いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1959年(昭和34年)の「オーバーコート」の意味;昭和の成仏のために、超些細 = 「様々なる衣装」編

2013年05月19日 10時10分41秒 | 日本事情

「西部邁」を御検索ですか?

では、どうぞ; 愚ブログに現れたる「彼」

(本日の記事では、いつもとは違って、全部、敬称略です。登場固有名は、みな、歴史的人物ということで、よろしく。)

最近、 秀実、『1968年』にあった画像と渡辺利夫の自伝から、些細なことがわかったので、メモっておく。 

■ 


図1;絓 秀実、『1968年』(ちくま新書)より、1959年、デモに出発する西部邁と清水丈夫(現・中核派議長)」と題された画像、 without permission, 許してください

■ 最近、たまたま読んだ、渡辺利夫(対中「強硬派」の学者、米国と同盟する海洋国家日本を提唱する、拓殖大学学長)の自伝に書いてあった;

 敗戦から一〇年と少し、私の青春時代にはまだ貧困が街にあふれていた。私が入学した慶應義塾大学などは比較的豊かな家の子弟が入るところだと聞かされていたが、厳寒の日でもオーバーコートを羽織っている学生はいなかった。学生服の上にジャンパーを引っかけるのがせいぜいであった。
『私のなかのアジア』、渡辺利夫

西部邁と渡辺利夫は共に1939年生まれである。

▼考察

渡辺の回想によれば、オーバーコートを着る学生はいなかった。学生服の上にジャンパーを引っかけるのがせいぜいであった、とある。したがって、まさに「学生服の上にジャンパーを引っかけ」ている西部邁は当時の学生の普通の格好なのだ。むしろ、のち中核派の頭(カシラ)となる清水丈夫の方が贅沢な格好しているということにある。

もっとも、清水丈夫と渡辺利夫の行っていた大学が違うので、厳寒の日でもオーバーコートを羽織っている学生はいなかったというのは慶應大学の事情なのであるとも考えられる。

もしそうであるなら、慶應大学の学生が着ない当時の贅沢品であるオーバーコートを、清水丈夫が 来 着ていることになる。

これは、図1を見て、特に註を入れるべき点は、オーバーコート。

60年安保の活動の中心的役割を担った学生(の一部)は、オーバーコートを着るほど贅沢な子弟であったのだという結論を導き出す。

一方、この図1は;絓 秀実、『1968年』(ちくま新書)からのものである。 秀実はどういう文脈で何を主張としてこの図を利用しているかというと、1960年代末の全共闘運動において学生服姿は消えました、ということ。

そして、は下記のように解釈している;

(60年安保の頃の)学生服姿は、学生が単に資本主義を享受する大衆的存在ではなく、むしろ、大衆を啓蒙する知的エリートであることをも意味していた。

もっとも、学生服なら中学生も高校生も着ていたのだから、「大衆を啓蒙する知的エリートであることをも意味していた」という大げさなことでもないだろう。むしろ、 が言っているように、「そもそも、それ以外に着るものがなかった」というのが実情だろう。

(前略)一枚の写真を見てもらいたい。二人の学生服姿の若者が見られる。右側が、今なお中核派の議長と言われる清水丈夫であり、清水とスクラムを組んでいる左側が西部邁である。この写真は、安保闘争のなかで逮捕状が出され東大駒場に籠城していた清水(全学連書記長・当時)が逮捕を承知で籠城を解き、駒場を出る時の写真である(一九五九年)。その時、西部は東大教養部の自治会委員長であり、写真に見られるように、清水の盟友だった。

● 渡辺の記録をこの画像に適用して言えることは、貧乏を「自慢」していた西部は当時の普通の服装、のち中核派の頭は「いいとこの子」というところだろうか。

 →時熟→半世紀→  ←元 「日本の良心」


■ 

なぜ、『私のなかのアジア』、渡辺利夫、を読んだかというと、渡辺利夫に興味があったからだ。といっても、渡辺利夫の本は1冊しか持っていない。『新 脱亜論』(2008年)。最初、新聞でみた論調はこわもてな感じで、今もそういう印象。一方、NHKの討論番組に出ているのを聞いた。保守・右側の論客という役割。ソフトな語り口。でも、本では極論をいっている中西輝政もテレビにソフトに出てるしな、と思った。そして、渡辺利夫って国際政治学者なんだろうと思い込んでいた。 自伝を読んだ。経済学者、それも現状分析屋さん、しかも韓国経済、だったのだ。のちに中国経済の研究も始める。

渡辺利夫のどういう点に興味があるかというと、「東アジア共同体」を疑問視し、日米海洋国家同盟で、中韓のような「粗暴なナショナリズム」をもつ大陸・半島とは距離を置くという主張である。普通の海洋国家論(愚記事;海洋国家日本の構想)、脱亜論のようにも見える。

   (今、気付いた; 陸の王者KO!が、海洋国家構想とは、これいかに!?)

ここで、渡辺利夫に欠けている視点を示したい。渡辺利夫は日米関係、日中関係、日韓関係の視点でものを考えている。つまりは、日本中心の視点なのだ。たとえば、今の米国メディアでは、尖閣の問題を象徴とする日中の摩擦では、日中を同等にあつあかっている。日本に肩入れするという論調は(おいらが見た限り)ない。もちろん、中国に肩入れした論調もない。つまりは、世界はいざこざを起こす日中をやっかいだなぁとみているのである。

(おいらの経験するところでも、おいらが属する分野の科学技術の国際会議は中国のプレゼンスは高まり、日本は衰退である。そして、研究者の米中同盟がさかんだ。)

むしろ、米国は中国経済へは重大な関心をもっている。さらには、一般論として移民政策はその国の経済成長に効果があるそうだ。移民でGDP増大。この移民による経済成長をやっているのがオーストラリア、カナダ、そしてアメリカ。金をもってくる中国人をさかんに受け入れているのだ(愚記事;中国で自国の民をこき使って搾取したカネをもって、海外に逃げている)。

別に、資本主義国は自由と民主だけで第三者のけんかにかかわるわけではない。経済的利害が第一に重大なのだ。

その証拠に、渡辺利夫が『新 脱亜論』で、さかんに集団的自衛権の重要性を主張している。正論である。でも、安倍内閣発足後、集団的自衛権の問題が進捗していないのは、米国側からの日本不信、日本の対中戦争に巻き込まれたくないという理由にあるらしいとの報道がある(愚記事;米国は中国と戦争する気はない。日中開戦こそ日米同盟の破綻 )。

おまけに、ここ最近の「歴史認識問題」である。ここ数日も、大変なことになっている。米国はじめ、豪(オーストラリア)も加(カナダ)も旧敵国なのである から、日本不信は増大しつつある。つまりは、渡辺利夫の主張通り、脱亜したって、米豪などが同盟してくれるかわからない。

渡辺利夫自身が指摘している;

 原子爆弾であれほど多くの民間人を殺傷した米国人の心的外傷を癒すには、日本は邪悪で不正義な存在でなければならない。
(『私のなかのアジア』)

つまりは、渡辺利夫の『新 脱亜論』は、日本のひとりよがりになる可能性がある。

そして、渡辺利夫は海洋国家論をいう。最近じゃ、中国が海洋国家志願である。

最悪、次のようなシナリオが想定できる。

中国が、海洋国家を志願。太平洋間で貿易を興隆させよう。 

米国;賛成! 

米中は太平洋を海洋国家同士で管理しよう! なぜなら、今後は米中でGDP世界のトップ1,2を占めるからだ。


mao&nixon, love&peace !

米国: 米中同盟だ。 日本を敵視はしない。なぜなら、3国でGDPの上位3か国だからだ。

米国:  でも、米中は太平洋を海洋国家同士で管理するのだし、米国も衰退ぎみなので、横須賀は中国の艦隊の母港にしよう!

中国: 沖縄だって、与(あずか)るよ。 とにかく、米中で日本を「お護り申しあげるのだ!」、がんじがらめにね。

米国:  そのための、米中日の三カ国軍事同盟を結ぶのだ。

中国: そうだ! そして、太平洋は米中で管理するのだから、日本は憲法9条を守っていればいいのだ!

米国: そうだ! そうだ! 日本の憲法9条は重要だ。

日本でのナショナリズムの高まりは、米国民は一般的に真珠湾攻撃をはじめとする大日本帝国時代の軍事行動を想起する」。 

米国: 日本が二度と米国の脅威にならないようにするのが米国の本義だ。

中国: うちもだ!



山麓通信; 5/19はつくば記念日

 



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