昭和47年(1972年)
独立してまだ間もないころの作品で、奈良の平城に処理場の設計計画の仕事
を頂いた。
平城宮の近くであるためにそれに合ったようなものにとの事で、校倉風に作
りたかったので、丸い柱に、壁の部分は横張のALC版を勾配に取り付ける
ようなものにした。
この建物は当時の住宅公団のマンション群のための5年の暫定の物でして、
取り壊しのしやすいようにとのこともあり、できるだけ簡素なものという事
でしたが、その後10年位は使われていたように思いますが、今どうなってい
るのか、見に行ってないのでわかりませんが、もう取り壊されてると思いま
すが・・・・
施工中のもの
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