ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.10.19昨日の通院日に読んだ2冊と投与翌日の体調のこと

2017-10-19 21:13:16 | 読書
 昨日は2冊目の途中までしか読めなかったが、今日なんとか読み切ったので忘れないうちにレビューしておきたい。
 1冊目は篠田節子さんの「長女たち」(新潮文庫)。
 単行本が出た時から、長女(かつ一人娘)である私は是非読みたいと思っていたので、文庫になって迷わず手に取った。帯には「認知症、介護離職、孤独な世話 恋人もキャリアも失った。母のせいでー圧倒的な現実の果てにほのかな希望がにじむ共感の話題作」とある。

 徳川家広さんが解説で「篠田節子が『長女たち』というタイトルで言わんとしているのは、その家に最初に生まれた娘という意味ではなく、むしろしっかりしていて弱いものに優しい「お姉さん体質」の女性のことなのである。しっかり者で優しいからこそ、負担が集中して、苦しむことになる。それが今の日本の現実なのだ、。とはいえ、そこは物語巧者の篠田節子の作である。恐怖小説を読むような息苦しさに満ち溢れているものの、読後感は爽快である。」と書いておられる。

 物語は3篇から成る。裏表紙の言葉を借りれば、「あなたは、そこまでして私の人生を邪魔したかったのー。認知症の母を介護するために恋人と別れ、仕事のキャリアも諦めた直美(家守娘)。孤独死した父への悔恨に苛まれる頼子(ミッション)。糖尿病の母に腎臓を提供すべきか苦悩する慧子(ファーストレディ)。老親の呪縛から逃れるすべもなく、周囲からも当てにされ、一人重い現実と格闘する我慢強い長女たち」なのである。
 我が母などは物語に登場する母親たちに比べれば可愛いものだけれど、あまりに身につまされる部分が多く、読み続けるのがしんどい部分も沢山。それでも止められなかった。

 この本と前後して読売新聞で篠田節子さんの介護インタビューの記事を見た。篠田さんの作品はとても好きで、何作も拝読している。かねてより才色兼備でとても綺麗な方、天は二物を与えるものだなあと思っていたが、びっくりするほど歳を取られたアップの写真を拝見して、一瞬言葉を失った。どれだけ苦労されていたのだろう。
 20年近く各種サービスを嫌がるお母様をご自身で介護されているという。だから、本作にはご自身の経験もあちこちに散りばめられているそうだ。長女たち(すなわち篠田さん)の言葉にならない胸中は、物語では微かな希望が見えた作りになっていただけれど、実際自分たちに当てはめたらそんなことはない、と仰っていたことにショックを受けた。
 それにしてもこの国の少子高齢化は止まることなく進展していく。避けられない事実に背筋が冷たくなるのは私だけだろうか。

 2冊目は知念実希人さんの「螺旋の手術室」(新潮文庫)。
 知念さんは現役医師としての知見を活かしたミステリー作品を次々に発表し、圧倒的な支持を集める作家だというが、私は初めまして、の方である。
 帯に「驚愕のどんでん返し。読書メーター読みたい本ランキング第1位。手術室での不可解な死。次々と殺される教授選の候補者たち。事件に秘められたある想いとは・・・。」とある。警察モノが好きだと以前書いたが、医療モノも負けず劣らず好きである。今では病院と切っても切れない仲になってしまったけれど、それだけに病院の様子も想像に難くないし、フィクションだと思って読めば、なんのことはなく、愉しめる。
 
 裏表紙には「純正医科大学付属病院の教授選の候補だった冴木准教授が、手術中に不可解な死を遂げた。彼と教授の座を争っていた医師もまた、暴漢に襲われ殺害される。2つの死の繋がりとは。大学を探っていた探偵が遺した謎の言葉の意味は。父の死に疑問を感じた主人公は、同じ医師として調査を始めるが・・・・『完全犯罪』に潜む医師の苦悩を描く、慟哭の医療ミステリー」とある。
 読み始めたらあっという間に惹きこまれ、頁を繰る手が止まらなかった。これからの主人公兄妹の幸せを願わずにはいられない。

 今日も相変わらず寒い。リビングはかろうじて20度あったけれど、今年初めて暖房をつけた。タートルネックのアンサンブルにタイツ。すっかり12月の服装で出勤する。
 昨日まであんなに快調だったのにあっという間に便秘だ。お腹のモタモタ感で食欲はさっぱり。無理して詰め込むけれど、美味しさを全く感じない。ステロイドの所為で身体は寒いのに顔だけ火照っている。鬱陶しい。
 
 土砂降りの冷たい雨の中を出勤。最高気温が12度(10月としては60年ぶりだそうだ!)というが、当然事務室にはまだ暖房は入らない。溜まったメールを処理し、会議の資料の準備をし・・・であっという間にお昼になる。低血糖予防にランチにはホットココアを頂く。午後のテレビ会議は長引き、がっくり。
 とにかくあと1日、あと1日・・・である。
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2017.9.21 昨日の通院日に読んだ2冊と体調のこと

2017-09-21 21:26:22 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は清水義範さんの「老老戦記」(新潮文庫)。
 敬老の日に因んで手に取った、9月の新刊である。帯には「さいごは暴れて、いきましょう。主要登場人物は『団塊以上』ハードコア老人小説。」とある。

 本当に団塊の世代の方たちはお元気だ。どこに行ってもウオーキングシューズにバックパック姿で颯爽と闊歩している。時間もお金もあるのだろうなあ。
 第一部ではグループホームの老人たちがクイズ大会に参加して主催者を手玉に取ったり、海外旅行でひたすらマイペースを貫いたり、とクスクスニヤニヤしながら読んだ。けれど、第二部になると大分様相が変わってくる。え、こんなに過激で大丈夫?という感じ。裏表紙にも「世間では団塊アゲイン政党なる政党が勃興した。同世代の反体制派が闘争を開始、社会に衝撃が走る。これは悪夢か、現実か。日本を守らんと義勇軍を結成したのは・・・。超高齢社会日本を風刺するハードコア老人小説。『朦朧戦記』改題」とある。

 金原瑞人さんが解説を書いておられるが、「現代日本を細かい部分から大きな部分まで徹底的に皮肉ってパロった、超過激でブラックで、ユーモラスな清水ワールド。・・・若者は一切、登場しない。堂々たる老人小説」のとおり。
 そういえば大学時代、卒論テーマに「デモクラシーの政治過程における高齢化社会」を取り上げた私だが、30年を超え、実際の団塊世代である清水さんの著書と初めて出会ったことに、不思議なご縁を感じる1冊だった。

 2冊目は白石一文さんの「愛なんて嘘」(新潮文庫)。
 1冊目と打って変わって、白石さんの男女の6つの物語。帯には「信じられるのは私だけ?ひとりぼっちのさみしさに慣れてしまったあなたに贈る」とある。
 裏表紙には冒頭と2篇目が簡単に紹介されている。「恋人の家に転がり込んできたのは、とっくの昔に離婚したはずの彼の元妻だった。一つの場所にとどまることのできない女の存在が二人の関係を変える。」(「夜を想う人」)。「一度は別れを選び、それぞれが新しい伴侶を見つけ、子供も授かった元夫婦の約束とは」(「二人のプール」)。どのお話もなかなか読み応えがあり、頁を繰る手が止まらなかった。中でも私が一番面白かったのは、最後の「星と泥棒」か。これは他の5篇と異なり、唯一、失踪する人も出奔する人も出てこない作品だ。

 解説の佐久間文子さんが書いておられるが、「6つの短篇は、かなり風変わりな愛に心をとらえられた男女をめぐる小説である。同時に人それぞれに異なる孤独との向き合い方を描いた小説でもある。だれかを選んで一緒にいることは、思いがけず「私」という人間の姿を、その人の孤独のありようを浮かび上がらせもする。・・・この短篇集の男女はそろいもそろって、安定したそれまでの人生をあっさり手放す。駅のホームでたまたま来た違う電車に乗り換えるみたいな気軽さで、先の見えない暮らしに身を投じてしまう。」とある。

 先の見えない暮らしに身を投じるなんて冒険はとても出来るとは思えない私にとって、だからこそ、の読書体験なのだと思う。

 さて、昨日と打って変わって今日は爽やかな青空、日差し溢れるいいお天気。カラリとした洗濯日和で、日傘も大活躍だ。そんな秋晴れの日なのに気分は上がらない。投与翌日の体調のこと、やむなしなのだけれど。

 朝食はドーナツ半分と果物だけ。出勤して昨日からのメール等の処理をして午後からの会議に向かう。片道たっぷり2時間超はいかにも遠い。お昼は時間をかけておうどんを頂く。会議が終わって直帰したけれど、夫とほぼ同じ時間になって、最寄駅で落ち合って荷物を持ってもらって一緒に帰宅した。だるいし熱っぽい。ダラダラと洗濯を畳み、夫に夕飯の支度は任せる。食欲がないし、繊細な味がイマイチよく分からない。普段は食べないような濃い味を欲している感じだが、とにかくそれすら全然作りたくないのだ。

 あと一日、明日をやり過ごせばまた休日がやってくる。いつもいつもこの繰り返し。それでもこうして繰り返せることを有難いと思わなければ。



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2017.9.7 昨日通院日に読んだ2冊

2017-09-07 21:31:21 | 読書
 昨日は2冊読めた。読書の秋、良かったと思ったものだけでもレビューしておければ、と思う。
 1冊目は、先日、ハタフローヨガインテンシヴコースのM先生にお薦め頂いた、加島祥造さんの「老子 タオ」(ちくま文庫)。
 帯には「さりげない詩句で語られる人間の大道とは?現代に甦る老子の世界」、裏表紙には「文字の奥にひそむ老子の声、それを聞き取るのは生命のメッセージを感得することだ。さりげない語句で語られる宇宙の神秘と人間の生きるべき大道(タオ)とは?生き生きとした言葉で現代に甦る“老子道徳経”全81章の全訳創造詩!」とある。

 すべてが判り易くこなれた話し言葉で語りかけてくる口語の詩に変身しており、するすると難なく読める。各章の最後には漢詩の書き下し文も掲載されている。漢文は大学受験とともにさようなら~となってしまったが、創造詩を読んだ後に原文を見ると、なるよど、そうきたか、と唸る。それでも20歳に満たなかった自分が、この詩を読んでもどれほど感じ入ることが出来たことか。齢を重ねるのも悪くない、と思う。

 中でも私の心にストーンと落ちて、力が湧いてきたものをひとつだけ挙げるとすれば、第五十章「命を大切にする人は」(原文「貴生」)。
 ラスト二行の「自分の命を大切にして生きるかぎり 死はつけいるすきがないんだ。」。「以其無死地焉」である。

 加島先生は1923年のお生まれ。この創造詩に取り組まれたのは1999年とあるので御年76歳。そして文庫になったのはハードカバー出版6年後の2006年、83歳の時だ。一昨年2015年、享年92歳、老衰で他界されている。おそらくご自身の命を大切に生き、そのライフワークを完成させ、死は付け入る隙がないまま、天寿を迎えられたのではないかと思う。素晴らしい著書に感謝である。
 
 2冊目は、桐野夏生さんの「夜また夜の深い夜」(幻冬舎文庫)。
 久しぶりに書店で平積みにされていた桐野さんの文庫を手に取った。彼女の本が面白くないわけがない、と確信して。そしてそのとおり、もはや痛快なほど圧倒的な面白さだった。
 裏表紙には「友達に本当の名前を言っちゃだめ。マイコにそう厳命する母は整形を繰り返す秘密主義者。母娘はアジアやヨーロッパの都市を転々とし、四年前からナポリのスラムに住む。国籍もIDもなく、父の名前も自分のルーツもわからないマイコは、難民キャンプそだちの七海さん宛に、初めて本名を明かして手紙を書き始めた。疾走感溢れる現代サバイバル小説。」とある。

 冒頭から主人公のジェットコースターのような運命に引き込まれて、それに一緒に乗っかっていく自分がいる。19歳の全く生まれも境遇も違う主人公に自分を重ね合わせるなんて、荒唐無稽以外の何物でもないと重々承知の上だ。だから、読書はやめられない。心はあっという間に行ったことのない場所に飛び、会ったことのない人とやりとりし、やったことのない(やることの出来ない)人生を追体験することが出来るのだから。

 ナポリに大学卒業旅行で訪れたのは30年以上前のこと。“ナポリを見てから死ね”という言葉どおり、素晴らしいフォトスポットだった。治安が悪いから、という理由で写真撮影タイムのみで街を散策することは叶わなかったけれど、車窓から見て感じた街の匂い、空の色、海の色は憶えている。そんな情景を思い浮かべながら読み進めた。
 解説で金原ひとみさんが「この人生を生きていく、という強い意志を持つ彼女たちに魅了されると同時に、反発に近い嫉妬心すら抱いた。」と書いておられるが、主人公たちのその生きる力に大きなパワーをもらった1冊だった。

 投与翌日の出勤はやはりしんどい。気持ち悪いし熱っぽくて怠い。溜まったメールを片付け、午後からの会議出席のため、昼前に職場を出る。駅に到着すると私鉄が人身事故のため、止まっていた。運転再開までには小一時間かかるという。止む無く折り返し運転をしていた2駅先まで行き、そこから別の私鉄に乗り換えて向かうことに。副作用でろくに食事は摂れないとはいえ、昼食の時間がなくなってしまった。お茶だけ飲んで会議に出席。2つ連続して会議に出て、直帰させて頂いた。
 あと一日、なんとか頑張らなくては。

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2017.8.10 昨日の通院日に読んだ2冊と投与翌日の体調のこと

2017-08-10 21:32:10 | 読書
 昨日は2冊読んだ。8月になれば読みたくなる分野の2冊を手に取った。
 1冊目は石井光太さんの「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」(新潮文庫)。
 8月はどうしても戦争に関連したものの出版が多くなる。需要もあるのだろう。戦後72年、語り部の方たちに残された時間はそう長くはない。だからこそこれまで口をつぐんでいた方たちが今、伝えなければ、と発する言葉はあまりに重い。

 帯には「乞い、漁り、奪った。歴史の闇に葬られた戦争孤児 その凄絶な人生を描き抜く」、「いま過ごしている生活は、人間としての生活ではない。…人間らしい心になることが出来て死ねるということを、幸福に思って私は死んでいきます。(浮浪児の遺書より)」とある。
 裏表紙には「終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ…生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を打ってまでー。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。」。

 ノガミと言われた上野の地下道の辺りはリアルな土地勘があるし、子供の頃通った地下道の薄暗さもなんとなく漂うアンモニア臭も記憶にある。今では「浮浪児」「ルンペン」等という様々な差別用語を耳にすることはなくなったが、祖母や父からその言葉を聞いたこともある。何度もため息が漏れつつ頁を繰る手は止まらなかった。

 解説は「愛児の家」(児童養護施設)主任保育士をされている石綿裕さん(愛児の家を一人で切り盛りされたさたよさんの三女で、東京大空襲の20年3月、小学校卒業を控えた6年生だったというので母より1歳年上か)が書いておられるが、「家は助かったのだから、気の毒な子供たちをなんとかしなければ」の一言でこれだけのことが出来るのか、とその尊さに唸った。
 
 2冊目は須賀しのぶさんの「夏の祈りは」(新潮文庫)。
 こちらも今の季節にピッタリの作品だ。本作品は5つの短編から成り、帯には「絶対に忘れない。白球を追ったあの夏―。県立高校の野球部を舞台に、汗と泥の世界を繊細な感覚で紡ぎだす。感動の青春小説誕生!」とある。
 裏表紙には「文武両道の県立北園高校にとって、甲子園への道は遠かった。…先輩から後輩へ託されてきた夢と、それぞれの夏を鮮やかに切り取る」とある。
 解説で書評家の大矢博子さんが書いておられるが「高校は確かに三年間だけ。<最後の夏>は一生に一度だ。けれどその<最後の夏>は、何度も繰り返される夏でもある。本書を十年毎のクロニクルにした理由は、これだ。積み重なっていくもの。受け継がれていくもの。これが高校野球にしかな、最大の魅力なのだ。」は本当にその通りだと思う。

 読み進めながら5編がどんどん繋がっていく。ラストはこうなるのだろうな、という通りになったのだけれど、判っていてもそれをどんなふうに書いてくれるのだろうと思いながら先を急いだ。県大会優勝という悲願が叶うラストには、目の前が曇ってぼやけて仕方なかった。

 私自身にとっても高校野球の思い出は40年近く経っても鮮明だ。夏休みの暑い中、炎天下の球場までブラバンの応援で何度も出かけた。母校と同じ学校群だった高校が、私の浪人時代、後にも先にも一度だけ、甲子園で“都立の星”旋風を巻き起こしたのも懐かしい。これがもし母校だったら、予備校生であってもきっと応援に行っていたに違いない。

 息子の母校もちょうど彼が2年生の時、今はプロのピッチャーで活躍している同級生が甲子園の土を踏んだ。甲子園に応援に行った際に買ってきたペナントが、今も我が家に飾られている。今関西にいる彼にとっても甲子園は青春の思い出の場所だろう。
 そして今日も甲子園では熱戦が繰り広げられている。試合を見ると、どうも涙腺が緩くなっていけない。身体も心も発展途上の高校生の試合では何が起きるか分からない。だからこそ、ドラマが尽きない。青春、いいものだなあ、と50代半ばの私はしみじみ思うのだ。

 体調のことを少し。
 昨夜は、夕方仮眠したのが響いたのか、はたまた吐き気止めのステロイドハイなのか、ベッドに入ってから眠れないこと3時間。1時間のタイマーをかけたマントラのCDも終わり、再度セットする。2時間のお休みタイマーをつけたエアコンも切れ、さらに眼がギンギンの1時間を過ごす。かといって起き上がってリビングに行く元気もない。結局、3時間眠れたかどうか、だ。
 お腹の中を太い棒でこねくりまわされたような気持ち悪さで、右に寝返りを打っても左に寝返りを打っても身の置き所がない。気持ち悪い・・・。

 今朝は洗濯物を干し、適当に食べられるものだけお腹に入れて、常用している漢方やロキソニン、デノタスチュアブルに加えてドンペリドンと酸化マグネシウムを飲んで出勤。
 昨日の休暇で溜まったメールを、毎度おなじみ大車輪で処理する。どちらを向いても気持ちが悪い。ひたすら。早く帰りたい・・・と思いつつ、もろもろ処理して定時になんとか退散した。普段なら出勤日の明日、少しゆっくりしたいものだ。

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2017.6.15 昨日の通院日に読んだ2冊と本日の体調のこと

2017-06-15 21:05:11 | 読書
 昨日は治療の合間に2冊読んだ。2冊とも、この方たちの書くものなら面白くないわけがないと手に取ったもの。期待を裏切られず、あっという間に引き込まれ、堪能した。

 1冊目は原田マハさんの「あなたは、誰かの大切な人」(講談社文庫)。
 帯には「疲れた心に必ず効く、読む特効薬。まだまだ人生、捨てたもんじゃない。六つの小さな幸福の物語」とある。
 裏表紙には「年を重ねて寂しさと不安を感じる独身女性が、かけがえのない人の存在に気が付いた時の温かい気持ちを描く珠玉の六篇」とあるが、どのお話もじんわり心に沁みた。

 解説をフリーライターの瀧井朝世さんが書いておられるが、「生き方を自由に選べる。それはとても理想的なことに聞こえる。しかし、自由は時として孤独をともなうし、それなりの苦労だってある。世の中、生き方がひとそれぞれになってくると人の人生観も多様化するわけで、身近な人と分かり合えなくなったりもする。「人は結局一人なのだ」という言葉がふと胸をよぎるけれど、でも、だからこそ誰かと心と心が繋がる瞬間は奇跡的なものなのだ。その喜びを改めて感じさせてくれるのがこの短編集だ」とある通りじんわり沁みるタイトルである。

 アラフォーからアラフィフの女性たち6人。たとえばラストの「皿の上の孤独」の野中咲子は48歳。8年前にステージⅢBの乳がんを患い、再発を恐れながらも、今日を生き、明日を生きようと日々思いながら前に進んでいる。孤独の大切さや孤独を愛する人の豊かさを否定しない優しさのある物語である。

 そして瀧井さんがラストに書かれているとおり、“「自分は、自分の大切な人」ということ。自分と自分のこれまでを受け入れて、これからへと目を向けていく。その姿勢があるからこそ、人は本当に誰かのことを大切に思うことが出来るし、あるいは自分は誰かに大切に思われていることを信じられるのではないだろうか。・・・自分自身は最強の味方だ、という著者から読者への真摯なメッセージなのである”に同感だ。

 2冊目は小川糸さんの「にじいろガーデン」(集英社文庫)。
 小川さんの作品もいつも心温まる素敵なお話ではずれがない。そういえばテレビドラマで最近「ツバキ文具店」が放映されていた。原作のイメージ通り素敵なものに仕上がっていたと思う。「つるかめ助産院」も沖縄ロケが美しかったことを思い出す。
 そして今回は“にじいろ”がポイントになっている。LGBTのレインボーカラーがモチーフなのである。帯には「息子一人、娘一人、母二人。自由で新たな家族のカタチを目指してー。生きることの本当の素晴らしさを教えてくれる愛と再生の物語」とある。

 裏表紙の言葉を少し借りてご紹介すれば、「ひょんなことから知り合った泉と千代子。やがて二人は魅かれあい、お互いをかけがえのない存在と知り、家族としてともに歩むことを決意し、理想の地を求めて山里へ移り住む。沢山の喜びを紡いだ一家の軌跡を描く感動長篇」である。1章はカカ・泉の、2章はママ・千代子の、3章は息子・草介の、エピローグは娘・宝の語りになっている。

 あまりに切なく、辛いラストを迎えるのだけれど、それでも不思議と心が温かくなり、救いのある物語なのは小川さんの成せる技だと思う。

 投与翌日。体調は当然のごとく優れない。朝は果物とスムージー、ロールパンをひとつだけなんとかお腹に入れる。昨日処方された口腔内軟膏を塗るのが一苦労。ただでさえ気持ち悪いのに、上顎をティッシュで拭き取って乾燥させてから隆起部分に綿棒で塗る、という作業は普通でもオエッとするだろう。難儀だ。なんとなく熱っぽく顔が浮腫んだ感じなのはいつもどおり。

 それでも出勤すれば、あれやこれやとやることがあるので気が紛れる。ずっと家にいたら間違いなく横になって一日過ぎるだろう。ろくに食事もしないで。
 昼は具なしの冷麺をするすると。力仕事もするから、気持ち悪くてもお腹は空く。全く食べられないというわけではないから、半ば義務的にお腹に入れている。そんな食べ方なので、マグラックスを飲んでも今日はお通じがお休みだ。

 昨日で葛根湯を飲むのはやめたが、まだ鼻水はズルズルでティッシュは手放せない。私が風邪をうつした夫はあっという間に治ってしまったのに。基礎体力の違いを実感。
 今週は土曜日が出勤。あと一日頑張れば、といえないところが辛いところだ。せめて早く寝なくては。


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