alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェ・ド・フロール

2015年03月15日 | 女の生き方
 運命に近いように思える偶然というのはあるもので
たまたま職場で鳴った電話をとったのが私だったというだけで
「もしよかったら明日カフェ・ド・フロールという映画の
試写会があるんですが・・・どなたかいらっしゃいませんか?」
とのお言葉に 私、私が行きます!!と即答した。


 カフェ・ド・フロール?あのサン=ジェルマン・デ・プレの
カフェ・ド・フロールという名の映画?それは行かないわけにはいかない、
なんとしてでも行くしかない・・・


 それからというものとても楽しみにで
次の日は職場にも早く行き仕事を早く終わらせて
早速会場に向かっていった。ふたを開けてみると確かに
配給会社のお姉さんが言ったとおりで「カフェ、というより
(いやむしろほとんどカフェではなくて)音楽の
カフェ・ド・フロールという曲」がテーマの映画であった。
つまりサン=ジェルマン・デ・プレのあのカフェとこの映画は
ほとんど関係がないというわけだ。


 それだけだったらガックリきそうなところだけれど
この映画は本当に久々に強い衝撃を与えられた。
映画の最中、些細なシーンで私の涙は止まらなくなり
帰りの電車の中でも頭の中が渦を巻き、家に帰ってからも泣いてしまった。
なんというか 私が偶然にもあの電話を受けたこと、そして
ほとんど無関係な題名につられてこの映画を観たこと自体が
偶然を装った運命というか、観るべくして観させられたような
気がしてしまう。


 この映画の主な舞台はカナダのモントリオールで、
パリも3分の1くらいは登場する。登場人物は言ってみれば
皆何らかの問題があり、パリの主人公の女性は
生まれた子供がダウン症で、それが原因で夫と口論し、
結局女手一つで子供を育てる決心をする。
モントリオールの方はお互いに運命の人だと思っていた
子供もいる夫婦の間に急に一人の女性が現れ
そこから全ての人たちの関係性がぐわっと変っていってしまう。


 運命の出会い、だと思っていたもの、いや確信さえしていたはずのもの・・・
だからそれが壊れるなんて疑ったことすらなかったもの。
そこにある日突然ヒビが入り、瞬く間に人生が変ってしまう。
そんなことが起こるなんて?誰が想像していただろう?
少なくとも 自分自身は そんなこと疑いもしなかった。
けれども人生というのは自分の想いとは裏腹に
思わぬ方向に強く押され、流されてしまう時がある。
この映画に出てきた人たちは、自分なりに決断を下していった。
いいわよ出てって、私が一人で育てるから!という女性。
新たに出会った女性の方こそ運命の人だと確信し、家庭を
壊すことにしたというのに 実際には折に触れて前妻を
思い出してしまう人・・・私がこの映画に共感したのは
ここには人生の苦しみが強く描かれているからだ。
日本ともイスラムとも違う歩み方をした西洋の自由な社会の中には
もはや正しい答えもとるべき道も存在していない。
これが正しい、と信じてみても、そこにはたえず疑念がつきまとう。
決断を下してみたって実際には無意識の中や夢の中では
諦めたはずの誰かや過去を狂おしいまでに追っている。現実はもう違う道のはずなのに
私は幸せなはずなのに?そこに明確な答えはなくて
あるのは自問自答の繰り返し。そして現実の自分が希求するのは、
アルコールやタバコに精神安定剤、少しでも自分の気を楽にさせれくれるもの。


 正しい道はこれなんです。そう言われたら楽だろう。
でも自分が正しいと思った道が、世間とズレてしまっていたら?
直感的に、本能的に、確信できるものというのはあると思う。
人はそれを運命と呼ぼうとするのだろう。でもそれが運命だったなら
どうしてうまくいかなくなる日なんてくるのだろうか?それは誰にもわからないけど
この映画は私にひとつのヒントをくれた気がする。


 他の人と違う道を歩むことになった人には
たえず苦悩がつきまとう。大声で叫びたくなるほどの苦悩や狂気
その中でも 守らなければいけない小さな子供。
私は泣くのを避けてきた。それは私が泣いてしまったら
いつだって傍らに居た私の子供もつられて泣くからだ。
ママが泣くからといって子供が泣いたら
自分に答えなんてなくても抱きしめて「大丈夫だよ」と言うしかない。



 私ががむしゃらに進んだのは前に進む以外に道なんてなかったからだ。
前を見て進まなければそこには涙と狂気と深い後悔しか存在しない。
それでは人は生きられない。だからもう泣くこと自体ができなくなった。
未来なんて信じられなくても信じる意外に道はない。だから私はいつも唱えた。
恐ろしく不安な時に、いつでも自分に言い聞かせてきた。
「大丈夫、全部うまくいっている・・・人生はとても素晴らしい。」
バーバパパの大きな飾りの前を通っては、息子に
「今日もいいことがあるってバーバパパが言ってるよ」と言いきかせてた。
それは私が自分にそう言い聞かせないでは生きられない程不安に満ちていたからだ。
あの道の前を通る度、あの恐ろしく不安定だった精神状態を思い出す。
ベッドから起き、ただ立ちたい、働いていればそんな不安も
忘れられる・・・それからひたすら仕事に明け暮れ、私の涙は枯れてった。
かつての自分とは随分違う世界に行きているけれど、その傍らに
我慢して押し殺してきた自分があった、この映画を見ながらそんなことに気がついた。


 人生に答えはなくて 自分に正直になろうとすればする程
目のはいばらの道に見えてくる。
親になったからといっても、親も一人の人間であり
叫びたくなる時もある。絶望する時もある。
ものを壊したくなる時もある。でも目の前には
それをもの言わずにじっと見ている子供がいる。
いつも答えを与えてくれる宗教があったなら?
それはどんなに楽だろう。けれどその宗教が定めた
正しくて幸せなはずの道と 自分が正しいと思える道に大きな差が生じていたら?
その先に生じる結果を考えるなら どちらがいいか
一概には言えないだろう。


 人生には苦しみがある。けれど時折わずかな喜びがある。
子供に怒るときもある、だけど共に笑える瞬間もある。
人生はエスプレッソの味に似ている。苦い、でも、甘苦い。
その甘苦さがあるが故に やっぱりなんだかいいなと思う。

 「カフェ・ド・フロール」はとても深い。

 それは素晴らしいカフェでの議論のように頭の中に強いモヤモヤを残してくれる。
人生につまづいたという自覚がある人に、是非見て欲しい映画です。

映画 カフェ・ド・フロール
3月28日公開です

フランスに行くなら

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