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瓦窯跡

住を構えている町を含めて、この一帯には7世紀後半以降の窯跡が多く発掘されている。
そのうち極めて近距離にある窯跡を採り上げる。

「赤沼古代瓦窯跡」は以前にも何回か見に行ったことがあったが、デジタルカメラを持っていったのは今回が初めであった。国分寺の瓦を焼いた窯といわれていたが、実際にはもっと古くそれ以前の瓦や須恵器を焼いていた登り窯であったとのことである。

赤沼古代瓦窯跡外観:木製小屋で保存されている


登り窯跡


斜面を利用してその上に土を積み上げるのではなく、地下方式だったとのことである。

表示板


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「赤沼古代瓦窯跡」の直ぐ西南側に平成になってから新しく発掘された「石田国分寺瓦窯跡」という遺跡がある。ここは国分寺の瓦を実際に焼いたとのことである。8世紀半ばとのこと、特徴として従来の須恵器を作っていた工人による製法ではなくて、外来の瓦工人による貴重な瓦窯跡との説明が表示されていた。斜面に複数の窯が並んで設置されていたとのことである。今現在埋め戻されてその形は見ることが出来なかった。

現地と表示板


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