ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.5.28 執着を手放すこと~死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33~

2017-05-28 21:22:44 | 読書
 ブログを愛読している緩和医療医の大津秀一先生が新刊を出されたことを知り、早速購入、拝読した。一気読みするのはもったいない、と思いつつも、とても読みやすく、頁を繰る手が止まらなかった。

 「終末期がん患者2000人に寄り添った医師が知る 死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33」(幻冬舎)である。
 以前、先生のベストセラー「死ぬときに後悔すること25」を拝読した時にもこのブログで紹介させて頂いたことがある
 帯にはこの“「死ぬときに後悔すること25」の著者がたどりついた本当に幸せな生き方。縛られていたものを捨てたとき、悲しみや切なさは消え、執着から解放される。”とある。

 今年の初め、瞑想ヨーガのインストラクターSさんから、今年は色々なものを上手に手放せるタイミングであると聞いた。不思議なことに、これまで何故か拘って手放せずにいたものを、割とすんなり解放することが出来ている。そして、とても楽に自由に、何よりとても生きやすくなっている。
 そんなわけで、この帯の惹句にも素直に頷かされた。

 「はじめに」で、先生が書かれている通り“気がつけば、私たちは様々なものにがんじがらめになって生きています。やらねばならない日々の仕事や家事、勉強や、下さなければならない判断、それを前にして悩むことなどにも多くの時間を費やしています。誰かや何かを失うことがあります。それは、生きていると頻繁に訪れます。けれども、縛られていたものを手放さざるを得なくなったとき、悲しみや切なさと同時に、過剰な執着や執心から解き放たれて、「自由になった」と感じることはないでしょうか。どこからか、自由を始めてみませんか”と。
 
 社会編で13、思考編で12、人間関係編で8つのエピソードが収められており、あわせて33である。新刊なので細かな内容に触れるのは控えるが、どれも、進行したがん患者さんたちの様々な尊い魂の叫びや気づきに満ち溢れている。

 ヨーガの智慧でもあることを、「おわりに」で先生が書かれていたのが印象的だ。
“自らの心が、実は心身を縛ってしまっているだけのことなのかもしれません。手を放してみれば、楽になるのに、自由になるのに。それを知っているはずなのに、それでも私たちはなかなか手放すことが出来ません。(略)33人の先輩たちは、自由になることを考えにくい状況から、少しだけでも自由になってみることを後に続く私たちに伝えました。彼らはそのことの大切さに気付いたのです。”と。

 自分を不幸だと思い込んでしまうのも自分だし、自分を幸せに出来るのは自分だけ。まさに自分を解き放てるのは自分だけなのである。
 だからこそ、遺された時間がごくごく短くなってからではなく、今から少しでも手放せるものを手放して自由になっておきたい、と強く思わされる1冊だった。

 明日は母の入院に付き添った後に仕事へ、そして明後日は手術の付き添いで1日休暇、水曜日は自分自身の通院日でまたしても休暇。ということで来週はドタバタと慌ただしくなりそうである。
 体調管理をしっかりしつつ、出来るだけ上手に色々なことを手放しながら、1週間を乗り切りたい。
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2017.5.18 昨日の通院日で読んだ2冊

2017-05-18 20:53:19 | 読書
 通院日のブログで、“明日以降ご紹介したい”と掛け声ばかりで、長いことアップ出来ずじまいになっていた読書レビュー。2か月ぶりにようやく昨日読んだ2冊のご紹介である。

 1冊目は今野敏さんの「自覚 隠蔽捜査5.5」(新潮文庫)。
 実を言うと、警察小説が滅法好きである。今野さんの作品は初めましてだったけれど、すっかりのめり込んでしまった。帯には「第2回吉川英治文庫賞受賞 信念のキャリア・竜崎伸也が7人の警察官を危機から救う。」とある。原理原則を貫く警察官僚の“上司にしたい男ナンバーワン”だそうだ。その竜崎氏の名言録がいくつか紹介されているが、実に恰好良い。一癖も二癖もある同僚、部下たちにことごとく好かれているのだからこれは本物だろうと思う。

 7編のうち唯一女性警視が主人公だったのが「訓練」。これも実に胸がすく思いだった。いいなあ、こんな上司!である。
 今回は長編ではないスピンオフでのハッピーな出会いをさせて頂いたけれど、是非ともこの隠蔽捜査シリーズを最初から読まねばなるまい、と思っている。実は職場では完璧の竜崎氏が、家庭ではからっきしダメダメだそうで、それもまた気になるではないか。

 2冊目は河野通和さんの「『考える人』は本を読む」(角川新書)。
 帯には糸井重里さんが推薦人として「河野さんは、読書の森の管理人だ。木も見て、なおかつ森を見ている人。」と記しておられる。「考える人」の編集長として本と向き合い続けて来た著者による極上の読書案内―とある。これはもう読まなければならない、と手に取った。

 本書は季刊誌「考える人」(新潮社)のメールマガジンに書かれた文章の中から選ばれた27回分の配信を加筆修正して再構成したものだそうだ。カバーの裏には「仕事も勉強も人間関係も、困ったときにはまず「検索」。便利さとひきかえに失っているのが、自ら考える時間かもしれません。読書の海を泳ぎ続けて来た著者が「考える」をテーマに25冊を厳選、きっと大切な1冊に出会えます。」とあったが、実際どれもこれもとても素晴らしかった。

 恥ずかしながら「本の世界に浸れる、考えるきっかけになるとっておきの25冊」のうち実際読んだことがあったのは僅か2冊だったけれど、ああ、読んでみたいと思わせる文章ばかりでため息連発。

 読書を考える、言葉を考える、仕事を考える、家族を考える、社会を考える、生と死を考えるの6章から成るが、冒頭の“読書を考える”にあった「〆切本」では大いにニヤリとし、“仕事を考える”の「姉・米原万里」「夜中の電話-父・井上ひさし 最後の言葉」ではそこかしこでうるっとし、最後まで読み切って心がとても温かく豊かになった気がする。
 やはり、読書はやめられない。
 
 今日は生きていれば父の89歳の誕生日。いつかも書いた記憶があるけれど、我が家の誕生日は面白い並びをしている。父の誕生日が5月18日、私が6月17日、母が7月16日。5、6、7月と続き、18日、17日、16日と続く。どちらも真ん中にあるのが私の誕生日というわけである。そんなわけで、父の誕生日が過ぎれば私の誕生日まであと1か月を切ったということだ。いよいよ56歳までカウントダウンである。
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2017.3.16 昨日の通院日に読んだ2冊

2017-03-16 21:16:13 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は樋野興夫さんの「いい人生は、最期の5年で決まる」(SB新書)。
 樋野先生には昨年、患者会の勉強会でお目にかかる機会に恵まれた。著書にサインを頂き、ツーショットも撮って頂いた。あのお優しい語り口がそのまま読みやすい文章になっており、驚くほどスルスルとストレスフリーに読めてしまった。

 裏表紙には「私は、2008年1月に『がん哲学外来』を創始しました。薬や医療ではなく、言葉の力だけで患者さんと向き合うようになって、9年が経とうとしています。これまで言葉の処方箋をお出しした患者さんと家族は3000人を超えます。多くの患者さんと出会う中で、私は『いい人生』とはどんなものか、考えてきました。生きるとは何か。死ぬとはどういうことなのか。この本は、その問いに対する集大成のようなものです。」とあるが、本当にそのとおり。

 読み終えた時に、いつのまにか癒され、自分の顔つきが変わっているのを実感した。詳しい内容はここでは触れないけれど、もし宜しければ是非ご自身で体感して頂ければと思う。

 2冊目は久坂部羊さんの「芥川症」(新潮文庫)。
 久坂部さんの本は以前「ブラックジャックは遠かった」で阪大医学部時代を回顧した青春エッセイを愉しんだのが記憶に新しい。
 今回は“「他生門」、「耳」、「クモの意図」、あの名作が医療エンタテインメントに!現役医師がブラックに生老病死を抉る全7篇”という帯を見て、思わず手に取った。

 そう、題名からして「芥川賞」をもじっている。芥川の作品にインスパイアされた短編集なのだけれど、どれもこれも“前代未聞の医療エンタテイメント、黒いユーモアに河童も嗤う”というコピーのとおり実に面白く頁を繰った。

 「父の死因とはいったい何だったのか?食い違う医師・看護師の証言。真相を求め息子はさまよう「病院の中」(←「藪の中」)から始まり、「羅生門」は「他生門」となり、「鼻」は「耳」に変わり、「蜘蛛の糸」は「クモの意図」になり、「地獄変」は「極楽変」になり、「芋粥」は「バナナ粥」となり・・・最終話は「或阿呆の一生」が「或利口の一生」に。もちろんどれもこれもタイトルだけを借りただけに留まらず、実にお見事に変身している。

先日、日本医療小説大賞を受けたという「悪医」も文庫になっていたので、買い求めてきた。今から読むのが愉しみである。

今年から通院日が増えたのは嬉しいことではないけれど、普段なかなか電車に乗る機会のない私にとって、読書の時間が増えたことは唯一嬉しいことである。

 帰省中の息子のこと。
 昨日は花粉症の薬を頂きに耳鼻咽喉科クリニックへ、今朝はほぼ1年ぶりに歯科クリニックへ、と無事メンテナンス完了。
 新しい下宿界隈でクリニックを新規開拓するよりも、子供の頃から慣れ親しんだクリニックの方が敷居が低いということか。
 それでも花粉飛散期間全てにわたる薬を出して頂けるわけでなし。今年は関西が特に花粉飛散量が多いようなので、戻ってからもちゃんとケアしてくれればよいのだけれど。

 そして今日は、最近体調不良で実家に行けていない私の名代で実家詣で。母とランチ、夕食をともにしてもらった。
 何か出来るお手伝いをすれば、と送り出したのだけれど、まあ一緒に炬燵に入ってお喋り相手になること自体がお手伝いなのかもしれない。
 明日は高校時代のお友達と都心で再会の予定だそうだ。
 あっという間に逗留予定の1週間が過ぎていく。


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2017.3.9 昨日の通院日で読んだ2冊と、ジェムザール3回目投与翌日の体調のことなど

2017-03-09 21:19:59 | 読書
 昨日は新書と文庫が1冊ずつ読めた。
 1冊目は、佐藤優さんの「嫉妬と自己愛 『負の感情』を制した者だけが生き残れる」(中公新書ラクレ)。
 帯には「職場で、家庭で、人間関係に苦しんでいるあなたに-“困った人”への対処法を伝授 相手のコンプレックスに触れるな! 一人の部下をみんなの前で褒めるな! 『嫉妬をしない人』ほど気を付けろ!」と何やら穏やかでない字が躍っている。

 そして、人間関係に強くなるには優れた小説を読め!とある。さらに“「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で自己愛を学び、「いなか、の、すとーかー」でストーカーの怖さを知り、「それから」で男の嫉妬を理解し、「ナイルパーチの女子会」で友情について考え、「伊藤くんAtoE」でダメ男に憤り、「コンビニ人間」で自己愛ゼロ人間に出会う”とある。

 外交官時代に見聞きした「男の嫉妬」、作家として付き合う編集者たちに感じる「自己愛の肥大」。自分自身を制御できない人たちは、やがて周囲と大きな軋轢を起こす。彼らにどう対処すべきか。自分がそうならないためには何をすべきか。小説や、専門家との対論などを通じた嫉妬と自己愛の読み解きである。

 1時間半ほどで一気に読み終えた。佐藤さん節全開でテンポよく、実に面白かった。今回紹介されていた本は全て読んでいるわけでないが、なるほどな、と思うことがあちらにもこちらにも。こうして長くブログを書いていることで経験したこと(ストーカーとまではいかなかったけれど)でも思い当たることが多かった。
 ヨーガの学びを続けることで色々なネガティヴな感情がなくなっているのだが、かえって注意しなければならないこともあるということにも改めて気づかされた。

 2冊目はH.S.クシュナー著/松宮克昌さん訳の「私の生きた証はどこにあるのか 大人のための人生論」(岩波現代文庫)。
 帯には「『なぜ私だけが苦しむのか』の著者が生きる意味に飢え乾く人に贈る名著」とある。裏表紙には「私がこれまでしてきたことには、どんな意味があったのだろうか?-人生後半にさしかかった人々がしばしば襲われる、こうした空虚感を埋めるには、どうすればよいのか。世界的ベストセラー『なぜ私だけが苦しむのかー現代のヨブ記』の著者が、旧約聖書、ゲーテ、ユング、ピアジェ、・・・など古今の名著や数々の実例を引用しつつ、真に充実した人生とは何かを問い直し、生きる意味に飢え乾くすべての人々の悩みにこたえる。現代文庫オリジナル版」とある。

 これまでの12年余にわたる病との共存生活は、自分としてはその時その時を精一杯、後悔することなく進んできた。そして、今はヨーガとの出会いにより生きる意味を問いつつ飢え乾くわけでもない。けれど、だからこそ、あえて手に取った。

 訳者の松岡さんがあとがきで書いておられるが、本書は1985年に著者が50歳の時に書かれたもの。ちょうど私が働き始めた年だ。「今の時代には古すぎる」と少なからぬ出版社から翻訳を断られ続け、十年余の年月が流れたという。今回、岩波現代文庫として我が国でもようやく日の目をみることになったことを嬉しく思う、とある。そして「本書が取り上げるテーマは決して日本人の読者にとって縁遠い、いわゆる『あちらの古い話』ではなく、むしろ、今日を生きる人々の思いに重ね合わせることが出来る」と書かれている。

 そう、全く古びていない。それどころか充分に今に通じるものだった。1985年、大学を卒業したばかり、希望通りの職を得て働き始めた23歳の私がこの本を手に取ったとは思えない。今だからこそ、こうして長く病と共存し、当初は迎えることが出来なかったと思っていた55歳という年齢を重ねることが叶った今、人生の後半というか、むしろ終わりの時間に差し掛かっている今だからこそ、出会えた1冊であり、心に染み渡る1冊だったのだと思う。

 昨夜はだるさと熱っぽさのためブログをアップした後、すぐに入浴。べッドになだれこみ、明け方まで目覚めることなく5時間ほど連続で眠ることが出来た。さすがに夕食抜きだったので、空腹感はあったが、朝食は普段の半分程でやめておく。アロキシのおかげで、吐き気止めを飲まなければとても食事が摂れないというわけではないが、前回同様早くも便秘である。こちらがなんとも気持ち悪い。

 朝は会議のため2時間以上電車に揺られて出張先へ直行。午前中に会議と打ち合わせを終え、途中乗換駅でランチ。空腹だが、やはり気持ち悪さが勝る。ナウゼリンを飲んで落ち着かせてからリゾットをお腹に入れる。食後はマグラックス。職場に戻り、昨日から今日にかけて溜まったメールを大車輪で処理。夕方からもう一つの会議に出る。

 夫が午後休暇を取って確定申告に行ってくれた。昨年の我が家の医療費総額は3割負担で240万円弱。そのうち私の支払い分が210万円を超え、9割を占める。けれど、昨年は夫の入院・手術があったからで、これがなければ例年9割5分が私、である。先日7割を負担してくれている共済組合からも支払総額通知が来て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 そんなわけで夫が早めに帰宅して、夕食の支度は任せてと言ってくれたので、1時間ほど残業して帳尻を合わせた。だるさがあり、なんとなく熱っぽくて顔がほてっているのは前回と同じ。

 夕飯は夫特製の煮込みうどんをちょっぴり。やはりナウゼリンとマグラックスを食前食後に内服。お腹も出していいのか止めていいのか、どうしていいのやら大変である。
 毎度のセリフだけれど、明日を乗り切れば、土日に突入である。

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2017.2.23 昨日の通院日に読んだ2冊

2017-02-23 21:27:46 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は又吉直樹さんの「火花」(文春文庫)。
 言わずと知れた第153回芥川賞受賞作。月末からはNHKドラマ放映されるともいう。何より話題作だったし、文庫になったら読もうと思っていた。書店で平積みされているのを見つけ、迷わず手に取った。

 ドラマ化のタイミングでスペシャルカバーがついていた。「狂おしいほど純粋すぎる、この二人。」とある。裏表紙には「売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描き切ったデビュー小説。芥川賞受賞記念先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描き切ったデビュー小説。芥川賞受賞記念エッセイ『芥川龍之介への手紙』を収録。」とある。

 実は私はいまだ又吉さんのお笑いコンビ「ピース又吉」さんとしての姿を見たことがないのだけれど、お笑いという世界が大変な世界であるには間違いないだろう。もちろん、どの世界も大変でないところはないのだろうけれど、「笑い」を職業にすることは極限まで自分を追い込み、身を削ることなのだろう、というのは凡人の私にもなんとなくわかるような気がする。主人公徳永の18歳から28歳の10年間、そして4つ先輩の神谷の同じ10年間。ラストシーンにも圧倒された。
 私にとって土地勘のある懐かしい街も随所に登場するこの原作が、ドラマでどう料理されているのか日曜日からが楽しみである。

 2冊目は瀬尾まいこさんの「春、戻る」(集英社文庫)。
 瀬尾さんの小説は何冊目だろうか。いつもほっこりさせて頂くので、今回も春らしい装丁を見て、思わず手に取った。
 帯には「突然現れた“おにいさん”は年下のひとでした。結婚前夜、心の奥をくすぐるハートフルストーリー」とある。ふむふむ、最初からいったいどういうこと?という出だしである。

 裏表紙には「結婚を控えたさくらの前に、兄を名乗る青年が突然現れた。どう見ても一回りは年下の彼は、さくらのことをよく知っている。どこか憎めない空気を持つその“おにいさん”は、結婚相手が実家で営む和菓子屋にも顔を出し、知らず知らずのうち生活に溶け込んでいく。彼は何者で目的は何なのか。何気ない日常の中からある記憶が呼び起こされてー。今を精一杯生きる全ての人に贈るハートフルストーリー」とある。

 するすると読み終わり、読後感は実にさわやか。書評家の江南亜美子さんが解説を書いておられるが、「登場人物たちの善人さは、非現実的に思われるかもしれない。しかし隠したり忘れたりしたい、しんどい記憶がひとつもない大人などいない(お兄さんだって相当な過去の持ち主だ)以上、そこから解き放たれる希望を見せてくれる本書は、大人の読者にこそ沁み入るはずだ。人生の滋味。瀬尾まいこの作品がひろく支持される理由はおそらくそこにある。」と結ばれている通り、気づけば元気が出る、旅立ちの春に相応しい物語だった。

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