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【COGHCC聖書通読】 2019/04/28

2019-04-28 23:50:31 | 一日一章・聖書通読日記
ヘブル人への手紙 11:1-3

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰の本質とは何かについて、過去の信仰の偉人たちを例に挙げて、詳しく説明しています。そして信仰とは、目に見える、手に取ることのできる現実に望みを置くのではなく、私たちの目には見えない、まだ形にもなっていない霊的な世界に目を向けることです。そして現実の世界は霊的な世界で成就したものを、映し鏡のように、神の御言葉によって現れ出て来た結果です。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.1-3.ja1955

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ヘブル人への手紙 11:4-7

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

ここからしばらく、偉大な信仰の先達たちの事例が挙げられています。最初の人アダムが出てこないのは、彼の不信仰の故に罪がすべての人類に入り込む結果となったからです。しかしアダムの息子アベルは、最初にこの地の産物の最も良きものをもって神に礼拝を捧げた人であり、エノクはこの世の生涯を通して神と共に歩んだ人であり、ノアはこの地に罪が満ちた時代にも信仰をもって神のご命令に愚直に聞き従った唯一の人です。罪の支配するこの世界において、神に覚えられる者とは信仰によって歩んだ人です。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.4-7.ja1955

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ヘブル人への手紙 11:8-16

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰の父と呼ばれるアブラハムは、神の約束の御言葉を信じ、まだ目には見えない神の祝福に希望を置いて、行く当ても知らずして、何の保証もない約束の地への旅立ちを決断しました。罪の支配するこの世に生きる私たちは、あたかも寄留者のように、祝福を求めて旅する人のようです。そのような泡沫の人生の中で、神の祝福の地、永遠の安息が約束された天を目指して歩む私たちもまた、この世においては何の保証もありません。しかし神の約束の御言葉に寄り頼み、信仰によって一歩踏み出す者だけが、神の約束を自分のものとすることができますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.8-16.ja1955

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ヘブル人への手紙 11:17-22

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。 信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。 信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

アブラハムが約束の子イサクを神に命により捧げようとした行為は、表面的には子殺しの重罪ととらえられるかもしれません。しかし約束の子イサクを神に捧げようとするほどに徹底して神の御言葉に聞き従ったアブラハムの行動は、結果をすべて神の手に委ねる信仰によるものであり、たといイサクを失っても、必ず約束を守られる神は再び戻してくださるとの確信に基づくものです。その信仰は、神の一人子イエスの十字架における死とよみがえりの予表でもありました。その後にも神の不思議な選びの法則は子孫に受け継がれ、イサクから弟ヤコブが選ばれ、ヤコブからは11番目の子ヨセフがイスラエル民族を救うためにエジプトに下ることになりました。天地万物の造り主、全知全能の神にその名を覚えられる恵みを想い、その信仰の系譜に自分の名が記されていることに感謝する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.17-22.ja1955

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ヘブル人への手紙 11:23-31

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。 信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、 罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、 キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。 信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。 信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。 信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。 信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。 信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

神のご計画により一度は約束の地からエジプトに下り増え広がったイスラエル民族は、奴隷生活に苦しむ声に答えた神に対する信仰によってエジプトを出立し、モーセに導かれて再び約束の地に向けて旅立ちました。しかし神の約束を疑った不信仰な者、神に向かってつぶやいた者は、ことごとく荒野で死に絶えてしまいましたが、この使命はモーセからヨシュアに受け継がれ、荒野の旅路でその信仰を練りきよめられた信仰の人々は、約束の地に入ることができました。ここでエリコの町の住人だったラハブについて、信仰によって滅びを免れたことが記されていることは注目に値します。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.23-31.ja1955

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ヘブル人への手紙 11:32-40

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。 彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、 火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。 女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。 なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。 あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、 (この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。 さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。 神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

ここまで信仰によって生きた旧約時代の信仰の先達たちを例に挙げて説明してきましたが、多くの者はこの世においては約束された神の安息、まことの救いを受けることなく、むしろ信仰の故に受ける迫害に遭い、苦しめられてきました。彼らが心待ちにしてきたまことの救いは、キリストの十字架の購いの御業によってはじめて、私たち全人類にもたらされたものです。旧約時代の人々が手にすることのできなかったまことの福音を受けることのできるさいわいに感謝する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/heb.11.32-40.ja1955
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【今日の聖句】 2019/04/28

2019-04-28 06:50:16 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 16:33 新共同訳

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

私たちがこの世に生きる限り悩み苦しみは絶えませんが、キリストにある平和を得ている私たちは、いかなる苦難も試練も乗り越える神の力に支えられていますから感謝いたします。この世に勝利されたキリストが共にいてくださる恵みを確信し、勇気を出して、人生の荒波を乗り越えて進む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.16.33.新共同訳
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