佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

だぼ鯊のたわごと

2021-05-16 19:45:40 | 釣り界の歴史

八木さんからこのだぼ鯊のたわごともいよいよ終盤デスとのことですが、まだ残っているのがあるように思えますので・・・

昨今は目をおおい、耳を疑うさまざまな事件、事象が矢継ぎ早です。もう5年も前の出来事になりますが、釣り人として看過できない「波止からの突き落とし事件」というのがありました。事件直後に心ある釣り人が、ブログで不測の事態に備えて波止の釣りでも救命胴衣を、と警鐘を鳴らしておられたのが印象に残っています。

 

 釣れますか などと文王

   そばにより(江戸川柳)

 

 「波止からの突き落とし事件」の概要は、平成二八年(2016年)九月一九日早朝、泉南の波止で友人と釣りをしていた中学2年の男子生徒が、十代とみられる少年に海に突き落とされ、その一時間後、別の波止で釣りをしていた男性会社員(五六歳)に十代とみられる少年数人が「釣れていますか」などと声を掛け、いきなり男性の背中を押して海に転落させ逃走。幸い突き落とされた二人の釣り人に怪我はなく大事に至らなかった、というものです。

 

 だぼ鯊がこの事件で思い出したのは、「釣れますか などと文王そばにより」の江戸時代に詠まれた川柳でした。

 

 文王とは中国古代王朝「周」の王西伯のことですが、3千年も昔の人も、人が釣りをしているのを見たら「釣れますか」と近寄ってきて声をかけたのですね。たとえ、王であっても、心理は同じです。人情というものなのでしょう。

 この時釣りをしていたのが、ご存じ「太公望」(呂尚)で、釣りをしていた場所が「渭水(いすい)」の水辺でした。渭水は陝西省を流れる黄河の支流。太公望が釣りをしていたと伝えられる岩は今も「釣魚台」として観光名所となっています。カットの写真は、太公望をあしらった観光記念のバッジです。仕掛けのついた竿を担ぎ、右手に獲物、小さいスペースに絵柄が目一杯盛り込んであります。江戸の川柳は、太公望と周の文王との出会いを詠んだものですが、 この時代の人はこの川柳を詠むくらい、太公望と文王との故事を良く知っていたようです。

 「釣れますか」と近づいた周王(文王)は重ねて「あなたは魚釣りを楽しんでおられるのか」と聞き「君子は志を得るのを楽しみ、小人は物を得るのを楽しむ。いまわたしがしている魚釣りは、それに似た意味合いがあるのです」さまざまな問答の最後に、「天下はひとりの天下ではありません。天下の天下です。天下の利を民と共有する者が天下を得て、天下の利を独壇する者は天下を失うのです。仁のあるところ、徳のあるところ、義のあるところ、道のあるところに天下は帰するのです」

 周王は話を聞きおわると再拝して、「ぜひご指導を」と、太公望を馬車に乗せて帰り、終生「師」と仰いだ、というお話です。

 

 この話には「余談」があります。余談の方も「覆水盆に返らず」の諺でよく知られるところです。

 

 呂尚がまだ文王に出会わない頃、渭水の水辺で毎日釣りばっかりして、ほかは読書三昧の夫に、将来を悲観し、愛想を尽かせてとうとう離縁してもらった妻が、前夫が太公望という思いがけない出世をしたことを知り、訪ねてきて「元へ戻してほしい」と懇願。太公望はお盆の上に、水を注がせ、その盆の水を、妻に地面にこぼさせます。地面はたちまちその水を吸い込んでしまいました。太公望はおもむろに「お前が地面にまいた水を元の盆に戻せたら、希望に応じよう」と言ったのです。これに因んでこの諺が生まれました。

「釣れますか」と、気楽に笑顔で声をかけ合う、そんな世の中にしたいものですね。(八木禧昌 イラスト、写真も。からくさ文庫主宰)

 

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