JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

広島、原爆記念日

2017-08-06 16:58:36 | 日記
 8月6日 毎年青空が広がる朝を迎えることが多い日で
すが、ことしはあいにく迷走台風5号が鹿児島の南で方向
転換して北東に向きを変えたため、朝から雨が降ったり
やんだりの天気です。そのため気温も外気は26度ほどで
す。
 大分ではこの日小学校では平和教育といって登校日で
戦争についての教育が行われています。
 この平和教育というのは全国的にやっていることかと
思っていましたが、もう行っている都府県は少ないとか。
 さすが日教組が強い大分ならではのことらしい。

 いまさら起きてしまった歴史を書き換えることはでき
ませんが、最近になって改めて分かった原爆の開発の歴史
を書いた書物を読んで、折角多くの人知を集め出来上がり
実験に成功したと聞いたトルーマンとしては実戦に使って
みたかったのだろう。
 後から早く戦争を終わらせるためとか、多くのアメリカ
の若者を救うためとか理由を聞かされていますが、もう毎
日の焼夷弾のじゅうたん爆撃で多くの都市部が焼け野原に
なっていた日本はアメリカの若者を死なせるすべもなかっ
た現実を知っておきながら、できたばかりの原爆と使用し
て、スターリンのソ連を落胆させたかったのでしょう。

 戦後その設計図はソ連のスパイによってソ連に渡り、そ
の設計図を基に作られた原爆実験にソ連も成功し、核保有
合戦に突入するというのが戦後の歴史です。

 原爆の後は草木も育たないと聞かされてきましたが広島
長崎の戦後の早い復興を見ていると、環境への放射能被害
というのはいまだはっきりしない感じがします。
 もちろん多くの人が放射線を浴びたことによる障害で長
いこと苦しみ、なくなっているのは悲しいことです。
 私自身、1943年まで広島市横川町に住んでいました。
 親が出征し、広島県の北部の田舎に疎開していて、原爆
に合わずに済みました。

 放射能の中和装置がイスカンダルにはあるという話です
が、未だ持ち帰ることができないですね。
 早く中和装置を誰か開発してくれれば、東京電力の廃炉
作業も楽になるんでしょう。
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