いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

玉虫色の国家主席

2008年06月03日 21時23分54秒 | 中国出張/遊興/中国事情


- - 北京孔子廟への道ばたで見た店 - -


- その北京孔子廟への道 -



毛沢東もなんだかわからないし、その後の歴代、最高実力者・中国国家主席もわからない。

例えば、今月の『諸君』で、我らが佐々淳行センセは、「インテリジェンス・アイ、 胡錦濤の"飴と鞭"第4次パンダ外交」にて、

  いままたも始まろうとしている胡錦濤国家主席の、"第4次パンダ外交"が、鄧小平 - 胡耀邦 - 趙紫陽の流れの真の日中友好なのか、それとも毛沢東 - 周恩来 - 江沢民のめくらまし日中友好外交の小道具なのか、

と、おっしゃる。

実はこの文はまだ終わっていないであるが、おいらはこの極めて明確ではあるが、いかにも図式的な分類、そしてそれには価値がたっぷり含まれていて、極めて通俗的な善悪的分類思考だなぁ~と、あきれてつっこみを入れた。

すなわち、鄧小平は周恩来なくして政治生命はなかっただろうし、そもそも対日憎悪を煽るという極めて悪質、つまりそれは劣情を煽り、劣情に身を任せる支那人を量産したという点で、支那人民の尊厳を貶めたので極めて悪質なことをした江沢民はそもそも鄧小平の後継指名で最高実力者になったのである。

鄧小平が江沢民を指名し、胡耀邦 と趙紫陽を失脚させた。1989年の民主化、天安門事件を経ての事だ。 なぜなら、鄧小平の武力弾圧を断固支持した数少ない股肱の臣こそ、江沢民に他ならないからだ。

(冷静に考えれば、日米を訪問し、改革開放路線を喧伝していた鄧小平は、その時、懲罰と称して、ベトナムに武力侵攻したのであった。典型的な中華思想、華夷思想。そんな鄧小平と馴れ合ってきた日本政府や「ぬっぽん"保守"」が、今更、中国脅威論を言うのは、ちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ない。 もっと言えば、鄧小平と会って感激し、パンダ印のタバコ入れをもらっただかなんだかしたと一冊本を書いた、江藤淳も再検討すべきだな。)

ここで、鄧小平は胡耀邦 と趙紫陽を失脚させその政治生命を完全に奪った。が、しかし、実は、毛沢東はかつて鄧小平を左遷、野に放ったが、政治生命を根源的に奪ってはいなにのである。

事実、

毛沢東は一面で鄧の才幹を高く評価し、七四年末、周恩来の推挙を受け入れた毛の提案で、鄧は軍事委員会副主席、国務院副総理、総参謀総長に、七五年一月には党の副主席、政治局常務委員の要職についた。
   - 小島晋治・丸山松幸 『中国近現代史』 -


だから、「鄧小平 - 胡耀邦 - 趙紫陽の流れの真の日中友好なのか、それとも毛沢東 - 周恩来 - 江沢民のめくらまし日中友好外交の小道具なのか」、という単純なものではない、と突っ込みを入れた。

で、続けて、佐々センセは、

 別のいい方をすれば贈り主は胡耀邦の弟子とよばれた胡錦濤なのか、それともチベット弾圧で急速に台頭した胡錦濤の、北京五輪成功のための擬態なのか、目を見開いて見極めるべき歴史的分岐点だといえよう。

といっている。

そうなのだ、佐々センセは、一人の人物に多様性を認めているのだ。 でも、それは白か黒か、で出てくるものではない。 皇帝は誰もみな、複雑なのだ。





 



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