20年前の6月4日、サイクリングクラブの2期上の先輩から電話をもらった。
同じクラブで1期上で、日本経済新聞で記者をやっていた黒田耕一さんが雲仙・普賢岳の大火砕流のために亡くなったというのだ。
黒田先輩はアウトドアと現場志向が強い、プロフェッショナルな記者だった。
「いいか、松下。おれは春からフォト・ジャーナリストだぜ」
と日経新聞から内定をもらった日に嬉しそうにニコンを片手に話していた。
時は経ち、日本航空123便墜落事故のときも、御巣鷹山に他社に先駆けて現場入りし、壮絶な事故直後の現場に踏みいった人だ。
修羅場をかいくぐってきた人だけに、あっけなく大火砕流で亡くなったという知らせは衝撃的だった。
初めて経験した先輩の死である。あれから20年経った。