JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

ヘルシンキ オリンピック

2017-08-07 10:05:06 | おもいで
 ふと昔のことを思い出します。
 戦後始めて日本が参加したオリンピックが1952年の
ヘルシンキ オリンピックだったんですね。

 終戦後食うものもなく、今思えば4人の子供を養うため
都会地に住んでいた親は食べ物を手に入れるのに、農村地
へ買いだしに行く苦労をしていたのをみておりました。
 
 父親が新しいものが好きで、5級スーパーラジオを買っ
てきて、「君の名は」が始まると近所の人が聞きにきてお
りました。
 わたしは夕方始まる子供相手の時間で「新諸国物語」や
「鐘の鳴る丘」「ジロリンタン物語」など夢中に聞いてい
たものです。

 戦後子供ながらに大興奮したのが古橋広之進の活躍でし
た。
 なんたって1500m自由形で18分19秒0の世界新記録は印
象に残っております。

 ヘルシンキ オリンピックでも活躍を期待し、ラジオを
聞いたものです。
 もちろん当時は短波で送られてくるものを中波ラジオで
聞いていたのですが、短波の伝播状況は良くなく、いまで
こそあれはフェーディングの影響だったといえるのですが
大きくなったり弱くなったり、時には雑音が入る実況放送
を固唾を呑んで聞いたものです。

 そして1500mの結果は橋爪選手が2位銀メダルで、やはり
絶頂期を過ぎていた「フジヤマのトビウオ」は400m自由形
で8位に終わったのでした。

 NHKのスポーツアナウンサーではやはり志村正順アナが
好きでしたね。
 野球放送で解説者第一号の小西得郎さんとのやり取りが
思い出されます。
 後になって知ったのですが、大相撲の実況放送で解説者
として神風正一さんをスカウトしたのも志村アナだったそ
うです。
 もちろんTVなどなく、ラジオもNHKだけという時代でした。
 いまだにTVよりラジオがすきなのは小学生の高学年から
中学生のころをラジオとともに過ごした影響なんでしょう。
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