alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリで子育て

2011年04月05日 | 日仏子育て事情

 パリに来てからもう1週間が経過して
蓮太郎は意外と適応してるのだけど
唯一の弊害はといえば とにかく
抱っこ 抱っこ!!!なことで
我等は外に出る度に「歩きなさい!」
「抱っこ 抱っこ!蓮太郎もう歩けない」で
道端で大げんか。。。


 ここにきて子育てをして 難かしい
状況に陥りながらもいろんな人とかかわりを
持ちながら なんとなく感じられるのは
フランスと日本の子育てに対する価値観の違いで

 フランスは どちらかというと
子供は厄介者だと思ってる感が強い気がする。

 それでそういう社会的認識がなりたっていて
だからこそ 厄介払いをするために
乳母だとか、保育園のシステムだとかが
日本よりも先に発達していったんじゃないかなあ
子供はもちろんかわいくもある。だけど
大人の邪魔をする存在でもある。

 そんな時 に


 日本だと 大人がそれに歩み寄り
子供が中心にどんどんなって
大人 特に母親は 自分を犠牲にしていって
私はかつて母乳育児の桶谷の先生に
「あなたは犠牲の母ね」と言われたけれど
(いまだにその意味がよくわからないけど)
自己犠牲 自分を捧げて 人生を半ば諦めて
母の職務を全うすること それがいいとされてる
そんな風潮をよく感じてた。


 例えばバスに乗ったときや電車で
出会ったおばさんたちは 見知らぬ私に
子供を産むことの大切さを諭していったし
そのうちの3分の1くらいの人は
「まだ1人しかいないの?もう1人は産みなさい」と
助言していった。そんなの余計なお世話だよ!と
私は思うけど 彼女達はやさしさのつもりでそう言っていた。
広島に向かう電車の中であったおばさんなんて
「うちの娘はもうすぐ40歳になるのに
子供ができないの。まだ働いててね 子供を
産むことこそが幸せなのにね はやく子供が
できたらいいのに」と見ず知らずの私に
語っていった。どうして?仕事だって大切じゃないか?!と
私はつよく思っていたけど 私は子供を抱えた場所で
よくそんなおばさんたちの言葉を耳にしていった。


 ところがパリではなんだか違う


 もちろん子供に優しい人はいっぱいいるけど
まず初対面の人に対して「もう1人子供を産め」とか
そんな私生活に関わる様なことを言うのはとても失礼らしい。
だから私がわけのわからない状況で 子供と2人だけで来て
保育園を探していても 「それで、あなたはどういう
状況なんですか?」ときかれることなく そっと
しておいてもらえてる。それが私はとても嬉しい
日本だったら根掘り葉掘り 本当はどうでもいいのに
私のことなんか関心だってないくせに
興味本意で聞かれるようなことを
ここではそっとしといてもらえる
「だってそれは私生活の範疇だから」
そんな言葉があるんだな!
(ちなみに初対面の人に「結婚してますか?」とか
「子供は?」と聞くのも失礼にあたるらしい)


 そんなパリで 日本的な子育て、子供中心で
子供に追われてへとへとになるような
子育てをしてきた私はたまにこんなことを言われてしまう
「今二人で話してるんだからちょっと静かにしなさいって
蓮太郎に言ってくれない?」「抱っこ抱っこたって
もっと歩かせないとだめだよ!」「私ももうすぐ
仕事に行かないといけなくて急いでるから
急いでって蓮太郎に言ってくれない?」


 そう ここは大人のペースが主体なんだなあ。。。


 私はかなり 子供に合わせてきてしまった方なので
一度京都で子連れのフランス人をガイドしたとき
「今日はどこに行きましょうか?」と30分くらい
打合せをしたときに 彼らの子供たちがほとんど
無言で大人の話している横でちょこんと座っていたのに驚いた。
そんなことってあるんだな、、、
ちなみに前回の哲学カフェでも1時間くらいカウンターに
ちょこんと座ってじっと静かにしている子がいて
驚いた。年齢は蓮太郎と同じくらい。。。
そんなことが あるんだなーー


 ここに子供と一緒に来る前は
フランスの方がしつけが厳しいのかと思ってた
だから子供は活き活きしてない なんだかそんな気がしていたけど
たぶんそうではないようで 行儀作法に関しては
日本はかなり厳しいと思う。それは全般におよんでるのかなと
思うけど そして日本の子たちはおとなしいように思うけど
こちらの子たちは力のゆるめ方というか
遊ぶ時はめちゃくちゃ激しく遊んでて
おとなしくするときはおとなしくする
その力の入れ加減がもっとはっきりしてる気がする
日本では 「いつもおとなしくて言うことを聞くいい子」が
求められがちだけど こちらでは「遊ぶときはめちゃくちゃ遊んで
でも大人のいる空間では大人を優先させられる子」が
求められているのかな

 
 さて そんなこと 蓮太郎はできるのだろうか


 それをするには まずは説明 それから時にはおどし?
そして約束を守らなかったらこちらも強気な態度に出ること  
なのかなあ 一週間で 私はやっと 強い母親に
なりかけてきたような気がしてる。
かなり体力もついただろうし かなり説明もしているし
蓮太郎はメトロや静かにするべき場所では
それなりにいい子にできるようになってきた。
おしっこトレーニングは最悪だけど
それでも私はやる気になって
だいぶ母親らしくなったかなあ


 母だから語れることがある
母だからわかりあえることがある
母だから知り合える 笑い合える人がいる
まだまだ難かしいけれど
それでもこんなに大変だって 日本にいるときより
私はよっぽど嬉しいらしい
ちょっとは預けられるといいけど
少しは働きたいけれど まず当分は
フランスの子育て事情を探っていくことなのかなあ

 子供がいても 全てを諦めなくていいのなら
素敵なカフェにだって行けるなら
大人の時間を楽しめるなら 髪の毛振り乱して
いつも怒っている様なお母さんにならないでもいいというなら
そりゃあ いいなあと思ってしまうなあ


 今日蓮太郎とサンジェルマンデプレの
カフェドフロールの前を通ったけど
なんだか私は哀しくなった この子を抱えていたら
パリにいてもカフェには行けない?
そんなことないといいけれど
「子供を産んだら諦めなさい」の日本型 と
「子供を産んでも諦めない」のフランス型と
違いは色々あるだろうけど もう少し
フランス型を学んでみたい。

フランスに行くなら

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