ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.12.6 “歌がみちるセカイ”から帰ってきて想うこと

2014-12-06 23:01:47 | 合唱
 今年最後の京都行き。ほぼいつも通りの時間に起きて、連続テレビ小説を視、洗濯を干し終えて、夫と2人家を出た。
 かなり冷え込んではいるが、冬晴れの良いお天気だ。青空のもと、雪を被った富士山を拝んだと思ったら、名古屋を越えた辺りで途端にお天気が悪くなる。岐阜羽島では雪模様となった。徐行運転のため僅か1分ではあったが遅延を謝るアナウンスを聞きながら、新幹線は本当に凄い列車だと思う。

 昼過ぎに京都駅に着いたものの、今日は夕方まで特に予定があるわけでもない。チェックインの時間には早過ぎる到着だ。とりあえず荷物だけ預けて昼食を済ませて、デパートを歩き、カフェで時間調整。チェックイン後、態勢を立て直してから、テルテル坊主のお守り代わりに折りたたみ傘を携えて目的地へ向かった。

 今日は息子が所属する合唱団の定期演奏会の日だ。入団以降、混声合唱が楽しくて楽しくてたまらないといった彼がこれまで頑張ってきた集大成のステージである。
 開場時間よりも大分早めに到着したが、日はとっぷりと暮れ、足元からかなり冷え込んでくる。すると、入り口で開場宣言がされるまで並んで待つ人たちを相手に、息子は手を挙げて整列案内をしている。それに気づかず写真を撮っている夫を探しながら歩いていると、息子と鉢合わせする形になり、びっくり。その時、ちょうど傍にいた合唱団の先輩から「やばい、すげえ、似過ぎてる!」と言われ、(そんなにそうかしら?)とお互いに顔を見合わせた一幕も。

 校歌で幕を開けた演奏会、第1ステージは「歌がみちるセカイ」という企画もの。学生副指揮者を務める女子学生の思いが籠った新たな試みだという。
 それにしても、1981年12月、私が初めて大学の混声合唱団の定期演奏会のステージにのってから30余年。こんな日が来るとはゆめゆめ思わなかった。卒業から四半世紀が経ち、治療の傍ら、ひょんなことからOB・OG合唱団の小さなステージで、再び細々と歌い始めたのを傍らで見ていた息子が、今日は舞台の上に立ち、それを夫と私が聴いているのだ。
 私が歌う顔を「変な顔、面白い顔!」と茶化していた彼が、顔中で嬉しそうに歌っているではないか。目を大きく見開き、頬骨を上げ、口を大きく動かして、それこそ知らない人が見れば実に面白い顔で。いや、高い声をきちんと下がらないように出すには、そうして顔の筋肉をしっかり上げて笑って歌わないと歌えないのよ、分かったでしょう?と思う。
 指揮者の先生によるミサ曲が第2ステージ。どうしても自分が学生時代に歌った曲や、先日の校友音楽祭で歌った曲と行ったり来たりしてしまう。男女バランスが上手くいっている感じだ。
 最後は、学生正指揮者による第3ステージの邦人曲。4回生はコサージュを付けて最後のステージに臨んでいるというアナウンスが流れる。その曲の最後の歌詞、「このときは たったいま このいまは いちどだけ」に胸が熱くなり、目の前が曇る。そう、この瞬間、もう二度と戻らない幸せな瞬間に会場全体が包まれたように感じた。

 東京からたった一人、過保護な親元を離れ新しいセカイに飛び込んだ18歳になり立てだった息子。家を離れて8か月余り、彼がこんなにも嬉しそうに幸せそうに歌う姿を見て、感無量である。“天上天下唯我独尊”を絵に描いたような彼を、こんなにも暖かく自然に受け入れてくださった沢山の方たち、本当にありがとうございます。心から感謝します。
 親馬鹿以外の何物でもないのだけれど、彼は自分の居場所を見つけてここでしっかりと根を張り始めているのだ、と実感させて頂いた。もちろん、まだまだ心配なことは山ほどあるし、発展途上には違いない。けれど、こんな素晴らしい経験を一緒にさせて頂ける先輩や同級生たちに囲まれて、このメンバーでしか紡ぐことの出来ないハーモニーに包まれて、きっと鳥肌が立つほどの思いを味わっただろう、と思う。そんな経験が出来た君ならば、きっとこれから何があっても頑張れる、何があっても大丈夫。母はそんな気がする。

 体調を崩すこともなく風邪をひくこともなく、無事に聴きに来ることが出来て本当に良かった、と思う。そして、出来ることなら来年もまた聴きに来たいものだ、と素直に想う幸せな夜である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする