昨日は2冊読んだ。8月になれば読みたくなる分野の2冊を手に取った。
1冊目は石井光太さんの「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」(新潮文庫)。
8月はどうしても戦争に関連したものの出版が多くなる。需要もあるのだろう。戦後72年、語り部の方たちに残された時間はそう長くはない。だからこそこれまで口をつぐんでいた方たちが今、伝えなければ、と発する言葉はあまりに重い。
帯には「乞い、漁り、奪った。歴史の闇に葬られた戦争孤児 その凄絶な人生を描き抜く」、「いま過ごしている生活は、人間としての生活ではない。…人間らしい心になることが出来て死ねるということを、幸福に思って私は死んでいきます。(浮浪児の遺書より)」とある。
裏表紙には「終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ…生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を打ってまでー。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。」。
ノガミと言われた上野の地下道の辺りはリアルな土地勘があるし、子供の頃通った地下道の薄暗さもなんとなく漂うアンモニア臭も記憶にある。今では「浮浪児」「ルンペン」等という様々な差別用語を耳にすることはなくなったが、祖母や父からその言葉を聞いたこともある。何度もため息が漏れつつ頁を繰る手は止まらなかった。
解説は「愛児の家」(児童養護施設)主任保育士をされている石綿裕さん(愛児の家を一人で切り盛りされたさたよさんの三女で、東京大空襲の20年3月、小学校卒業を控えた6年生だったというので母より1歳年上か)が書いておられるが、「家は助かったのだから、気の毒な子供たちをなんとかしなければ」の一言でこれだけのことが出来るのか、とその尊さに唸った。
2冊目は須賀しのぶさんの「夏の祈りは」(新潮文庫)。
こちらも今の季節にピッタリの作品だ。本作品は5つの短編から成り、帯には「絶対に忘れない。白球を追ったあの夏―。県立高校の野球部を舞台に、汗と泥の世界を繊細な感覚で紡ぎだす。感動の青春小説誕生!」とある。
裏表紙には「文武両道の県立北園高校にとって、甲子園への道は遠かった。…先輩から後輩へ託されてきた夢と、それぞれの夏を鮮やかに切り取る」とある。
解説で書評家の大矢博子さんが書いておられるが「高校は確かに三年間だけ。<最後の夏>は一生に一度だ。けれどその<最後の夏>は、何度も繰り返される夏でもある。本書を十年毎のクロニクルにした理由は、これだ。積み重なっていくもの。受け継がれていくもの。これが高校野球にしかな、最大の魅力なのだ。」は本当にその通りだと思う。
読み進めながら5編がどんどん繋がっていく。ラストはこうなるのだろうな、という通りになったのだけれど、判っていてもそれをどんなふうに書いてくれるのだろうと思いながら先を急いだ。県大会優勝という悲願が叶うラストには、目の前が曇ってぼやけて仕方なかった。
私自身にとっても高校野球の思い出は40年近く経っても鮮明だ。夏休みの暑い中、炎天下の球場までブラバンの応援で何度も出かけた。母校と同じ学校群だった高校が、私の浪人時代、後にも先にも一度だけ、甲子園で“都立の星”旋風を巻き起こしたのも懐かしい。これがもし母校だったら、予備校生であってもきっと応援に行っていたに違いない。
息子の母校もちょうど彼が2年生の時、今はプロのピッチャーで活躍している同級生が甲子園の土を踏んだ。甲子園に応援に行った際に買ってきたペナントが、今も我が家に飾られている。今関西にいる彼にとっても甲子園は青春の思い出の場所だろう。
そして今日も甲子園では熱戦が繰り広げられている。試合を見ると、どうも涙腺が緩くなっていけない。身体も心も発展途上の高校生の試合では何が起きるか分からない。だからこそ、ドラマが尽きない。青春、いいものだなあ、と50代半ばの私はしみじみ思うのだ。
体調のことを少し。
昨夜は、夕方仮眠したのが響いたのか、はたまた吐き気止めのステロイドハイなのか、ベッドに入ってから眠れないこと3時間。1時間のタイマーをかけたマントラのCDも終わり、再度セットする。2時間のお休みタイマーをつけたエアコンも切れ、さらに眼がギンギンの1時間を過ごす。かといって起き上がってリビングに行く元気もない。結局、3時間眠れたかどうか、だ。
お腹の中を太い棒でこねくりまわされたような気持ち悪さで、右に寝返りを打っても左に寝返りを打っても身の置き所がない。気持ち悪い・・・。
今朝は洗濯物を干し、適当に食べられるものだけお腹に入れて、常用している漢方やロキソニン、デノタスチュアブルに加えてドンペリドンと酸化マグネシウムを飲んで出勤。
昨日の休暇で溜まったメールを、毎度おなじみ大車輪で処理する。どちらを向いても気持ちが悪い。ひたすら。早く帰りたい・・・と思いつつ、もろもろ処理して定時になんとか退散した。普段なら出勤日の明日、少しゆっくりしたいものだ。
1冊目は石井光太さんの「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」(新潮文庫)。
8月はどうしても戦争に関連したものの出版が多くなる。需要もあるのだろう。戦後72年、語り部の方たちに残された時間はそう長くはない。だからこそこれまで口をつぐんでいた方たちが今、伝えなければ、と発する言葉はあまりに重い。
帯には「乞い、漁り、奪った。歴史の闇に葬られた戦争孤児 その凄絶な人生を描き抜く」、「いま過ごしている生活は、人間としての生活ではない。…人間らしい心になることが出来て死ねるということを、幸福に思って私は死んでいきます。(浮浪児の遺書より)」とある。
裏表紙には「終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ…生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を打ってまでー。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。」。
ノガミと言われた上野の地下道の辺りはリアルな土地勘があるし、子供の頃通った地下道の薄暗さもなんとなく漂うアンモニア臭も記憶にある。今では「浮浪児」「ルンペン」等という様々な差別用語を耳にすることはなくなったが、祖母や父からその言葉を聞いたこともある。何度もため息が漏れつつ頁を繰る手は止まらなかった。
解説は「愛児の家」(児童養護施設)主任保育士をされている石綿裕さん(愛児の家を一人で切り盛りされたさたよさんの三女で、東京大空襲の20年3月、小学校卒業を控えた6年生だったというので母より1歳年上か)が書いておられるが、「家は助かったのだから、気の毒な子供たちをなんとかしなければ」の一言でこれだけのことが出来るのか、とその尊さに唸った。
2冊目は須賀しのぶさんの「夏の祈りは」(新潮文庫)。
こちらも今の季節にピッタリの作品だ。本作品は5つの短編から成り、帯には「絶対に忘れない。白球を追ったあの夏―。県立高校の野球部を舞台に、汗と泥の世界を繊細な感覚で紡ぎだす。感動の青春小説誕生!」とある。
裏表紙には「文武両道の県立北園高校にとって、甲子園への道は遠かった。…先輩から後輩へ託されてきた夢と、それぞれの夏を鮮やかに切り取る」とある。
解説で書評家の大矢博子さんが書いておられるが「高校は確かに三年間だけ。<最後の夏>は一生に一度だ。けれどその<最後の夏>は、何度も繰り返される夏でもある。本書を十年毎のクロニクルにした理由は、これだ。積み重なっていくもの。受け継がれていくもの。これが高校野球にしかな、最大の魅力なのだ。」は本当にその通りだと思う。
読み進めながら5編がどんどん繋がっていく。ラストはこうなるのだろうな、という通りになったのだけれど、判っていてもそれをどんなふうに書いてくれるのだろうと思いながら先を急いだ。県大会優勝という悲願が叶うラストには、目の前が曇ってぼやけて仕方なかった。
私自身にとっても高校野球の思い出は40年近く経っても鮮明だ。夏休みの暑い中、炎天下の球場までブラバンの応援で何度も出かけた。母校と同じ学校群だった高校が、私の浪人時代、後にも先にも一度だけ、甲子園で“都立の星”旋風を巻き起こしたのも懐かしい。これがもし母校だったら、予備校生であってもきっと応援に行っていたに違いない。
息子の母校もちょうど彼が2年生の時、今はプロのピッチャーで活躍している同級生が甲子園の土を踏んだ。甲子園に応援に行った際に買ってきたペナントが、今も我が家に飾られている。今関西にいる彼にとっても甲子園は青春の思い出の場所だろう。
そして今日も甲子園では熱戦が繰り広げられている。試合を見ると、どうも涙腺が緩くなっていけない。身体も心も発展途上の高校生の試合では何が起きるか分からない。だからこそ、ドラマが尽きない。青春、いいものだなあ、と50代半ばの私はしみじみ思うのだ。
体調のことを少し。
昨夜は、夕方仮眠したのが響いたのか、はたまた吐き気止めのステロイドハイなのか、ベッドに入ってから眠れないこと3時間。1時間のタイマーをかけたマントラのCDも終わり、再度セットする。2時間のお休みタイマーをつけたエアコンも切れ、さらに眼がギンギンの1時間を過ごす。かといって起き上がってリビングに行く元気もない。結局、3時間眠れたかどうか、だ。
お腹の中を太い棒でこねくりまわされたような気持ち悪さで、右に寝返りを打っても左に寝返りを打っても身の置き所がない。気持ち悪い・・・。
今朝は洗濯物を干し、適当に食べられるものだけお腹に入れて、常用している漢方やロキソニン、デノタスチュアブルに加えてドンペリドンと酸化マグネシウムを飲んで出勤。
昨日の休暇で溜まったメールを、毎度おなじみ大車輪で処理する。どちらを向いても気持ちが悪い。ひたすら。早く帰りたい・・・と思いつつ、もろもろ処理して定時になんとか退散した。普段なら出勤日の明日、少しゆっくりしたいものだ。