いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横浜散歩;大岡川低地、関内 ⇒ 井土ヶ谷 ⇒ 桜木町

2018年12月30日 19時27分03秒 | 東京・横浜

横浜の繁華街の伊勢崎町を含む大岡川低地を散歩した。出発はJR関内駅。関内駅より海側はみなとみらい地区があり、そこは何度も行ったことがあった。でも、関内駅の西側へ行くのは初めて。大岡川低地は、北の野毛台地と南の本牧台地に挟まれた低地。海退期(氷河期で海水面が低下した時期)に形成された谷が、海進期(2万円前の縄文海進)にその谷が海面より下となり(おぼれ谷)、かつ土砂が堆積し谷が埋もれ平地となった。さらに近世に人間が干拓した地域。

伊勢崎町などの繁華街以外に特に観光名所はない(らしい)。特に予習もせず、歩く経路も特に決めず、散歩にいった。大目的は大岡川低地の概観を得ること。

先に結論を書くと、掲載画像を見てもらえばわかるように、大岡川低地の街並みは、平坦で道が大きく真っすぐ(よく整備されている)。しかし、建物は高低まちまちで統一性がなく、街の景観はきわめて雑然としている。

繁華街のはずの伊勢崎町商店街は中心からはずれるに従い、シャッターを閉めた店も多い。

1 ⇒ 2 ;JR関内駅 → 福富町・大岡川


有隣堂本店(らしい)。


昼間から元気な店。両脇の店はシャッターが閉まっていることに注目。

▼ 伊勢崎町商店街(イセザキモール)を西上したのを、左折。北へ。


福富町。「福」が倒れていない。倒福でない。


大岡川の都橋を渡る。渡って、西上。上流へ。

2 ⇒ 3 ⇒ 伊勢佐木町西端; 


再び、伊勢佐木町方面に戻る。


伊勢崎町商店街を西上。


伊勢佐木町の西端。さらに西上。

伊勢佐木町西端 ⇒ 4


再び、大岡川。


日枝神社。「昭和20年 (1945年) 5月29日 横浜大空襲にて米軍の攻撃目標となる。そのため、この周囲は特に焼夷弾の被害を大きく受けたという。」(wikipedia


蒔田公園。

4 ⇒ 5 ; 


地下鉄蒔田(まいた)駅


北側の野毛の台地を望む。


南側の本牧の台地の崖。


この一画だけやたら綺麗に開発されていた。新興宗教だった。


鶴巻橋

5 ⇒ 6 


平らな地面の向こうの崖と台地(大岡川低地と野毛台地)


この日の散歩で一番古めかしかった建物


横浜市立商業高校前交差点の歩道橋


神奈川県道218号弥生台桜木町線を東へ。


京急本線をくぐる。日ノ出町駅付近。


神奈川県道218号弥生台桜木町線の脇道。野毛の繁華街


JR桜木町駅