太平洋戦争の特攻隊としての生き残りの兄、佐藤哲男
1昨年に兄の筆で描いた絵の展示を神戸にて多くの人に見てもらいましたそしてその年の
くれには膵臓がんの手術を90歳にして受けて2年半命ながら得ましたが1昨日3月6日に
93歳の命を全うして亡くなりました多くの方に元気ずけられて画展をやったあとも
書いていました、私の手元や富子の店にも飾っています。
最後に入院して少し危ないとのことでキリスト病院に会いに行きましたそのときにもらった
少しはでな色の革靴をはいていき兄に見せたところ喜んでくれました。
それから1週間持たずでした、今もあのときの喜んでくれた顔を忘れません。
僕の最後の仕事も気にしてくれて無理したらアカンでとよくいたわってくれたのでした、
その仕事の最後の開発の竣工検査が無事に済みその足で兄に報告に行こうとしたところ
すぐ上のもう一人の幸雄兄が行くというので迎えに行き病院に向かっている途中で息を
引き取ったとの連絡が入りました、最後に会えなかったのが残念ですが、前日に会いに行き
眠っていたので顔だけ見て帰ったのですが・・・・
少し不思議なのは、なくなる前の晩、僕があいに行った日の深夜、眠っているときに
兄は別れにきたのです、深夜3時30ごろ入り口の呼び鈴がピーン、ポーンとなったので
カメラを見たところ誰もいません、いたずらか耳の聞き間違えかとおもい眠りましたところ
また5時30分ごろになりました、すぐにおきてカメラを見たのですが誰もいないのです。
少し気味悪くなりましたが翌日に兄が死んだ事で皆が、兄がサヨナラを云いに来たのだと
私も納得しました、携帯のメール、、フェースブック、又、ラインともおとが違いましたから。
兄の絵を又見てもらいます。