よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

仏教看護入門

2012年06月20日 | No Book, No Life

著者の藤腹明子女史から数か月前に新著を贈呈いただきました。女史とは、近著の「仏教看護の実際」の書評を、このブログと医学書院の看護管理という雑誌でしたのが御縁で、こうしてまた意味ある書物を頂けるのは実に有り難いことです。

医療は、もちろんサービスなんですが、「健康保健医療サービス」は実に裾野が広い大きな世界を形作っている。モノの方向では、医薬品、医療機器、生物由来製品といったartifact系のイノベーションもさかんだが、モノと対置されるspiritualな方向でも、いろいろなイノベーションが創発しているのですね。

たとえばスピリチュアル・ケア・サービス(spritual care service)では末期がんなどの緩和ケアサービスが日進月歩の変化を遂げつつあります。この領域で、非常に興味深いのでは、こと精神、意識を相手にするサービスは、ひとつの方向性として文化・文明圏に埋め込まれた体系・技法・教えに回帰するということです。

いま一つの方向性は、スピリチュアリティがグローバル性を帯び、ユダヤ教、キリスト教、回教といった一神教(monotheism)と、多神教(polytheism)が収斂してゆくという楽観的?シナリオです。

「人は死んだらどうなる?」という問いは伝統的なサイエンスでは不問にふされます。でも、緩和ケアの現場では、死ぬ意味、そして生きる意味の紡ぎだしを、ケアを与える側も、受ける側も逃げられません。

こないだ、ある大学病院のプロジェクトで緩和ケアの専門看護師の方とじっくり語り合う機会をいただいて、「死生の意味の紡ぎだし」を現場で患者さん、家族を含めてといっしょにやっているサービスを深くお聞きしました。この意味の紡ぎだしをキチンとやってきた患者さんは、静かで落ち着いた臨終を迎えることが多いとのことでした。

そこに、いかに医療チームが介入し、意味の紡ぎだしの「場」を患者、家族と共創してゆくのかというテーマは、value co-creation of palliative/spiritual care でしょうね。こう、英語で書いてしまうと、なにか、冷たく感じなくもないですが。

ケアリングというのはサイエンスであると同時に、もしかしたら、それ以上に、人間を全体論的に捉える(その一部として人の価値システムの根っ子のことろにある宗教的な)構えが前面に出てこざるをえない構造が、特に、緩和ケアや終末期医療サービスにはあります。大量死の時代を迎え、この種の要請は益々増してくることでしょう。

このところを、value co-creation of palliative/spiritual care という切り口で分け入ってみると、いろいろな発見や意義ある提言ができそうです。

その意味で、「仏教看護」には大注目しています。科学志向が金科玉条のように言われる看護ですが、仏教看護は、看護におけるリベラルアーツのようなものだと思います。ぜひ多くの看護師、そして看護師のみならず、医師など医療チームのメンバーの方々にも読んでいただきたいと思います。

 


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