佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

夢にまで見た宇治群島へP-8 

2013-02-13 18:23:59 | 釣り界の歴史

この頃から、雷鳴しきり、それにポッポツ雨も落ちてきて、風が次第に強くなる、折角喰いが立ってきたのにと残念至極だったが、早々に切りあげて船に戻る。

船頭も2貫2百ぐらいのを1つ上げていた。

 

船の生け簀を開けて覗くと、石鯛やクエが、運命を達観したように悠然と泳いでいる、誠に

壮観であった。

さて、船は錨をあげて一路阿久根へ向かったものの、夜半にいたって強風豪雨の完全なシケ模様と

なり、船はピッチング、ローリングの猛烈な揺れ方、島影から島影へ風を避けて逃げ回り、やっと

安全な湾に入ったが、その間、伝馬はロープが切れて流失、その上海水漏れが甚だしく、到底寝て

おれない。

夜が明けても、シケは一向に静まる気配もなく、午後の2時前になって漸く雨が止み、風も少し

おさまった。

それで直ちに意を決して出発、7時間ばかりも揺れに揺れて、やっと午後9時近くて手打の島の灯りを見ることが出来た、その時の嬉しかったこと。

組合の人や旅館の人々が大変心配してくれて、波止場にまで迎えに来てくれた。

その夜は手打に1泊、翌朝は幸親丸で、阿久根まで送ってもらう。

トロ箱5つに魚と氷をつめ、大あわてに慌てて、霧島に積み込み、それからスシ詰めの車内に乗り込んだ、後で、宇治群島のあの時の大釣りのもようを、いくども思い出してみようと努めたが、記憶がそこのところだけが空白で、どうしてもハッキリとは思い出せない。

ただ無性にしんどかったことが記憶にのこっている。

やはり石鯛釣りの愉しさというものは釣れたり釣れなかったりする確率の少なさにあるようで、あんなに滅多やたらに喰いついてきては、苦しさだけがあって、スリルも期待もギヤンブルめいた愉しみもあったものでない。

そこが大もの釣りと小もの釣りの違うところだろう、要は、モノはホドホドに、ということだ。

それに、また考えてみれば、こちらでコツコツ釣っておられる人に対しては、、あのような荒稼ぎは、

まるで射的競技に機関銃を持ち出したようで、甚だ申し訳ない気がする。

何か折角のレースの面白味をブチこわしたような気がしないでもないないので九州での記録を私の

それから抹消して下さっても一向に差し支えがない。

余りに釣れないが故にこそ、石鯛釣りは面白い、遅まきながらそう悟れたことが、今回の遠征の最も大きな収穫で会った。

 

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