ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.26  オレンジ電車おぼえてる?

2010-08-26 06:14:37 | 日記
 ある新聞記事に目がとまり、とても懐かしく読んだ。(以下に転載)

          ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 今年10月中旬、中央線からの完全引退が決まっている電車「201系」をテーマにした絵本「オレンジ電車おぼえてる?」が、千代田区の交通新聞社から出版された。共立女子高校(千代田区)の生徒が手がけた作品で、22日には作品に登場する当時の設計責任者だったJR四国会長の松田清宏さん(63)らを招いた「完成記念の会」が日野市のJR豊田車両センターで開かれた。
 絵本の制作は2008年4月、電車の引退が迫っていることを知った同校の教諭、池末和幸さん(41)の発案で始まった。池末さんは「201系は古い電車というイメージが強かったが、使用する電気量を抑えた省エネ電車であることを知り、開発者の思いを伝える作品を手がけたいと考えた」と振り返る。
 さっそく有志を募ると、生徒7人が集まった。話し合う中で、電車への思い入れがある多くの人を取り上げようと、知人らを通じて関係者を紹介してもらい、松田さんや、201系を間近で見てきた武蔵小金井駅のそば屋の元店員ら13人に取材した。
 試行錯誤の末に、作品を完成させたのが昨年10月。共立女子大学の学園祭で作品の原画を公開したところ、評判を呼び、出版の話が持ち上がった。
 絵本は、電車好きな男の子2人が松田さんら設計者と一緒に、201系電車に乗り込み、東京駅から高尾駅に向かう設定。松田さんらから電車の仕組みを教えてもらう一方、登場人物がそれぞれの思いを語る構成になっている。
 出版のお披露目はJR東日本の協力を得て、本物の201系電車内で行われた。絵本を受け取った松田さんは「初めて自分で一から設計を手がけた電車。部品を見ていると、当時を思い出します。懐かしいですね」と目を細めた。
 絵本は縦18センチ、横18センチ。32ページ。600円(税別)。多摩地区の主要書店などで販売されている。問い合わせは交通新聞社販売部((電)03・5216・3217)へ。                             (2010年8月23日 読売新聞)

 10月に引退するJR中央線の201系電車を描いた絵本「オレンジ電車おぼえてる?」を、共立女子高校(千代田区)の卒業生たちが自費出版し、22日、絵本に登場する関係者らに贈った。
 201系の引退を知った池末和幸教諭(41)が「思い出を残そう」と呼びかけ、当時2年生だった生徒7人と2008年春から制作に取り組んだ。
 絵本では、通勤や通学で使っていた人や、駅のそば屋で店員をしていた女性、設計や運行にかかわった社員らがページごとに登場。東京駅から高尾駅に向かう201系に乗りながら、思い出を語る。
 生徒たちは、最終的に絵本に登場しなかった人も含め計12人にインタビューし、昨秋、色鉛筆で描いた試作版をつくった。今春の卒業後、自費出版することにし、すべて水彩画で描き直した。
 絵本の贈呈式は22日朝、201系の基地となっている豊田車両センター(日野市)であった。車内広告のスペースをすべて絵本の原画や車両の写真で埋めた201系の中で、卒業生たちがそれぞれインタビューした関係者らに絵本を手渡した。
 旧国鉄で設計のまとめ役だったJR四国会長の松田清宏さん(63)は「国鉄として初めて省エネ設計に取り組んだ車両で、試作では電気系のトラブルで苦労したことが懐かしい。30年間おつかれさまでした、と言いたい」。技術者だった佐々木拓二さん(65)は「みんなに愛されて幸せな車両だと思う。絵本は大切にします」と話した。
 交通新聞社、630円。収益は子どもの難病治療や研究に寄付する。池末教諭らのホームページ「智慧(ちえ)の実.net」(http://chienomi.net/)で絵本の朗読を聞くこともできる。                         (2010年8月23日 朝日新聞)

         ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 電車といえば、このオレンジ電車こそ、私にとって長い間一番身近な電車だった。
 高校、大学と通学に、そして社会人になってから一人暮らしを始めるまでは通勤に、この電車で近くは2つ先の駅まで、遠くは終点の都心まで通った。自宅の最寄り駅には車庫があり、始発が出ていたから終点まで乗るようになってからは座っていけて、本当にありがたかった。

 そして時は流れ、息子が産まれ、実家を訪れるときは、最寄り駅に大きな車庫があり、沢山の電車が並んでいることから息子は駅からなかなか離れようとはしなかった。
 もう10年以上も前になるが、息子が3歳の頃、この電車区で支社設立1周年記念の大規模な車両基地見学会があった。抽選だからダメかも・・・、と思いつつ、実家の両親の名前も借りて応募したところ、見事当選。晩夏の暑い盛り、家族3人で普段は入れない線路の上を歩いて沢山の電車を見学、制服を着て運転台に座ったり、車庫の中での点検作業等を見たり、記念のグッズも頂いて帰ってきた。

 炎天下での沢山の職員の方たちの汗だくの奮闘にとても頭が下がり、すっかりご機嫌だった息子に代わってお礼状とともに「一緒にポーズをとって写真に写ってくださった方、帽子をお貸しくださった方にお手数ですがお渡しください。」と写真を同封した。なんと驚いたことに車両課長さんから返信が届き、その礼状と写真が『あずさファミリー』というJRの社内報に掲載されることになった。201系のオレンジ電車をバックにおそろいのTシャツを着た息子を抱っこした私と整備士さんのツーショットだ。

 その頃から息子の「鉄」分は確実にアップしていたのだろう。

 今では私がこの電車に乗ることは、殆どない。そして、懐かしい形のこのオレンジ電車は全て新型の車両になってしまい、オレンジ色のラインはついているものの、まるで別の電車のように見える鉄仮面のような先頭車両の「顔」に懐かしさはあまり感じないのがちょっと淋しい。

 さて、「オレンジ電車おぼえてる?」であるが、多摩地区の主要書店での販売ということだったので、早速注文して取り寄せた。収益が子供の難病治療や研究に寄付されるということも嬉しい。女子高校生らしい可愛らしい水彩の絵に心が和み、なんだかとても幸せな気分になった。
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2010.8.25 ハーセプチン107回目

2010-08-25 22:42:12 | 治療日記
 処暑を過ぎてもいまだに朝から厳しい暑さ。今日は最寄り駅での電車の遅れで乗換駅でも一台乗り遅れ、病院着がいつもより10分ほど遅くなった。
 受付後、まず、2階のレントゲンへ。殆ど待たずに撮影して頂き、1階に下りて内科受付。15分ほどして中待合へ、その後15分ほどして診察室へ入った。
 ここ1週間は深呼吸をすると右の肩甲骨が痛む感じで、のどの下から胸部にかけての圧迫感があることについてお話する。レントゲンの結果が6月、7月、8月と3か月分並べて画面に出ており、やはり左右の影がはっきり大きくなっている。両方とも元々ある2箇所で、それ以外に新たな影はない。ゆっくりであるが、大きくなる傾向なので、今の治療はパワー不足だと思う、とのこと。腫瘍マーカーの上昇、画像上の変化、痛み等の症状が3つ揃っているので、今後の考え方としては4つほど選択肢がある、との説明があった。
1つめ:ゆっくりなので、このまま様子を見る。(痛みがあり、治療を変えるお告げであるため、薦めない。)
2つめ:アンスラサイクリン系の抗がん剤 脱毛、嘔吐等の副作用が大きい。(ようやく来月美容院に行こうと思っているので、これは勘弁してほしい、と言う。)
3つめ:現在のハーセプチンに上乗せして相性の良い内服の抗がん剤ゼローダ 副作用は指や手の皮膚が荒れて皮がむける手足症候群。皮膚症状として個人差はあるが、顔、手などに色素沈着。
4つめ:現在のハーセプチンをやめて内服同士の抗がん剤タイケルブ(HER2陽性用)とゼローダの併用。タイケルブは単独でもよいが、ゼローダと併用すると効果が期待できる。副作用は飲み薬同士であるが、かなりきつい下痢、皮膚障害(ゼローダ)、発疹(タイケルブ)
 これまで使っていない薬を使う方が良いのだろうが、タイケルブをずっと続けるよりもハーセプチンをずっと続ける方が副作用的には楽である。いったんハーセプチンをやめてタイケルブとゼローダを使った後、再度ハーセプチンで症状が落ち着いている人もいるので、ハーセプチンをやめたからといってもうハーセプチンを使えない、というわけではない。

 ここまで説明して頂いて、「まだ使っていない抗がん剤ナベルビンはどうですか。」と質問したところ、一番副作用が軽くハーセプチンとの相性もよく効果が期待できるし、脱毛もない、初回も入院の必要はなく外来でOKということでナベルビンの上乗せを選択することにした。
 ただし、来週からスタートではなく、来週の採血の結果腫瘍マーカーが上昇していれば観念するので、再来週からスタートということで。
 また、心毒性のハーセプチンが2年以上になるので、次週は採血後に心エコーもお願いした。
 今後は2週続けてナベルビン+ハーセプチン、1週お休みしてハーセプチンのみ、を続けられるだけ続けることになる。ヒスロンHが残り1週間分あるが、飲みきってしまうように、とのこと。来週の採血結果はヒスロンHとハーセプチンの治療結果となる。今後もゾメタは続けるが、CTは前回撮影してから2ヶ月しか経っていないので次回はナベルビンの効果測定のタイミングでよい、とのこと。
 そろそろかな・・・という気持ちはあるにはあったが、ヒスロンHが2ヶ月で奏功せず、の結果とは思いたくなかったので、わかってはいたけれど、いよいよホルモン治療終了でエンドレスの抗がん剤治療になるのだ、と思うとやはり情けないことに平静ではいられず、長いこと同じ治療をされていたあけぼの会のKさんにメールしてしまった。
 10分ほど待ってから処置室に移動、一番奥の椅子を確保。血圧測定後、ベッドに移って針刺をした後、薬が届くのを待ってお昼前からハーセプチン開始。看護師さんにお願いしてナベルビンの治療の小冊子と抗がん剤投与時の自己管理表ノートを頂き、目を通す。

 今日は2冊読めた。
 1冊目は鈴木光司さんの「鈴木光司と13人の父『父親業は愉快だ!』」(新潮文庫)。「リング」「らせん」などの作品で有名な鈴木さんはお嬢さん2人の育児経験者。父親業には一家言ある著者が椎名誠、羽生義治、タケカワユキヒデら13人の父親と語り合った対談集。個性溢れる父同士が向かい合えば、それぞれ独自のポリシー、ユニークな育児論も飛び出して・・・。父親参加で家庭をいつも愉快にしよう、と裏表紙にあるとおり実に楽しく読めた。そう、お父さんが子育てに参加しないのは絶対もったいない、とつくづく思う。
 2冊目は勝間和代さんの「読書進化論 人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか」(小学館101新書)。恥ずかしながら彼女の著作を読むのは初めて。題名につられて手に取ったのだが帯に「本は、あなたの人生を豊かにし、あなたを進化させていきます。」とあったわりには技術的な話題とこれまでの著書の紹介等が多かったような・・・。

 2時間かかって無事に点滴が終了。会計をすませて外に出る。今日は薬をもらって帰る予定だったが、もうヒスロンHはいらないのだな、と思いつつ。地面のコンクリートからは湯気が出そうに暑い。遅いランチをゆっくりとって、買い物をしながら・・・で帰宅は遅くなってしまった。

 夜はプチ虹のサロンのSさんと長電話。いろいろな思いを本音で話せて本当に有難い。感謝である。
 とにかく、これからも何とか前を向いて頑張っていこう、と改めて思う。
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2010.8.24 夏休み最終日は模試で

2010-08-24 20:36:57 | 日記
 今日で息子の夏休み(学校はなんと「夏季自宅学習期間」と称している。)が終わる。
 7月の下旬にはサマーキャンプがあり、その直後には数日間の夏季講習があるから、休み自体は実質1カ月もない。

 それでもある程度の量の宿題が出る(なんといっても夏季自宅学習期間であるから!)。今年で3年目だというのに、いまださっぱりペースがつかめず、なんとなく泥縄式に最終日になり、ずるずると明日の始業式を迎えた後、平常授業に突入となっている。

 夏季自宅学習期間ではありながら、朝いったん起こされて朝食だけはとるものの、夫と私が家を出てしまえば、本人にとってはそれはもう“ビバ!夏休み”のパラダイス(!)状態である。エアコンを全開にして涼しい部屋でテレビを見たりマンガを読んだりしつつ、眠くなればお昼寝、気がつけばお腹がすいてお昼。またお腹がいっぱいになったらお昼寝、さらには夕方になり、いつのまにやら母が帰宅・・・、などという怠惰な一日を送るのが眼に見えている。
 そのため、とにかく大人の目が届く“行き先”を作っておかないと、せめて午前中だけでも・・・、ということで、これまでキャンプやら、個別指導塾やらもろもろ受け皿の手配をしてきた。

 今日は個別指導塾で朝から5教科の模試。なんとかお昼をまたいで数時間が過ごせる。模試自体は受けっぱなしでは意味がないのは重々承知の上だが、とにかくその時間だけでも頭を働かせてくれれば・・・ということで。
 それでも1時間×5教科のテストはさすがに長くて大変だったようで、私の帰宅早々ブーイングだった。

 明日学校が始まれば、もう翌週末からは前期の期末試験。夏休み開始前にしっかり範囲表や予定表を頂いているのに、結局土壇場まで(というか土壇場になって)夏休みの宿題にかかりっきりなので、こちらは全くの手つかず状態。昨年の轍は踏まないどころか、3年間全く学習することなしに同じことを繰り返したわけである。

 そして、いきなり明日からは情け容赦ない平常授業。この暑い中、これまでのだらけ切った生活から、早起きをして混雑した電車に乗っての通学、数時間の授業に存在する(集中する、まではたぶん達しないだろう。)だけで、今週はがっくり疲労困憊だろう。

 夏休みの間に観られるようにと、映画の前売り券も何枚か買ってあるのに、それさえもそのまま。中3の夏、今年は一体何をやったのだろうか・・・。

 7月末の個人面談では、担任と「夏休みの課題をやるのは当然で、まとめて時間をとれるこの夏に中学の勉強の弱点を克服しておこう」と約束したのは、何だったのだろう。
 「今年は鉄道旅行になんか行っている場合ではない、勉強しなくては・・・」と言ったのは誰だったのだろう。

 当然のことながら、そして残念ながら(?)私は代わって勉強してあげるわけにもいかない。

 無情にも息子の中学最後の夏休みが終わる。ともあれ、明日からまたお弁当作りの毎日が再開だ。

 かく言う私は中学時代の夏休み、どういう過ごし方をしていたのだろう。
 とにかく部活一色だったと思う。9月の連休には杉並の普門館で吹奏楽コンクールがあったので、ひたすら毎日学校へお弁当持ち(母も大変だったろう。)で通い、午前・午後と練習。公立中だったから7月21日から8月いっぱいの40日の夏休みだったし、息子ほどの宿題は出なかったと記憶しているけれど・・・。読書感想文くらいは何本か書いたし、中3の夏は夏季講習にも行ったと思う。都合の悪いことは忘却の彼方だが・・・。
 それにしても音楽の先生だった顧問は、細い体で毎日毎日実に大変だったことだなあ、と思う。今の私くらいのお歳だったろうか。そう思うと、今、改めて本当に頭が下がる。
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2010.8.23 DISCOVER MYSELF ~個別職業研究インタビュー

2010-08-23 21:51:37 | 日記
 息子の夏休みの宿題で、興味のある職業人にインタビューをしてくる、という課題が出ていた。
 本人は何の準備もしないままキャンプに出かけてしまい、帰宅した後、残る夏休みといえば日曜を含めて3日のみ。

 夏休みの最初に息子からその話を聞いたときに、私が「研究者ということでよければ、(母が勤めている)大学の先生にお願いしてあげてもいいわよ。」と言ったり、夫が「食品Gメンならお父さんがインタビューを受けてやるぞ。」と言ったりはしてみたが、本人はどうしても“医師”という職業が良かったようで、私の友人の医師や、私が今お世話になっている主治医にお会いしてみたかったようだった。
 「でも、忙しくて無理だよね・・・」というセリフが本人から出た。確かに土日も返上して飛び回っておられる主治医の多忙さを鑑みるに、とてもとても甘ちゃん息子の宿題などに付き合って頂くお願いなど、ずうずうしい私でもさすがに出来ない。

 それでは夫のコネで保健所の所長さん(医師)はどうか、などと喧々諤々いっているうちに、インタビューに出向くまでの往復時間や、あと3日しかないという日程調整を考えると、やはり本人が生後1カ月から今までずっと家族ぐるみでお世話になっている徒歩5分のクリニックの院長先生にお願いしてみるのが一番いいのでは、ということになった。

 あいにく先生は今月上旬から昨日まで夏休みで休診中。今度は息子が入れ替わりでキャンプ行き、ということでなかなか日程が合わずじまい。本人不在のまま、普段から夫もお世話になっているので、夫から受付の担当者を通じてお願いをした。
 なんとも過保護で親がかりで泥縄式で、実に恥ずかしい限りである。

 そしてなんとか今朝、快諾の連絡があり、午前と午後の診療時間の合間にインタビューが実現した。インタビューといっても聞くべき項目もできているので、殆ど本人はその通りに進めれば良かったのだが・・・。

 帰宅した息子に聞いてみると、30分も割いてくださったとのこと。以下、いったい何時間かかってこれだけのものを書いたのか、と思うほどの長い時間をかけて、ようやく本人がまとめた感想文の一部である。

      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 今回インタビューした際に、先生から『この先の進路はどうする予定なの?』と聞かれました。その時、僕は『まだ考えていない。』と答えました。その時先生は『漠然と何かを追うよりもきちんとした目標があった方がいい。』とおっしゃいました。すぐに見つかるかはわからないけれど、一度自分の進むべき道を考えてみようと思いました。

      ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 おいおい、進むべき道の選択肢としてインタビューに伺ったのではなかったのかい、という感想文である。
 録音を聞かせてもらうと、本当に沢山大切なことをわかり易く語ってくださっている。家に帰ってまとめてみて、また何かわからないことがあれば、連絡してほしい、また時間をとりましょう、とまで・・・。
 ぶっきらぼうで飾り気のない先生だが、熱いハートの持ち主、とお見受けしていた。実にそのとおりのインタビューだった。
 新米の母親で何度も青くなって息子を抱いてかけこんだクリニック。何度も何度も『お母さんの対応で間違っていない。』と言って頂き、どれだけ心強く、安心したことか。私ならこんなふうにまとめるのに・・・、と思わず書き直してしまいたいほど。先生にお願いしてよかった、と思った。
 これでまた、息子が少しでも前向きに変わってくれれば本当に嬉しいのだが・・・。

 先生、お忙しい中、息子の準備不足な拙いインタビューにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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2010.8.22 冷蔵庫のありあわせ

2010-08-22 12:47:41 | 日記
 先日、村上春樹さんの本を読んでいて、とても腑に落ちた比喩があった。
 齢をとっていくということは、冷蔵庫の中のありあわせの材料で文句を言わずに美味しいものを作ること。本当にそうだ、と思う。

 ありあわせで美味しいものが作れるのは主婦(当然、主夫でもよいのだが)の強みだとも思う。日常生活において3度3度の食事作りに際し、レシピどおりに全て材料を揃えて作り続けるのはなかなか敷居が高いこと。もちろん必須の食材が欠けては成り立たない料理は沢山あるだろうけれど、それ以外の食材をちょっとしたアレンジで使って、思いもかけずに美味しいものが作れた時は結構幸せだ。(もちろん失敗することもあるが・・・。)

 確かにお金にも時間にも糸目をつけず、レシピ通りの材料をふんだんに使って時間をかけて料理すれば、美味しいものが作れるに決まっている。しかし、人生、だんだんそうはいかなくなる。だからこそ、今、あるもの=つまり今ある自分の状況、若い時とは気力も体力も劣るかもしれないけれど、そして何かしらの病気やウィークポイントを抱えているかもしれないけれど=で、これまでの経験をエッセンスに作る。そして若い時には出せなかったであろう自分らしい味を出す。もちろん、ただのんべんだらりとありあわせの材料を受け入れて甘んじるのではなく、出来るだけ自分の中のありあわせ度を高めておくことは必要、ということなのだろうと思う。

 それと同じことなのだと思った。
 今ある自分-ありあわせの材料-を受け入れて、それでも前を向いて生きて-果敢に料理して-いく。
 冷蔵庫の中のありあわせが一体どんなものになっているかは、これまで自分がどう生きてきたかによるのだろうし、今後ありあわせがより使い勝手がいいものになるか、使いにくいものになるか、も結局これからの自分の生き方次第なのだと思う。

 期せずして生涯付き合うことになった病も、人生という料理の貴重なエッセンスになりうるかもしれない。

 昨朝訪れた東京カテドラル聖マリア大聖堂で献金に際して頂いた言葉。おみくじのように細長い紙が丸められてリングで止められていた。上は私が頂いたもので、下が夫である。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を憎む人はそれを保って永遠の命にいたる。」              (ヨハネによる福音書12章24節、25節)

「私は世の光である。
 私に従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
                         (ヨハネによる福音書 8章12節)

 それでも、私は自分の命は憎めないなあ、と思う。たとえ冷蔵庫のありあわせのような余生でも・・・。
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