よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

ヒューマン・サービスとしての助産と呪術、祈祷、儀式の関係

2009年12月17日 | 健康医療サービスイノベーション


ヒューマン・サービスは伝統的な社会では、呪術、祈祷、儀式と一緒の次元に存在していた。ヒューマン・サービスの共創性、共感性は、これらの手続きによって支えられてきた。その結果、公共圏で、個人のコミュニティへの帰属が確認され、親から子へ、子から孫へと連綿と継承される。

近代化の過程では、ヒューマン・サービスは呪術や祈祷から分離・隔離されてきた。そして、ヒューマン・サービスが合理性を目指すとされる市場原理の発動を受けて「市場」を通して提供されるようになると、ますます、ヒューマン・サービスの脱呪術化が進んで、private goods/servicesとしての「物象化」が進む。

ヒューマン・サービスを逆に「市場」から引き剥がし、脱物象化させようとする試みがあるとすれば、そのオプションとしてなにがあるのだろうか。

<以下貼り付け>

 昔、産婆というのは、赤ちゃんを取り上げる仕事と、祈りをする仕事のふたつがあった。お産は、あの世からこの世へ、魂が移行してくるとき。昔は、お産で命を落とす赤ちゃんや母親が今よりずっと多かったため、これを“もののけ(邪気のようなもの)”が命を奪いにくるためと、考えていた。そのために、“もののけ”に囚われないように、お祈りをしたのだ。

 現在でも、アフリカなどでは、病気のときには、西洋医学の医師ではなく、呪術や祈祷を行う人にかかるという風習が残っているところもある。

 日本ばかりでなく、昔はどこの国でも、癒しを専門に行う女性が介助していた。そこでは、神に祈りながらのお産が行われていたのだが、西洋科学と医学の台頭によって、そうした女性のヒーラーたちは押しやられてしまった。これが、中世ヨーロッパの魔女狩りだ。魔女狩りによって殺された女性の中に、助産を行っていた女性が多くいたと言われている。

 山形県小国町では、出産が現在のように病院で行われるようになる前、自宅出産では助産を実際に手伝う産婆と、産婦の枕元に座り、呪文をとなえていたトリアゲバアサンがいたという。

 奄美群島の沖永部島では、産婆をフスアジ(へそ婆)、クッナサシアジ(子どもを産ませてくれる婆)というが、これは、へその緒を切るという大切な役目をする人という意味だ。へその緒を切ることを「クレをくれる」ともいい、このクレは位のことで、運命、人の位、など、宿命を授けるという意味だったという。

 人の一生の運は、へその緒を切る産婆によって、与えられるものと信じられていた。産婆は、人の運命を左右するほどの霊能者とされていたのである。

 他の地方にも、産婆を呪術者、産育儀礼を司る産の神の司祭者であったことを表わすものが多い。しかし、こうした産婆の力や能力は、現在の病院出産では、一番希薄になってしまった部分であり、助産婦自身も、産婆のかつてのそうした力を知らないことのほうが多い。

(参考文献/『日本人の子産み・子育て--いま・むかし』鎌田久子ほか著/勁草書房 1990年)

<以下貼り付け>

・引用サイトはここ
フィリピン、ネグロス島のヒロット(伝統的産婆)について
村の魔女

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