JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

RAEM記念局ばかり

2013-12-21 11:12:40 | 無線
 暮れに入りこれといったペディションもないのでも
っぱらRAEM記念局とQSOしております。
 AWARDの対象になるポイントはなんとかできたとよう
です。

 
 JL6USDさんのBLOGに感化されてやりはじめましたが、
やはり国内対応の運用が多いためかコールをロシア語
でアナウンスしたり、Digi Modeにも盛んにサービスし
たりとアクティブですね。

 RAEMと言うコールサインはNKDXCのメンバーのJA6BGA
さんがその会報1000号の記念誌にも書かれていますので
良く知っておりました。
 BGAさんが1965年にソ連を旅行されたときに無線連盟
の本部を訪問された折に偶然会うことができたという
貴重な経験談を書かれております。

 昔ソ連の局と交信してQSLをもらうとMAERの顔が印刷
された規制のカードにコールサインをスタンプでおした
カードをたくさんもらったことがあります。
 BGAさんの記事によればRAEMクレンケル氏は北極探検
の通信士として活躍、その功績から「ソ連邦英雄」の
称号をうけ、初代の連盟の会長に選ばれるとともに、探
検で使われたRAEMの特別コールを付与された人物だそう
です。ソ連の多くの人に尊敬された人でしたがその後
1971年68歳で他界されたそうです。

BGAさんの記事には無線連盟の玄関先で写った記念写真
が添えられており、女性事務員、そのときの連盟会長、
若かりし日のBGAom,RAEMの4人が並んでいます。
  RAEMと並んで写真に写ったJAの無線家は珍しいと思
います。
 当時は海外旅行も一般人には外貨割り当てが難しい時代、
まして共産圏のソ連に旅するなんてアマチュア無線家は考
えもしない時代だったと思います。
 
 クレンケル氏に「君はこの連盟を訪れた最初のJA局だ」
と言われたそうですが、1965年と言えばまだ私は従事者
免許は取得しておりましたが、まだ開局していないとき
ですからおっソロしく昔のあの時代にソ連を旅されたBGA
さんの勇気に頭が下がります。こういった貴重な経験を
されているのはOMならではですね。

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