生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

1882 ・オリンピック熱をあおっての愚民化が加速しています

2014-02-16 08:19:56 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信1882(140216)をお届けします。

・オリンピック熱をあおっての愚民化が加速しています

 日本の今の報道空間はオリンピックにオキュパイされた状態です。個人的にいえば、「いい加減にしてくれ。うんざりだ」です。

 たしかに若い人が長い時間、努力を重ね、鍛えに鍛えて、大きな高みにたどりついたとき、そこには大きな感動が生まれます。心からの拍手をおくり、偉業を称えるのも自然な感情だと思います。

 それにしても、それにしてもですよ、最近のオリンピック・フィーバーは異常ではないでしょうか。NHKは朝も昼も、夜も、さらには深夜、早朝もオリンピックの模様を伝えています。垂れ流し状態です。

 新聞も、朝刊はもちろん、とくに夕刊は連日、「オリンピック特集号」の体裁です。時には、号外も出すほど。選手本人をはじめ、選手の出身地の母校、地域住民、親兄弟の喜びや残念の声を、これでもか、これでもか。

 祭典の熱狂は、遠くローマ時代でも繰り返されました。今では観光名所のコロッセオ(円形闘技場)は、その名残りです。ローマ時代は、「パンとサーカス(見世物)」といわれたように、食糧と娯楽を提供できる力を持っている者を皇帝として認めるという風習だったそうです。代々の皇帝は、壮大なコロッセオを建て、奴隷を剣奴として訓練してどちらかが死ぬまで闘わせたり、複数立て馬車による戦車競走をさせたりし、ローマ市民は賭けごとの対象として熱狂したと伝えられています。「パンとサーカス」という言葉には、社会の堕落の意味も含まれ、ローマ滅亡の遠因ともされています。

 壮大な祭典で国民を熱狂に巻き込む手法は、ヒットラーが演出したものも有名です。劇場の熱狂の雰囲気の中で、思考停止を起こさせ、一つの方向に誘導する政治的には確立した手法です。

 いま、私たちの国では、「私が総理大臣だ。私が決めるのだ」とのたまう首相がおり、集団的自衛権は憲法を改定しなくても、首相の考えで変えられると主張しています。これは、首相の考えを実質的に「憲法の上に」に置くものです。憲法の順守義務に違反する重大発言です。しかし、オリンピック・ムードの中で何事もなく通り過ぎていくかのようです。

 熱狂の陰で、大事なことが注目されるもことなく、どんどん進められています。例えば、TPP(環太平洋経済連携協定)。この交渉を始めるにあたっては、「聖域5項目は死守する。これが通らないなら、(交渉の)席を蹴って出てくる」と明言しました。しかし、4月のオバマ大統領訪日を控え、ズルズル後退しています。いまや、どうすれば国民を納得させられるか、つまりいかにだますことができるか、が政府のいわゆる”落とし所”になっています。

 特定秘密保護法実施の準備も大急ぎで進めています。

 原発再稼働の動きも活発です。安倍政権側がいうところの「安全対策」ですら不十分なまま、例えば苛酷事故の際の必要不可欠な重要免震棟すらできておらず、大津波の防波堤もまだ工事中、あるいは原発事故の場合の住民避難計画も作成されて居ないにもかかわらず、再稼働の申請を出させ、認可を急ぐ動きがあわただしい。

 こうした重大な動きは、オリンピック・フィーバーに目を奪われ、ほとんど論議されることなく、フリーパスのようです。安倍政権にとっては、もっけの幸い、オリンピックさまさまです。

 東京オリンピックでは、メダルを70から80をめざすのだそうです。その2020年まで6年余り、この間ずっと、「オリンピックさまのお通りだい。そこのけ、そこのけ、オリンピックさまがお通りだ」となりそうです。つまり、オリンピックを批判する者は”非国民”扱いです。それは、日本人の思考停止をさらに深化させる役割を果たすことになるでしょう。否応なく「愚民化」が進められます。為政者にとっては、それこそ望むところです。

 わたしたち草の根勢力は、自分たちのコミュニケーションのネットワークをより強固にしていく努力が肝要です。