いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

札幌に"北極熊"がいた頃;1948-1950

2011年10月13日 19時57分06秒 | 札幌

■ 前書き

奇を衒うことですべてをお茶に濁しているおいらが、『札幌に"北極熊"がいた頃;1948-1950』という奇を衒った表題で、何かを書いてみる。

きっかけは、札幌でヒグマ!だ。ニュースの一部では、札幌市街地にクマ!とか報じている。クマって言葉はほとんど意味をなさない。なぜなら、ツキノワグマ(月の輪熊)とヒグマでは、クマは熊でも、大違いだからだ。ツキノワグマに殺され食われたぬほんずんは何人いるのだろう?たぶんいないだろう。ヒグマに食われたぬほんずんは何人?いるのだろうか。ツキノワグマとヒグマは共存しない。一説によれば、両者が共存しても、ヒグマがツキノワグマを食って絶滅させるにちがいないからだという。

"内地"でヒグマに食われたぬほんずんはいないだろう。当然だ。ヒグマは本州島、九州島、四国島にいないからだ。ヒグマに食われたぬほんずんのほとんどは道産子だ。じゃー、全員がそうかというと、もちろん、ちがう。せっかく"内地"で生まれたぬほんずんなのに、わざわざ北海道さ来て、ヒグマに食われた人びともいる⇒福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件。この話は今でも語りぐさになっているおとろしい事件だ。へたなホラー映画より、よほど恐ろしい。

さて、札幌のヒグマ(ニュース)。おいらもびっくり。札幌市街地でヒグマ出没は、開拓時代以来との報道もある。もっとも、ヒグマが出没した場所は「原始林」の近傍なので、「原始林」をよく保存してあった甲斐があったものだと、おいらは関東の地から、無責任な称賛を送っている。

■ そして本題の、北極熊。札幌市街地でヒグマ出没が出没しなかった20世紀半ばの札幌の郊外に、北極熊が来た。

During their first month in Japan, members of the Polar Bear regiment constantly
packed, unpacked, and repacked duffle bags as they shuttled ever farther north. They
first moved from Camp Drake near Tokyo to Camp Haugen near the northern end of
Honshu. Finally, while the 1st Battalion remained on Honshu to help reconstitute the 32nd
Infantry, the rest of the 31st moved further north to Camp Crawford on Hokkaido,
replacing a regiment of the 11th Airborne Division.1 When the 31st reached Camp
Crawford, it numbered only 70 officers and 1800 enlisted men.

Chapter 9 OCCUPATION OF JAPAN 1948-1950 ←pdf、1.1Mbite 重いかも)

札幌郊外の占領軍基地Camp Crawfordに、米軍第31歩兵連隊、愛称the Polar Bear regimentが来たのだ。(関連愚記事;真駒内 占領軍の痕跡

 31st  U.S. Infantry Regiment Association

 

上記pdfで、愚記事最上部の北極熊?の雪像を見つけた。ところで、この札幌郊外のCamp Crawfordは、サンフランシスコ講和条約以降、日本国陸上自衛隊の第11師団/旅団の駐屯地となる。そこで、昭和後記と平成前期、つまり20世紀には「雪まつり」が行われ、大雪像が自衛隊によって作製、展示されていた。おいらども庶民もその期間は旧Camp Crawfordを参拝できたのだ。その雪まつりにさきがけること数十年前、the Polar Bear regiment、が雪像を作っていたのだ。恐るべし、占領軍の雪像力の感化! (札幌雪まつりで、個人エントリーで、雪像作製というのがある。雪の台座の上に[高々]2立方メートルほどの小作品を作るのだ。その形式がこの"北極熊"像にそっくりだ。絶対これがプロトタイプに違いない!とおいらは睨んでいる。ふたたび、恐るべし、占領軍!)

↓並ぶ"北極熊"ども;今でも残っている建物が見えます。

▼ところで、話は全く変わるが、『羊をめぐる冒険』。もちろん、村上春樹。その舞台である十二滝村の羊牧場は、大日本帝国敗残で占領軍に接収されるという小説上の設定である。この十二滝町は、仁宇布であるという説がある(愚記事; 『羊をめぐる冒険』における"転落"、あるいは羊抜けと産業空洞化 )。でも、仁宇布の牧場が米軍に接収されたという史実はあるのだろうか?(おいらは未確認)。一方、この札幌郊外のCamp Crawfordこそ、米軍に接収された羊牧場に他ならない。『羊をめぐる冒険』に"リアル"に書かれている街は札幌だ。そして、「ドルフィンホテル」は"札幌グランドホテル"のネガ・ボシあい混ざったイメージなんだろう。(関連愚記事;かわいそうな羊たち)。

而して、今。進駐軍は Camp Crawford内に、ゴルフ場も作った。それが、今に残る「真駒内公園」に他ならない;その画像⇒このブログ(丸尾清一の札幌を見る!観る!視る! 様)の上から5番目の画像こそ典型的ゴルフ場跡地的風景である。 "代々木公園"と「真駒内公園」の共時性は「 あした のココロだ」!@昭和15年幻のオリンピック!@@脱稿予定未定。

●村上春樹、『羊をめぐる冒険』をねたにした記事;

1.■今日気づいたこと;(村上春樹とコンラッド)
2. 『羊をめぐる冒険』、羊博士は竹雀
3.■村上春樹、『羊をめぐる冒険』で、"羊"が「先生」@のち右翼の大物に入り込むのは1936年の春である。
4.■『羊をめぐる冒険』の鼠は大ブルジョア子息
5.■村上春樹、『羊をめぐる冒険』における蝗害(こうがい)
6.■物語の意味がつかみきれない『羊をめぐる冒険』についての思いつき;
7.・ 村上春樹、『羊をめぐる冒険』における囚人奴隷労働
8.■神社焼き打ちの思い出;
9.・『羊をめぐる冒険』における"転落"、あるいは羊抜けと産業空洞化
10.・村上春樹、『羊をめぐる冒険』における近代日本の空虚さの頂点の描写

 

 

 

 

 



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