いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

真駒内 占領軍の痕跡

2005年02月14日 19時29分06秒 | 札幌



昨夜のリンク切れ:全国ニュースで、札幌雪祭りの会場のひとつ、真駒内会場が今年で終わりと報道していた。真駒内会場は、日本国陸上自衛隊第11師団の駐屯地です。上記写真。

イラクに派遣されました。すなわち、占領軍施設で育った自衛隊が「占領軍」/「占領軍の手伝い」としてイラクで活躍した、ということになります。イラク・サマワに自衛隊が作った施設は誰につかわれるのでしょう。

これらの赤レンガの建物は60年前に米占領軍の基地施設として建築されたものです。それを現在でも自衛隊が使用しています。真駒内の米軍基地はキャンプ・クロフォードという名でした。クロフォード駐屯地。クロフォードの由来は米軍ではなく北海道開拓に貢献した米国人の名からとったもの。この基地を建設したのは、スゥイング少将率いる米国第11空挺師団だそうです。ノースキャロライナの部隊だそうです。今回このスゥイング少将の姿をネットで探し出しました。下。



ジョセフ・スイング少将(第11空挺師団長)は濃い色の戦闘服を着用し、襟章は星二つ。11A/Bと記されたヘルメットを着用(11A/BはThe 11th Airborne Divisionの略語)。マッカーサーよりも早く到着。日本側と交渉。

この後。この第11空挺師団 [1] はどこへ行ったか、おいらには、わからない。ただ朝鮮戦争の時は、第32歩兵連隊、第49野戦砲兵大隊(もちろん米軍)がここ真駒内から、横須賀経由船にて、朝鮮・釜山港に出撃したと朝鮮戦争史の本に見える。

朝鮮戦争で日本列島の米軍が出払い、日本自身の防衛が急務となり、講和条約、基地返還の流れとなる。真駒内には講和条約以前に当時の保安隊が、米軍が朝鮮に去った跡地に、来た。講和条約後の1959年に米軍は撤収した。一部は千歳に移駐。千歳の米軍・駐留基地をキャンプ・クロフォードと呼んでいるのをwebで見た。

リンク切れ:占領軍の札幌進駐に直接遭遇したひとの記録を発見。

札幌でも占領時代はFENが聞けたんだ。それで、アメリカ文化の洗礼をうけたのね。


2020/8/23 追記

もっと知りたい ⇒ キャンプ・クロフォード

2023/12/28 追記
[1] : 第11空挺師団の履歴: マッカーサーと一緒に「厚木」に来たこの子猿はどこへ行った?

あるいは、第11空挺師団

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (キイチロー)
2005-02-17 20:50:51
僕のおばさんはアメリカ軍の基地の中にある学校の校長先生と結婚しました。

いとこはハーフです。

当時基地を訪ねたとき見た「かまぼこ兵舎」は、アメリカそのものでした。
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ありがとう (いか@)
2005-02-19 21:04:54
キイチローさん、こんにちわ。



検索で「パイプのけむり」にたどりつきました。



半年前のおいらだと、「基地の中の学校の先生」と聞くと、?????だったのですが、先日本でキャンプクロfフォードには米軍家族もいて、学校があったと知りました。キイチローさんが行ったということは、占領時代?



アメリカそのもの、との話。真駒内は牧場もアメリカ人につくられたので、アメリカ100年ということになります。占領軍の米国第11空挺師団も真駒内が故郷のノースカロライナに風景が似てるので、接収したと本には書いてあります。



PS、おいらの本籍はパイプのけむりおじさんのお店のとなりです。おいらの実家は代々あの市場で商売をしています。



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