はまず強調されていることの逆が事実だ。なぜならうまければうまいと強調しなくても流行るからである。だからこういったことを常設の看板に打ち出している店で看板どおりのうまい店はあったためしない。このことを確信したのは、もう8年も前になるが、瀬戸の大橋の某ドライブイン。看板にだまされ注文した肉うどんは、箸を付けたまま食べれなかった。それでも行列であった。新聞のコラムにも書いたこの店、とっくにつぶれた。こうした貼り紙を書くのは、意識的、無意識的に店主が、この3点に弱点があることをどこかに認識していることが多いのだ。弱みの補強をと抜書しているのである。惰性の場合もあろう。まさか「まずい、作り置き、市販の出汁(だし)」とは宣伝できないから。

 ところが一度どこかで、こうした経験をした消費者は、建前翻訳機で、「うまい、出来立て、手打ち、秘伝のだし」を「まずい」、「冷凍、作り置き」、「安上がりのだし」と、本音に訳すからリピートが効かない。

 それでもしばらくは繁盛するのは、まさに立地と条件に恵まれているからだ。繁華街、観光地、ターミナル、などなど、入り込み客に対して、相対的に店が少ないところでは、どこも行列だ。満席である。一見のお客が多く、しかも時間に追われている。長く並ぶより、すぐ席に着ける暇そうな店を選ぶ。その結果「いいや、とにかく腹におさまりゃ」といった客が行列せざるを得ないおかしな現象が起きる。

 そうなると店主はうまさより、早さを優先する。もっと勉強している店主は、早さに加えて、まずさを狙う。なぜか。まずいければ残す。だから量を落とせる。その結果原価率は落ち、客回転が増える。よく勉強しているのだ。

 これは作り話ではない。私が実際、例の瀬戸の大橋のうどん屋の親父から聞いた、「客回転を上げ利益が取れる秘中の秘伝」なのだ。

 他にも彼らなりのコツがある。看板、店が構え、つまり外から見える部分は、それなりの専門店らしく演出する。一元客は外面で」判断するからである。これは繁華街のバーが客引きに美人を使い、店内はばあさんと恐いお兄さん、というノウハウと同じである。

 さてこの店、あつあつうどんの出来立てだが、部分的にひやっこい部分が残っている。レンジでチーンで解凍した1人分の麺を、どんぶりに盛り、あついつゆをかけ、トッピング載せれば、時にはこうなる。ちなみにこの店は2階だが、下の1階にあるスパ&喫茶の店に、閉店前に行くと、一人前ずつ袋に麺を入れ、冷凍庫に入れる作業をお客の見ているところで実演している。そして翌朝行くと、それがチーンで、でき立てとして出てくる。ここも同じなのだ。

 若い私、診断士は、「こうしたリピートが効かないお店は長続きしませんよ」とアドバイスする。だが、彼らは内心、そうした世間と実態を知らない先生を笑っている。
 「あんたらは、ばかやんけ。がぼっと最初に儲けて、すぐつぶれる。ええやないか。それでまた名前変えて出す。そのくりかえしでゴーイングコンサーン。これがわてらの経営戦略。それ、せんせ、いうはる長続きする経営やんけ。これらがわてらが苦労してつかんだ商売のノウハウちゅうもんやんけ。」

 名付けて「一見客商法」。彼らなりに「一見客の専門店」のノウハウを確立しているのである。