デジャ・ヴ(既視感)というのを体験したことはありませんか?
私は2回だけあります。
ポスターや本、テレビなどで見た風景を突然思い出すだけーとも言われますが、
はたして?1回目は大学生になった時に体験しました。
大学では「釣部」に所属していました。
それまで家族旅行以外に出かけたことのない生活をしてきました。
大学に入ったのをきっかけに、おおいに旅行したかったのです。
釣部なら大好物の魚が釣れたてで食べられるし…と、イージ思考の結果です。
最初の旅行は夏休みの桧原湖合宿でした。
福島県にある湖なんだとか…もちろん行ったことはありません。
名も聞いたことがありません。
各自30キロの装備!
テントからこんろからーなんでもかんでももっていかなくてはならないのです。
期待していた「旅行」形態とは大違い。
びびっているミッションスクール出の軟弱な私は、15キロ装備で勘弁してもらいました。
猛者の先輩連に先導されて、どこをどう行くのか、わけがわからないまま東京駅を出発。
電車、バスと乗り継ぎ、やがて田舎のバスから降りると、そこから湖まで歩きだと言われました。
ひえぇ~。山の中。
道なき道をひたすら前進。
これがあこがれていた旅行かーとがっくりする側から、荷物が肩に食い込んできて、半泣きです。
「そら、あの丘を越えると桧原湖だ。がんばれ」
途中休憩のあと、先輩に指差された、はるかかなたの山道をみあげたとたん、
ふと奇妙な気分になりました。
こんなところには来た事はない。
でも、上り坂の向こうにどんな風景があるのかわかる気がする?
やがて山道のてっぺんに登り着きました。
足元には桧原湖が広がっています。
(…?あれ?この光景見たことある。)不思議な感覚でした。
それは山の下で想像したとおりの風景でした。
40年前。桧原湖はまだ、観光化されていないマイナーな小さな湖でした。
その光景は確かに見たことがあるという確信がありました。
あれって、いったいなんだったんでしょうね?
二度めは大学4年のとき。
引越しすることになって、母があっちの方角が良いだの悪いだのと…さんざん不動産屋さんを悩ませた挙句、
やっと引越しさきを決めてきました。
(実家は典型的なカカア天下でして、父は母のいいなりでしたの)(~o~)
それは山の手に古くからある有名な住宅街にあるんだとか。
契約も済んだので、家族で見に行こうということになりました。
戦前からある古い住宅街なので、私鉄の駅を降りると、大通りから曲がって、
車がやっとすれ違えるような道が迷路のように張り巡らされているところでした。
歩いてすぐ、私は例の奇妙な感覚に襲われました。
すぐさまハンドバッグから手帳を取り出し、簡単に絵を描き始めました。
「なにをしているの?」妹が覗き込んでくるので、
「この先に何があるか、わかる気がする。」
左右に大きな大谷石の門柱。
その上にやはり大谷石で円形のボールのような飾りが付いている印象的な門のある家の絵を描きあげました。
我が家はそういう事にはあまり驚かない家風なので、妹はにっこり笑っただけです。
やがて「ほら、あの坂の上のつき当たりの家よ。」
母が引越し予定の家を指し示したとき、私も妹もかなり驚きました。
その家のある坂の下には、今、まさしく私がスケッチした門のある家があったのです。
三回目のデジャ・ヴ(既視感)があるとしたら、それはただ今未婚の娘が、将来住むであろう家です。
たぶんこんな感じ…と思うので今回はパソコンを使って丁寧に描きました。
娘は、まだ結婚相手の影も形もないというのに…と呆れています。
ま、いいじゃありませんか。こうなるとデジャ・ヴ(既視感)とやらも、楽しみの一つですもん…。
絵は「百合(3)」 07-11作成
百合を描いた三枚目。シンプルにささっと。
お手本画風のように描けない自分に気がつき、無理をするのを諦めました。
これが私ふうの花の描き方…という事で。
私は2回だけあります。
ポスターや本、テレビなどで見た風景を突然思い出すだけーとも言われますが、
はたして?1回目は大学生になった時に体験しました。
大学では「釣部」に所属していました。
それまで家族旅行以外に出かけたことのない生活をしてきました。
大学に入ったのをきっかけに、おおいに旅行したかったのです。
釣部なら大好物の魚が釣れたてで食べられるし…と、イージ思考の結果です。
最初の旅行は夏休みの桧原湖合宿でした。
福島県にある湖なんだとか…もちろん行ったことはありません。
名も聞いたことがありません。
各自30キロの装備!
テントからこんろからーなんでもかんでももっていかなくてはならないのです。
期待していた「旅行」形態とは大違い。
びびっているミッションスクール出の軟弱な私は、15キロ装備で勘弁してもらいました。
猛者の先輩連に先導されて、どこをどう行くのか、わけがわからないまま東京駅を出発。
電車、バスと乗り継ぎ、やがて田舎のバスから降りると、そこから湖まで歩きだと言われました。
ひえぇ~。山の中。
道なき道をひたすら前進。
これがあこがれていた旅行かーとがっくりする側から、荷物が肩に食い込んできて、半泣きです。
「そら、あの丘を越えると桧原湖だ。がんばれ」
途中休憩のあと、先輩に指差された、はるかかなたの山道をみあげたとたん、
ふと奇妙な気分になりました。
こんなところには来た事はない。
でも、上り坂の向こうにどんな風景があるのかわかる気がする?
やがて山道のてっぺんに登り着きました。
足元には桧原湖が広がっています。
(…?あれ?この光景見たことある。)不思議な感覚でした。
それは山の下で想像したとおりの風景でした。
40年前。桧原湖はまだ、観光化されていないマイナーな小さな湖でした。
その光景は確かに見たことがあるという確信がありました。
あれって、いったいなんだったんでしょうね?
二度めは大学4年のとき。
引越しすることになって、母があっちの方角が良いだの悪いだのと…さんざん不動産屋さんを悩ませた挙句、
やっと引越しさきを決めてきました。
(実家は典型的なカカア天下でして、父は母のいいなりでしたの)(~o~)
それは山の手に古くからある有名な住宅街にあるんだとか。
契約も済んだので、家族で見に行こうということになりました。
戦前からある古い住宅街なので、私鉄の駅を降りると、大通りから曲がって、
車がやっとすれ違えるような道が迷路のように張り巡らされているところでした。
歩いてすぐ、私は例の奇妙な感覚に襲われました。
すぐさまハンドバッグから手帳を取り出し、簡単に絵を描き始めました。
「なにをしているの?」妹が覗き込んでくるので、
「この先に何があるか、わかる気がする。」
左右に大きな大谷石の門柱。
その上にやはり大谷石で円形のボールのような飾りが付いている印象的な門のある家の絵を描きあげました。
我が家はそういう事にはあまり驚かない家風なので、妹はにっこり笑っただけです。
やがて「ほら、あの坂の上のつき当たりの家よ。」
母が引越し予定の家を指し示したとき、私も妹もかなり驚きました。
その家のある坂の下には、今、まさしく私がスケッチした門のある家があったのです。
三回目のデジャ・ヴ(既視感)があるとしたら、それはただ今未婚の娘が、将来住むであろう家です。
たぶんこんな感じ…と思うので今回はパソコンを使って丁寧に描きました。
娘は、まだ結婚相手の影も形もないというのに…と呆れています。
ま、いいじゃありませんか。こうなるとデジャ・ヴ(既視感)とやらも、楽しみの一つですもん…。
絵は「百合(3)」 07-11作成
百合を描いた三枚目。シンプルにささっと。
お手本画風のように描けない自分に気がつき、無理をするのを諦めました。
これが私ふうの花の描き方…という事で。