よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

コマーシャルオープンソース企業のカルチャー

2006年07月16日 | ニューパラダイム人間学
このところ、SugarCRMの幹部やユーザ企業の方々と企業カルチャーについて語り合うことが多い。たしかに、オープンソースのカルチャーはプロパラエタリーなソフトウェアを作り続けてきた企業のそれとは大きく異なる。

このあたりの議論、ライセンス方式、コスト構造、マーケティング手法、開発手法などのビジネスモデルの具体論でひとしきり、アツくなる。しかし、根っこの部分は風土、体質、カルチャーに行き着く。

そもそも、OSS運動のカルチャーなるものは、プロパライエタリな企業に対するアンチテーゼとして発展してきたわけなので、プロパライエタリな企業を中心として形づくられてきたカルチャーとは、根本的に異なるわけだ。圧倒的優位の勢力に対峙する少数派は、一般的に、主義・主張を先鋭化させてゆく。OSS運動も、この一般則があてはまり、敬愛するリチャードストールマンは、さしずめOSS運動の原理主義的カルチャーの体現者という位置づけが似合う。

では、オープンソース・ソフトウェアのカルチャーとは、いったいなにか?

・オープンソース遺伝子である反プロパライエタリ・スピリットを濃厚に持つ。
・占有、独占、囲い込み、中央統制を極端に嫌う。
・オープン、共有、共生、分かち合い、エコロジーに共感する。
・自由と義務が表裏一体のコミュニティ参加への持続的意思を持つ。
・不特定多数とのオープンな分かち合いからイノベーションが生まれると信じる。

ここまでの特徴は、多かれ少なかれ、OSS運動の系譜にある。左翼運動、ニューエイジ経験者なら、共感できる価値観だろう。しかし、近年ほころびつつあるとはいえ、終身雇用、年功賃金、企業内組合で囲い込まれてきた、日本のIT産業企業のカイシャ員的精神構造からは乖離した価値観でもある。

だから、既成の体制価値観に批判的な方々からは熱烈な共感を得ることになる。かたや、このようなスピリットに共感をいただけない方々には違和感を感じざるをえない。

さて、オープンソース・ムーブメントの運動には無くて(あるいは極端に希薄で)、コマーシャル・オープンソースに濃厚に存在するカルチャーとは?

・資本主義体制下における利潤動機を楽天的に肯定する。
・オープンソース・ソフトウェアの精神は分かるが、それを越えたい。
・実用主義、プラグマティズムを信奉する。
・リスクがあれば、先取りしたい。ついでにリスクマネーも。
・前世代のビジネスモデルを否定したがる、超えたがる。
・コミュニティの価値を経済的に理解しようとする、計算できる。
・おもしろいコト=画期的サービスづくりが大好き。
・プロパライエタリな世界とも、オープンソースの世界とも異なる世界観を夢見る。

これらがコマーシャル・オープンソースのコマーシャルたるゆえんだ。オープンソースの原理主義の系譜をひきながらも、ビジネスよりの発想と行動ができるのだ。これは、コマーシャル・オープンソース界隈で仕事をしている連中と交わってみて肌で感じてよく分かる。

シリコンバレーでコマーシャル・オープンソース界隈のベンチャー企業のマネジメントに棲息するプロフェッショナルたちの間では、スタンフォード、UCバークレイ、カルテック、USCは言うに及ばす、イーストコーストのアイビーリーグ出身のエンジニアリグ・バックグランド、MBA、MS、ph.D.などを持つ天才的ビジネスウーピー、天才的エンジニアが一大勢力をつくっている。こういう連中がよってたかって、次々にイノベーションの坩堝をこしらえ、そこにVCから大金が投ぜられる。

コマーシャル・オープンソースは「コマーシャル」なゆえに、商材=価値を生み出す対価としての価格が存在する、という側面がもちろんある。しかし日本では、表面的なコマーシャルの側面にのみ商業的に注目し、そこから利益を吸い取ることばかりに執心し、根底に横たわるオープンソース・スピリット、そしてコマーシャル・オープンソース・スピリットには無関心という方々が多いのは残念なことである。

スピリットを分かち合える人、会社と一緒に仕事をしたいものだ。








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