よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

自分流ギャップ・イヤーと世界自分価値(world value of yourself)

2011年06月25日 | About me

知人で、一般社団「日本ギャップイヤー推進機構協会」という面白いことを始めた奇特な人がいる。そのギャップ・イヤーについてWikipediaにはこうある。

<以下貼り付け>

ギャップ・イヤー(英: gap year)は、高等学校からの卒業から大学への入学、あるいは大学からの卒業から大学院への進学までの期間のこと。英語圏の大学の中には入試から入学までの期間をあえて長く設定して、その間に大学では得られない経験をすることが推奨されている。

この時期にアルバイトなどをして今後の勉学のための資金を貯める人も多い一方で、外国に渡航してワーキング・ホリデーを過ごしたり、語学留学したり、あるいはボランティア活動に参加する人も多い。

<以上貼り付け>

今も昔も日本には、ギャップ・イヤーというコンセプトはない。でも、それに近いことを勝手流にやってきた。私の場合、自転車狂、放浪狂で、学部の3年から4年になる時期の準備も含めて半年間、友人とパーティーを組んでインドとネパールを走った(資料1資料2)。

同時に素朴にも、梅竿忠夫の「文明の生態史観」などに触発されて、比較文明・文化のフィールドワークにも凝っていた。帰国してから、その自転車冒険旅行を文章にしてみると、一本は「サイクルスポーツ」という月刊誌に載り、もう一本はEnglish Journalという英語雑誌の論文コンテストで一等賞を取り、合計で12万円稼ぐことができた。当時の初任給くらいのお金だった。

こうして、学部在学中からモノカキ稼業に手を染めるようになった。異質な経験こそが、文章になり、その文章に読み手がつくとカネになるということを皮膚感覚で学んだのだ。こういうのを原体験というのだろうか。その後も、今に至るまでいろんなモノを書き続けている。

学部に通うというよりは、クラブの部室に出入りしているほうが圧倒的に多かった。古本が好きで、やたらと乱読した以外は、あまり大学の勉強はやっていない。ただし、夢は大きくIvy leagueのビジネス系大学院へ行きたかったので、ビジネスの基本となる英文会計学と英語はそれなりに準備しておいたのだ。

当時は、グレードポイント換算にカラクリがあり、そのカラクリのお陰で、自動的に成績表を英文にしたときは見栄えがよくなったのだ。日本語の成績表はボンクラ、英文成績表になると、グレードポイントアベレージ3.7(4点満点)。

英語上達法と上記のカラクリは、こちらでまとめてみた。

英語の勉強を続けて国際ビジネスのイロハを知りたかったので、ブリヂストンタイヤ(今は、タイヤがとれてブリヂストンっていうそうな)の海外部に入った。ただし年功序列だの、終身雇用は肌にあっていなかったので、まぁ、2年くらい居るつもりだったのである。

予定どおり、2年でその会社を辞めたものの、会社の寮母さんと仲が良かったこともあり、退社してからもなんと寮に居座ってタダ飯を食っていたのは、図太いといえば図太いか。

そして次の会社へ。当初私をヘッドハントした企業グループのオーナー兼会長は、「社費」で私を留学させてやる、と言っていた。しかし、私よりも先に留学していた社員が帰国するや否や、別の会社に逃げてしまい、恐れをなした会長は海外留学制度を廃止してしまったのだ。

それやこれやで、3年サラリーマンとして下積みの仕事で働いて、晴れてコーネル大学大学院へ自分のコスト負担で留学することになったのだ。事情をコーネル大学に話すと、大学では奨学金を用意するから心配するな、早くやって来い、と言う。ありがたや。

自転車日本一周やインド・ネパールの自転車冒険で、貧乏旅行やサバイバルは得意なので、この感覚でアメリカに渡ったのだ。どこの組織にも所属せず、自分だけで目的地、ゴールを設定し、走る道を探して走ってゆく。

当時はコーネルに行ってみると、日本人もけっこういた。

驚いたのは、彼らの大半は、日本の一流大学を卒業して一流企業や霞が関の役所に就職をして、派遣としてまるで、出張するかのような意識で留学に来ているのである。留学とはいえ、けっこう日本人で納豆のようにネチャッと集まって英語もあまりしゃべらない。日本人租界を作って、そのなかで要領良くやって帰国するというような感じなのだ。よくないね。

そうこうしているうちに、「おまえ面白いな」ということで、日本人なんかまったくいない、フラタニティハウスのKappa Alpha Societyに日本人初のbrotherとして迎えられ、その寮に格安の条件で棲むことになったのだ。

         ◇    ◇    ◇

大学院に入るまでに5年間のギャップイヤーを過ごしたことになる。イースト・コーストの大学院では、放浪に明け暮れた学部とは打ってかわり、本当に学問づけの日々だった。人にアゴで使われるサラリーマンの悲哀を経験した後の、別天地での学究生活の有り難さは骨身に沁みるものがあった。

タテ割ニッポンでヨコ方向へはみ出ることは、周りからは奇異な目で見られる。その反面、ヨコ方向へのはみ出し系から見れば、閉鎖系タテ割伝統系の方々は奇怪に見えてしまう。

この溝はなかなか埋まらないように見えるが、企業社会では年功序列や終身雇用が崩壊しつつあるので、現状では「意図的でないヨコ方向へのはみ出し系」が増えてはいる。

今も昔も、ニッポンの本質的な体質はそれほど変わっていない。

多様性の尊重!、異質の創造!、イノベーションで牽引!。

ほんとですか?

産学官のタテマエでは、こんな言葉の大合唱だが、潜在意識の底に横たわるホンネは違う。深層のホンネでは、日本という内向き隔離・閉鎖共同体空間の中で、目先、手先、口先のことにこだわり、もって「日本的~」を冠することを偏愛する傾向がある。いいとこどりのツマミ食いで、選択的に外部世界の文物を移植しつつ。

こんなことを連綿とやってきたので、日本という伝統主義社会は、ガラパゴス島のように、文明、文化、人間社会生態の経路が外の世界とは異なってきたのだろう。

         ◇    ◇    ◇

人の行く道の裏、花の山。

その後は、いろいろと長くなるので省略するが、外資系のコンサルティング会社を経て、裸一貫から自分の会社を起業して、成長させて、喜怒哀楽の後、上場企業に売却してキャピタルゲイン(小銭)を得た。自分で言うのもなんだが、バリバリ商(シノ)いで稼ぎもいい方だった。

こんなことをやってきたので、友人・知人にもけっこう奇人・変人が多い。プー、キモヲタ、起業家、サイエンティスト、学者、医者、AV監督、変態、作家、歌手のできそこない、サイクリスト、自然愛好者、お役人、ピンからキリまで、友人や知人との交流は広い方だろう。

反面、マジメで杓子定規な人は苦手だ。権力をカサにかけて威張る人、一緒にいる相手をカンファタブルにしようとする習慣がない人も苦手だ。

今は大学院で技術経営、マーケティング、イノベーション、医療サービスマネジメントの研究・教育を行いつつ、イノベーション人材、若手起業家の育成、支援も行っている。

振り返ってみると、勝手流のギャップ・イヤーを使って、ヨコ方向に奔放にはみ出して、ずいぶんムダなことをやってきたと我ながらに思うのだが、ムダな経験の中にこそ、得るものも多かったような気がしている。

グローバル・リテラシーなんて、たいそうな言葉があるが、世界のどこでもだれとでもわいわい、がやがややったり、駆け引きしたりして、いっぱしの仕事をして、しぶとく生きてゆく世渡りの人間力は涵養されたのではなかろうか。

世渡りの「世」というのは、日本の世間ではなく、世界の「世」に置き換えてみるといいと思う。

日本のいくつかの大学院で教えてみて実感するのは、日本国内仕様の空気を胸いっぱいに吸い込んでしまい、世界とのインターフェイスを持たない、内向きな人が多数派を占めるということ。こうして日本教の無自覚的な経路に乗ってしまう人は多く、その結果、インテリジェンス欠陥症候群(詳細は、この連載で詳述)に罹患してしまうのだ。

日本の病のひとつの根源が、このあたりにあると見立てているのだが、さて。

世界における自分価値(world value of yourself)を上げて世界のどこでも、だれとでもビジネスをやれる柔軟さとクリエイティビティこそが、job securityである。

ギャップ・イヤーというのは、空気という同調圧力に過剰に整合し、インテリジェンス欠陥症候群に陥りやすいマジメで内向きな日本人だからこそ必要なシステムだと思う。おりしも、この日本の空気はFUKUSHIMAからダダモレしている放射線物質で汚れてしまっている。

こんな空気、若者が吸いつづけたらヤバイぜよ!

ギャップ・イヤーを自分で創って、世界と自分の境界を越境して、外の新鮮な空気を吸い、世界と自分の関係性をヨコ方向に再デザインするには格好の機会なのではないか。

イノベーション人材には、通念、定説、常識にとらわれない、意図的なヨコ方向へのハミダシが必要なのだ。