いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

なつかない三毛猫、みけちゃん、あるいは、これぞ らんぐ・ど・「しゃー」

2017年05月11日 19時16分53秒 | ねこ


「しゃー」と咆哮する、元々"タイガー"のはずの、みけちゃん。 本領、発揮!

なつかない三毛猫、みけちゃん。

子にゃんの頃から飼っているわけではないので。 もうトウが経ってから「奪取」してウチの子にした。


みけちゃん野良時代;
 全部女の子?可愛すぎる三毛猫たち・画像

ただし、みけちゃんは、おいらにだけなつかないのだ。

そして、おいらは触れない。 近づくと、しゃっーと威嚇する。 悲しい。 
荊の簪を刺した御方とは仲がいい。よくなついている。
そして、しばしばお膝の上に乗っている。
そういう場面で、おいらが帰宅すると、即、逃げて隠れる。
おまいは間男か!


新しい街でもぶどう記録;第131週

2017年05月06日 19時22分13秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週のよその猫


武相境斜面を下る黒猫

左上から時計周りに、「風景No15. オレンジ猫」、「風景No13. 赤猫」、「風景No14. 藍猫」、「風景No16. 自画像」 by 横尾忠則

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の花

■ 今週の「しんす」 (google


都内、恵比寿付近


web site

なお、愚ブログは、しんす 2004 であります。

■ 今週の「アバンギャルド

町田市立国際版画博物館、企画展「横尾忠則 HANGA JUNGLE」 (web site

■ 今週の「女子と甘藷」


https://twitter.com/bot_hachu/status/860270999454887937

  
楳図 かずお 『山びこ姉妹』、初出 1963年 (Amazon

おっさんのおいらはこの「はあちゅう」さんを見ると、林真理子を連想する。 時代は変わっても、この種の女子は出でて、おじさんは、安心している。

昔、昭和末期、林真理子が(屋台の?)石焼き芋屋に並び、焼き芋を買っている場面が写真週刊誌に撮られた。

今、ネットでその画像を探したが、見つけられなかった (3段落ち、失敗)。

昭和の不成仏の例となってしまった...

(なお、蛇足ながら、おいらは、京都の女性の 「さつまいも」 の発音=イントネーションが、あまりに京風で、驚いたことがある。 記事:発音が東夷(あずまえびす)のおいらと全く違う!

■ 今週の「蜘蛛の糸」

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東京都縦断; 神奈川県・多摩川から荒川を越えて埼玉県まで

2017年05月04日 06時46分08秒 | 東京・横浜

東京都を徒歩で縦断した。多摩川から荒川まで歩いた。

    
                                   地図1

1. 東急電鉄、田園都市線、二子新地駅 7:35

神奈川県

すぐに多摩川を渡る。 多摩川を越えれば、東京都。

多摩川を渡った直後、下り坂。これは今立っている場所が自然堤防[wiki]で高いのだと思う。

一旦、多摩川低地に下る。 そして、上り坂;

多摩川を渡ったばかりの土地は多摩川低地。そこから、武蔵野台地へと上がる。その坂。

段丘崖がなめされたもの。

段丘崖に建つビル。右手が武蔵野台地(河岸段丘の武蔵野面)。なおこのあたりは立川面はない。

銭湯をみた。 藤の湯 [web site]

用賀付近

国立医薬品食料衛生研究所。 国研だ。 今どき珍しい。 独法化してないらしい。 

衛生材料廠跡の石碑があったので、日帝時代の軍の医薬品製造工場であったのかと思ったら、戦前から厚生省の管轄だった、とのこと。

メタセコイヤ並木

用賀の街並。 普通の商業・住宅街です。

7.首都高速をまたぐ。9:40

7→8 神田川 永福寺 10:00

 

 

神田川。 神田川はこの後大きく北上して、高田馬場方面に流れて行く。 知らなかった。 神田川は杉並をも流れているのだ。

人気の少ない静かな住宅街だ。 ということは、~窓の下には神田川~というのは、杉並のお話でもいいわけか。 知らなかった。

もっとも、おいらのこの日の散歩でこのあたりに~横丁の風呂や~には逢わなかった。 散歩冒頭の世田谷区では逢った(上記:銭湯をみた。 藤の湯 [web site])のに。

ましてや、~うまく描いてねって言ったのに~問題に関する情報は、この日の散歩にて、全く得られなかった。

京急井の頭線を渡る。

大宮八幡

9. 善福寺川 10:30

杉並区立郷土博物館

「伊達政宗」(馬上像)は杉並生まれと知る。

「~うまく描いてねって言ったのに~」問題に関する生情報を得られなかったおいらは、

「~うまく造ってねって~」という"江戸しぐさ"問題に邂逅した。 

すなわち、変だ。

われらが、貞山公が、御乗りの、お馬さまは、サラブレッドではないのか!!!???

戦国時代、われらがぬっぽんには、こんなに大きな馬=アラブの馬はいなかったはずなのだ。

「伊達政宗」(馬上像)は杉並生まれ=やはり、杉並=江戸(郊外)しぐさ、なのだ。

11. 高円寺 12:00

 

民生食堂 天平 (民生食堂 ;昭和の成仏のために


地図2

12→13 妙正寺川

13. 練馬駅付近

 

段丘崖です。

13→14. 石神井川 14:10

石神井川を越えると畑が目につくようになりました。


練馬工業高校

14. 陸上自衛隊練馬駐屯地 14:50

 

 

15. 板橋区立郷土博物館 15:30

 

16. 荒川渡河 16:10

歩行距離約22km、所要時間8時間。

歩いた街;

世田谷区: 玉川、瀬田、玉川台、上用賀、桜丘、経堂、宮坂、赤堤

杉並区: 下高井戸、永福、大宮、松ノ木、梅里、高円寺南、高円寺北

中野区: 大和、若宮、野方、鷺宮、丸山、

練馬区: 豊玉南、豊玉北、練馬、早宮、平和台

板橋区: 赤塚、三園

■ まとめ

今回縦断した武蔵野台地の少し奥地は、皇居などがある最末端と比べ、きわめて平坦。


関連記事;

東京散歩; いくつもの橋を渡って、渡れない橋にたどり着く

東京散歩2;渡れない橋から再出発、多摩川を渡る

レインボーブリッジは歩いて渡れる

 


9条「護憲派」は、「米帝」の手先、そして、9条「改憲派」も...

2017年05月03日 20時12分06秒 | 日本事情

かつてイラク戦争に賛意を示したヒラリー(すなわち、帝国主義者)を、先の大統領選挙で応援する当時現職の副大統領であったバイデンは、当たり前の真実を、云った;

日本の憲法はわれわれ(アメリカ合衆国)が書いた

イラク戦争はともかく、米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争と日本の軍事基地をほしいままにして戦争をやり続けていた。

9条「護憲派」は、実効的には、何もできず、ただただ、「米帝」の出撃を許してきた。

さらには、日本「保護領」政府@中曽根内閣@@後藤田官房長官は、1986年の「米帝」によるリビア爆撃[wiki]を「容認」している。

つまり、日本から出撃した米軍が朝鮮やベトナムやクエートでどれだけ「外国人」を殺しても不問にする。その米軍に基地と「おもいやり予算」を与えているのにである。これはやくざには絶対ならないが、やくざに金を払って自分の安全と利権を確保する成金と同じ神経である。  (愚記事: 後藤田正晴 の死

    米国の戦争はOK!日本の戦争はNo! これが後藤田=マッカーサー憲法の君臨するところの「ぬっぽんえすたぶりっしゅめんと様」(=外交官から朝日新聞まで含む::何のことはないみんな東大法学部出身)の「身過ぎ世過ぎのドレイ」の第一原理だ。

おいらは、われらがぬっぽんが戦争をできる国になることを懇願している。

戦争をする/あるいは、しないことを決断することが国家というものの最大の責務であるからだ。

現行、「日本政府」は国家でないので、すなわち、交戦権を禁じられた「保護国」なので、

国家の最高責務である戦争をする/あるいは、しないことを決断する必要がない。

一昨日の北鮮の件。

戦争するのか/あるいは、しないのかは、アメリカさまが決めるのだ。

 なぜなら、われらがぬっぽんは交戦権という最も重要な国家主権を剥奪されているからである。

その国家主権の剥奪を証左した文書がマッカーサー憲法である。

このマッカーサー憲法は、これまたわれらがひろひとさんが、発布したものに他ならない。

「酋長」から「土人」まで、みんな、米国のドレイなのだ。


これをおいらは、H&M体制(ひろひと&マッカーサー体制)と秘称している

哀しいかな、これが、ぬっぽんのすんずつである。

ドレイを脱するためには、闘う能力・権利を奪取しなければ、始まらない。

そして、奪取した闘うことの権利の詳細(やるべきこと、やるべきでないこと)を法的に明らかにするのだ。

それが、立憲主義というものだろう。

立憲主義の最重要点は、自分で権力を得て、その権力の詳細(やるべきこと、やるべきでないこと)を法的に明らにすることだ。

なぜなら、それが、われわれに、「共同体の運命の主人公として、滅びるのも栄えるのもすべてそれを自分の意志に由来するものとして引き受けるという覚悟」をもたらすからである。

■ そして、 9条「加憲派」も、「米帝」の手先

今日、われらがアベちゃんが表明したらしい。しかも、「加憲派」になったらしい;

具体的な改憲項目として、戦争の放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加する

[google]

そうなのだ。 交戦権の放棄はそのままなのだ。

つまりは、マッカーサー憲法の真髄=日本を主権国家と認めないという路線での改憲なのだ。

● まとめ

真っ暗闇の世界

右を見ても、左を見ても、 バカと阿呆の絡み合い

[google]