佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

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大阪府内水面漁場管理委員会報告 

2010-04-27 21:28:36 | 釣り界の歴史
4月26日、委員協議会が大阪府公害審査会室において開かれました。

今回は長田芳和委員からの報告です。長田氏は大阪教育大学教授(動物生態学)で主に平野部の淡水魚の研究と保護をやっておられます。

今回は「川と魚の子供文化」と題して書かれたものについて話されました。ギギという魚の生態をまとめられたものですが、水中ビデオでこの魚の色々な動きから産卯までを撮られておられます。ビデオを見せてもらっての話でしたが、ここにあらわすことができませんので、書かれた文を何回かに分けて載せます。

私は鳥取県の大山のふもとの村で生まれた。棚田の中にある集落で、どの道を下っても日野川に突き当たる。そこらへんの川幅は100mに近く、その浅瀬、深場、急流、緩流が具合よく散らばっている。

夏は子供たちの水泳場となるわけで、高校生から小学校低学年までが互いに見える範囲で思い思いに1日を過ごす。そうしながら危ない場所を覚え、高学年になるとそこを制覇して次の危ないことに挑戦する。しかしあの川で死んだ者はいない、兄貴分は遊びながら低学年の挙動を目の端に捉えていたのである。

川遊びで何と言っても面白いのは魚とりであった。8番線(太い針金)と竹と自転車のチューブを用いた手作りの1本ヤスで採るウナギ漁は最高・・いっぱい書きたいけれども、あの感触は筆舌に尽くせないのでやめることにする。

その後紆余曲折の末、関西での25年間は川と魚に戻ることになってしまった。子供に返ったのと同然で、気の向くままに網を打ち、潜り観察してきた。

ある日、ハッと気がついたことがある。故郷で過ごした子供時代の川と魚に関する文化はすごいものではなかったのか?。なぜならば、あの川の魚を全種とも識別し、名前を呼んでいたから。淡水魚の分類が一通りできるようになった今、子供ながらに地方名であるけれども、ざっと18種類をよび分けていたことがわかる。

種類の識別点や呼び名をいつ、誰に聞いたか全く覚えてないが、学校の授業でないことははっきりしている。地域の中での伝承以外にはない。遊びの中で覚えてしまったのだ。今でもその名前は言うことができる。

ドロバエ(標準和名:タカハヤ)、ゴジョウシ(カマツカ)、チョッカリ(アカザ)、イシボッカ(ヨシノボリ)、クソボッカ(ドンコ)などすらすら出てくる。

もっとすごいのは、それぞれの種類がいつも多くいる場所や動き・習性、そして捕獲の方法も手触り、匂い、味も、つい最近のことのように思いうかぶ。これは何だろう、こういうのが身についた知識なのか、はたまた知恵か、故郷を遠く離れて37年、その年月を超えて心を揺るがす地域の文化のエネルギーの偉大さを思い知る。

去年は、春から初夏にかけて紀ノ川水系の川によく出かけた。目的はその途中の色々な果樹園を縫うように山から流れ下る小河川に生息するナマズ科ギギの生態をビデオ録画するためであった。

ギギは夜行性で、日中は岩下など暗い所に潜む。地図で探り当てた川に本種が生息するかどうか、水中ビデオカメラで岩下を探るわけであるが、近所の人からの聞き込みも行う。答えはすべて「以前はようけおったけど、今はおらんのと違うか」日本各地でこの返事に出会った。

しかし、川に入って調べると大抵は少ないながらも生息していた。「先生はこの様にして調べていかれてます、続きはまた書きます」

<昨日・今日の出来事>

日曜日、久しぶりに釣りに行ってきました。今日は一日走り回っていまして友人の見舞いにいくのが出来なかったので明日行くつもり(脳梗塞になったとのこと、少し心配だ)。
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