ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.11.13 たとえそこに山があっても・・・~エベレスト3D~

2015-11-13 21:43:17 | 映画
 大迫力!という前評判につられて、自分では一生拝むことのないだろう景色を3Dで愉しむのも良いかもしれない、と標題の映画を観て来た。

 私は寒がりだし、今では“寒い→痛い→調子悪い”の一連のネガティヴ回路が出来上がってしまっているから、もう見ているだけで震え上がった次第。

 「Why?」と訊けば「It's there!」と答える山男、山女たちがいるけれど、世界の殆どの人たちは実際にこの山に登ることとは無縁だろう。8,848メートル、まさしく酸素ボンベがなければ死に直結する“デス・ゾーン”である。
 私は春・秋の季節の良い時期に出かけた小学校遠足の、高尾山レベルのハイキングでさえ顎を出していたクチだし、若かりし頃「私をスキーに連れてって」が流行った時分、ミーハーにも数回スキーに出かけたことがあったけれど、いざ天気が悪くなり、雪が舞い、寒さに震える事態になろうものなら涙と鼻水を流しながら、体中で「なぜ私はこんな所にやってきたのだろう・・・」と後悔しまくったものだ。
 だから、たとえそこにあろうと、決して冬山に登ろう!などとは思わない。

 もちろん、神の領域とも思えるその景色を目の前にしたら・・・ということなのかもしれないけれど、6週間にわたる6万5,000ドルという破格のツアー料金を捻出するために、仕事もかけもちして資金調達に励み、家族との人間関係を壊すことも恐れずに果敢に挑戦する登場人物たちには、頭が下がる、というよりもむしろ私の理解を超えている。
 何より文字通り命がけなのである。延命のために3週に一度、3割負担で15万円の治療を続けている身としては、それだけのお金を払って自らの命を危険に晒す人がいるというのは微妙な気持ちになる。

 これは1996年5月10日に登頂した人たちの実話に基づいたストーリーだけれど、登山ガイド会社を営む主人公を初め、別部隊の隊長を含む数名が命を落とすのである。アクシデントが重なり、ここまで来たのだから、これが最後のチャンスだから、と下山予定時刻を遅らせたばかりに・・・。
 撤退する勇気、名誉ある撤退は絶対にあるのだと思う。とはいえ、その場に居合わせたら、登頂を請け負った主催者として、その決断が本当に出来るかどうか・・・自信がない。

 パーティの中にワセジョの難波康子さんがいらしたことは、恥ずかしながら全く知らなかった。1949年の早生まれで当時47歳だから、今ご存命なら66歳。世界の6大陸最高峰を制覇し、7つ目、最後がこのエベレストだったという。日本人女性として2番目(1番目は田部井淳子さん)に登頂に成功はしたものの、下山途中の猛吹雪のため、キャンプまで僅か300メートルという所で、辿り着くことが出来ず、凍死されている。

 ふと、なぜ、こんな大きな事件が全く記憶にないのだろうと不思議に思った。
 1996年5月10日といえば、息子を出産して3ヶ月余り。産休明けの3月末に職場復帰し、朝も夜も24時間コンビニ状態の慣れぬ母業でヘロヘロ。社会情勢をキャッチする余裕すらなく、新聞を読み、ニュースを見る時間があればただただ眠りたかった、といったところか。それ以来やけに子ども番組に詳しいのもお笑いである。

 3Dメガネをかけて観る映画はもともと好きではない。なんといっても暗い中で目が疲れる。「アバター」の時はあまりに綺麗で、これは3Dで観なければと思ったけれど(実際、テレビ放映された時にはこの感動は全くなかった。)、今回はなんとしても3Dでなければ、というほどの醍醐味はなかったように思う。と同時に、目の疲れもそれほどでもなかった。これは画像もメガネも進化したということか。

 残念ながら、私にとっては猫に小判の映画だったけれど、山岳モノがお好きな方にはたまらない1本だろう。実写なのかCGなのか、本当に分からなかった。たとえ自分で登ることは出来なくとも、一緒に登頂追体験の感動は間違いないと思う。


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2015.8.25 残暑吹っ飛びます!~ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション

2015-08-25 20:51:55 | 映画
 トム・クルーズのスパイアクション「ミッション:インポッシブル」のシリーズ第5作である表題作を見た。
 今回のタイトルである「ローグ・ネイション」とは“ならず者国家”という意味らしい。この手のジャンルは夫の趣味・・・というのは疑うべくもないのだけれど、心臓に悪いといいつつ実は私にとってもかなりストレス解消になるので、本シリーズは夫と一緒に全て楽しませて頂いている。今回は文字通りこの暑さをぶっ飛ばすために見逃せない作品だった。

 CIAやKGBなど各国の元エリート諜報部員が結成した無国籍スパイ組織「シンジケート」の暗躍により、イーサン・ハントが属するIMFはまたしても解体の危機に陥る。組織の後ろ盾を失いながらも、イーサンは仲間とともに世界の危機を救うため史上最難関のミッションに挑む。
 離陸する軍用機のドア外部に張り付き、時速400キロで高度1500メートルに上昇する機体内へ侵入するというアクションを、クルーズがスタントなしで演じているシーンが撮影時から話題になったものだ。NHKの朝のニュースでもインタビューを受けていた。
 そのシーンがいきなり冒頭に登場する。そのまま画面に釘付けにされ、あとはノンストップで、もうドキドキハラハラのしっぱなしの2時間ちょっと。
 間違いなく“暑さ、吹っ飛びます!”である。

 それにしてもトム・クルーズも御年53歳。どれだけ鍛えているといってもあんなに命知らずで身体を張って大丈夫だろうか・・・と同年代の私としては思わざるを得ない。観る方はどんどんエスカレートするアクションにすっかり慣れてしまうから、もっともっと・・・となるけれど、役者さんたちはシリーズの作品ごとに歳を重ねるわけだから、本当に大変だな・・・と心配になってしまう。
 これは先日観たターミネーターの新作もしかり。こちらはシュワちゃんが30年分歳をとって、とても人間らしく「オジサン」と呼ばれてキュートだったけれど・・・。

 新ヒロインのスウェーデン出身の女優さんもどれだけ強いのだか・・・。バイクのシーンなどは心臓バクバク。冒頭のシーンだけでなく、ウイーンのオペラハウスの舞台裏であたかもスパイダーマンのごとく飛び回り、潜水シーンでは酸素不足でもはやこれまでと死にかけ、さらにはバイク転倒シーンではノーヘルメットだったのになぜか骨折もしないで・・・などなど、ため息が漏れる見所はこれでもかこれでもか。

 冷静に考えればあまりに不死身すぎるでしょう、と突っ込みを入れたくなる所もあるけれど、ここは是非何も考えずにこの世界に浸ってください、残暑吹っ飛びます、とご紹介したい。

 昨日、今日とまるで一足飛びに秋がやってきたかのような涼しさ。台風が近づいている所為だろうか。夜も暗くなる時間が早くなり、あんなに暑い暑いと顎を出して文句を言っていたのに「もう暑くならないの?」と思ってしまう。
 なんとも勝手なものである。
 そんな折りに残暑吹っ飛びます・・・もあったものではないが、もしまだ暑い思いをされている方がいらっしゃるとしたら、どうぞお楽しみください。

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2015.7.16 たとえ私の記憶は失くなっても・・・~アリスのままで~

2015-07-16 20:49:10 | 映画
 ジュリアン・ムーアがアカデミー主演女優賞を獲得した映画「アリスのままで(原題:STILL ALICE)を観た。こういうジャンルの映画には夫は決して付き合わないので、お一人様での鑑賞である。

 途中から、ノンフィクションを見ているような錯覚に陥り、演技とは思えないリアリティをもって眼前に迫ってくる、ムーアの迫真の演技に圧倒された。他の闘病もののように、介護をする家族やケアする人の目線からではなく、徹頭徹尾、どこまでも発病した主人公・アリス本人の目線で映画は進んだ。

 アリスは著名な言語学者であり、3人の子どもに恵まれ(法科大学を卒業して幸せな結婚をした長女と医学院生の長男。大学に行かず演劇を志す次女だけが不安の種だ。)、夫に愛され、いわば地位も名誉も家族も、全て手に入れた女性。その人生の絶頂とも思える50歳の誕生日を迎え、家族揃っての乾杯シーンから映画は始まる。

 大学での講演で突然言葉が出てこない、学内をジョギング中にいきなり迷う・・・そんなトラブルが起こり始め、彼女は夫に内緒で神経科を受診する。検査の結果、若年性アルツハイマー症という診断を受ける。その衝撃。今まで築き上げてきたものが何もかも奪われてしまうという恐怖。
 病は家族性であり、子どもたちにも50%の確率で遺伝し、その場合100%発症する、というショッキングな事実。しかも、高度に知的な人ほどその進行が速いという皮肉。現代の医学では進行を妨げることは出来ない。

 パンフレットの中で、同じ若年性アルツハイマー病をテーマにした「明日の記憶」(渡辺謙さんと樋口可南子さんが夫婦役で2006年に映画化された。)の作者である荻原浩さんが書いておられるが、この病気は遺伝子検査で予測だけは出来るようになったものの、治療面では10年前に比べて殆ど改善していないのだ。

 無情にも病気は進行していく。教鞭を取っていた大学を追われ、自宅で過ごす生活が始まる。その日によって体調のアップダウンはあれど、良くなっていくことは決して、ない。自分が分からなくなった時のために、彼女はあるビデオメッセージを自分に向けて残す。それを見る段階まで病が進行した彼女と、病が分かった頃の画像の中の彼女が同一人物とは思えない。その変貌に胸が苦しくなり、圧倒される。

 同じく研究者である夫は、自分が今迄の人生で出会った最も美しく聡明な女性がアリスだという。誰よりも知的だった愛する妻が自宅のお手洗いの場所すら分からなくなる。どうしてそれを受け入れられるだろうか。
 葛藤の末、彼は妻の介護を放棄して新天地でのキャリアアップを選び、次女が、住み慣れた自宅で母アリスを介護することになる。その夫が「君は僕よりもいい人間だ」と涙ながらに次女を抱きしめて家を出るシーンが切ない。けれど、愛する妻の変貌をどうしても受け容れることが出来なかった夫をどうして責められようか、とも思う。

 映画に込められた、自分自身が自分の記憶を失くしても、周りの人たちが私のことを覚えている限り、私はずっと生き続け、決してその生きた証がなくなることはないのだというメッセージ。
 人はたとえどんな姿になろうと、今ここにいる瞬間(here and now)を精一杯生きている限り、役割はあり、その人の記憶はその人が愛した人たちに息づいているのだということか。

 それにしても、やはり切ない。
 監督のリチャード・グラッツアーは4年にわたるALS闘病生活の末、今年の3月、63歳の若さで亡くなったという。若年性アルツハイマー病とALSとは違う病ではあるけれど、自分の意思で動くことが出来なくなるという恐怖は同じだろう。

 がんなら良かった、とヒロインが呟いた時は心がチクリと痛んだ。アリスが呟いた「がんだったら良かった、ピンクリボンをしていれば、恥ずかしくない」という台詞は、私に辛く複雑な思いを抱かせる。確かにがんはこの10年で飛躍的に治療薬の選択肢が増えているのだけれど・・・。

 それはともかく、自分が自分でいられる限り、今ここにある日々を精一杯生きなければいけないのだ、と思わされた2時間弱だった。
 重い映画なので、是非楽しんで!というご紹介はとても出来ないが、家族についても自分自身についても、静かに見つめ直すことが出来る1本なのではないだろうか。

 台風11号の影響で朝から土砂降りの雨と風。レインコートと長靴の重装備で出かけたが、雨は止んでも風は残り、ものすごい湿気。サウナにいるようで消耗が激しい。
 職場では幹部異動があり、定例の会議がありで終始ドタバタ。あっという間に7月も後半だ。

 さて、昨日、これ以上酷くなりませんように、と書いた手足の痺れと痛みのこと。長靴の圧迫が良くなかったのか、足の裏が一面真っ赤で発熱している。チリチリビリビリと痛む。こんなに突然悪化するとは思わず、見込みが甘かった。カドサイラ(T-DM1)はゼローダのような飲み薬でもないし、自分では如何とも調整しがたいトホホな事態である。




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2015.1.30 不正は許さない!~トラッシュ!この街が輝く日まで~

2015-01-30 19:43:30 | 映画
 夫と2人で標題の映画を観た。
 ブラジルが舞台で、少年たちが活躍する映画・・・ということ以上のことは知らずに映画館に出かけたのだが、大当たりだった。
 スラム街が舞台ということで、かつて観た「スラムドック・ミリオネラ」のようなファンタジーをイメージしていたのだけれど、実際は手に汗握るスリルとサスペンス。
 2時間弱、時間を忘れて思いっきりドキドキハラハラさせられたけれど、観終わった後は、希望のあるラストシーンに心地よい疲れで、満足感一杯!という1本だった。

 舞台はブラジル・リオデジャネイロ郊外。ゴミ山で金目の物を探し、その日その日を精一杯生きる少年たちは皆14歳。我が日本では“魔の14歳”とか、“中2病”とか言われる難しいお年頃だけれど、映画の中の彼らの生活は実に過酷だ。自分たちでは選ぶことの出来ない生まれた国や環境により、子どもたちの運命は本当に雲泥の差なのだ、と唸らされる。私だったらとても生きていけないだろう、自然淘汰だな、と下を向く。

 ある日主人公ラファエルが、ゴミ山の中からひとつの財布を拾う。記憶力抜群の相棒ガルドと下水管で暮らすラットの3人は、財布に隠された重大な秘密を明らかにしようとするのだが、その所為で命を狙われることに。半殺しの目に遭いながらもその良心に従い、真実を明かそうとする少年たちに、汚職にまみれた警察の容赦ない追跡の手が伸びる。その背景には、迫りくるブラジルオリンピックにまつわる不正の影が透けて見える。
 いってみれば少年たちが拾った財布は世界の“希望”が詰まったものなのだろう。ガルドの言葉を借りれば“貧乏人はゴミ同然の扱いを受ける”という絶望の街で見つけたこの“小さな希望”を頼りに、街全体に輝く奇跡を起せるのかというストーリーなのである。

 スクリーンで躍動する圧倒的な生命力に溢れた3人の少年を演じたのは、オーディションで選ばれた無名の少年たちだという。ごくごく自然な演技で、観る私たちを魅了する。
 肉親からも世間からも見放された子どもたちを優しく導きたいと願いながら、立ちはだかる現実との葛藤の中にあるアメリカ人神父、母親のように彼らを見守る若き女性オリビア。豪華なキャストが脇を固めており、その人間味溢れる存在感で物語に深みを持たせている。

 クライマックスの暗号解きシーンにもドキドキハラハラのしっぱなしだったが、物語のキーとなる6月17日に丸がついたカレンダーに、自分の誕生日を見つけて、ちょっとびっくり。これには夫も「6月17日だったね~」と気づいたようで、なんとなく+αのオマケを頂いた気分。

 さて、2020年、5年後に迫った東京オリンピック。その頃まで命が繋げているかどうかは神のみぞ知る、であるが、巨額のお金が動くのは必至だろう。こんな不正や収賄が行われるのは映画の上だけであることを切に望みたい。

 今日は息子の誕生日。彼が生まれて初めて一人で迎える誕生日だ。10代最後の年、19歳になった。昨年の今頃はまさか翌年の誕生日に彼が自宅にいないなどとはゆめゆめ思っていなかった。あっという間の巣立ち、そして1年だ。
 今日は予報通り朝から雪。「誕生日おめでとう」のLINEを送ったついでにベランダからの雪景色の写真を送ったところ、「気をつけて」と返ってきた。今日で学年末試験等も終わり、部活とバイトを終えて来週末に帰省するようだ。
 経済的な心配をしなくてよい学生生活を送ることが出来ることに感謝し、“不正は許さない”という気概を持って映画の少年たちのように逞しく生きていってくれたら、と思う。

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2014.11.21 ドラマ、文庫、映画~紙の月

2014-11-21 23:24:47 | 映画
 映画「紙の月」を観た。
 以前このブログでも紹介した「八日目の蝉」の時と同様、まずTVドラマを視、原作を読み、映画で仕上げ、というトリプルパターンである。
 本作も私が好きな作家・角田光代さんの原作。

 今年の初め、原田知世さんがヒロインの梨花役で、NHKドラマ化された。「41歳主婦、一億円横領」というキャッチコピー。5回連続だったから、計4時間を優に超えるボリュームだった。早く原作を読みたかったが、文庫が出るまで・・・とじっと我慢して、発売早々買い求め、どんどん加速していく主人公の破滅へのストーリーを一気読みした。
 あぁ、この描写があのシーンだったのか、と思い出しながら。そう、ドラマは今回も実に原作に忠実に作られていた。

 映画「私をスキーに連れてって」であれほど可愛らしかった原田さんが、こういう役を演じるようになったのだな、としみじみ思ったドラマだったが、清楚な彼女だからこそ、そのギャップを堪能出来たのだろう。
 そして今回、7年ぶりの映画主演という宮沢りえさんがヒロインを演じる予告篇を見て、封切りを楽しみにしてきた。

 「紙の月」といえば英訳は“Paper Moon”。かつてあのテータム・オニールが史上最年少でアカデミー賞助演女優賞を受賞したアメリカ映画と同じ題名だ。が、「紙の月」のパンフレットには“Pale Moon”とあった。“蒼い月”だろうか。
 映画の中で、主人公が初めて朝帰りをする時、見上げた空に透き通るように浮かぶ月、なぜか彼女がこれを指でなぞると消えてしまう。青白い三日月よりももっともっと細い月、まさにこの物語を象徴的に表すシーンだった。そう、今から起こることは全て、現実ではない、というような。

 映像は2時間を超えるものだったが、とにかくスピード感に溢れ、私もその展開と一緒に走り切って、エンドロールでは息も絶え絶え・・・という感じだった。主人公の友人たちの描写を交互に読ませる原作とは違い、ひたすらヒロインの生活-銀行と恋人と-に焦点を絞った大胆な作り。原作には登場しなかった女性銀行員2人が、それぞれヒロインに大きな影響を与えることになる。

 それにしても、フランス人形のように可愛かった宮沢さんが41歳になるというのだから、一回り上の私が歳をとるのも当然だわ~、などとどうでもいい感想を持ちながら、彼女の、華奢な体を感じさせない体当たりの演技-ラストはアスリートさながらひたすら走り続ける-に圧倒された。
 どんどん大胆に、そして透き通るほど綺麗になっていきながら、色々なハードルを軽々と超えてしまう、その過程にも目を見張った。
 まさしくコピーどおりの「最も美しい横領犯」!
 恥ずかしながらAKB48の誰が誰だかさっぱり見分けがつかない私だけれど、卒業生であるという大島優子さんもイマドキ(といってもバブル崩壊後、1994年の設定)の若い窓口係という面白い役を演じていたし、勤続25年の古参銀行員を演じた小林聡美さんとヒロインのラストの対決シーンは息苦しくなるほどの緊迫感。彼女の「お金で自由にはなれない」という言葉が重く響いた。

 今回の映像で、日々、他人(ひと)様のお金を数えながら、だんだんお金がただの紙切れに見えてくる、感覚が麻痺していくことに背筋がゾワゾワしてくる。ああ、あの時、内定を頂いた銀行に就職していなくて良かったのかも、などと思ってしまうのである。
 本作は“女”の物語、であるけれど、男性軍もしっかと脇を固めていた。
 ドラマも文庫も映画も、三者三様、どれも愉しめる作品である、と思う。
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