4月17日(日曜)
先日、ある事で考え事をしていましたら、それが25年くらいに似たシチュエーションで沸いた感情と同じ事だという事に気付きました。
まったく同じ感情なのです。
その当時、ああ自分はなんてちっぽけな男なんだろうと随分と長い間、自己嫌悪に陥りました。
が、四半世紀も過ぎた今、色々な事を経験して今日に至ったような気がしたのですが、結局は何の成長もなかったのです。
自分自身ですらそうなのですから、人の気持ちの根っこの部分を変えるなんて、そうそうできる事じゃないですよね。
自分がしてほしい事を他人のためにして、自分がされたら嫌な事を避ける事が、人間関係におけるマナーであると、何かの本に書いてありました。
前にも書いたかもしれないけど、道を譲る時でも、エレベーターで先に行く事を譲る時、譲っても有難うも、会釈も何もせずその場を立ち去る人がとてもとても多いですよね。
これは海外に出張したり、駐在させてもらって初めて気付いた事ですが(もっとも故意にそうされなかった場合もある、世間でいうところの差別や偏見ってやつですかね)、アーさみしいなって正直思っちゃいますね。
もっとも日本では有難うの代わりに、すみませんという言葉を使う場合が多いですね。へりくだる言葉だから言いたくても言えないのだ、ありがとうという言葉の方がいいと思っている、とずっと思ってきました(でも今回の震災で、有史以来幾度となく自然災害に見舞われながらも生き抜く術がDNAに組み込まれている日本人には「すみません」という言葉の感覚も必要なんだと、深く理解しましたが)。
僕はお礼をしてもらいたくてしているわけではないけど、やはり他人のために何かをした時にはありがとうって言葉を聞きたいな。聞いたらこっちも嬉しくなるし。
「やさしい言葉は、たとえ簡単な言葉でも、ずっとずっと心にこだまする」 ~ マザー・テレサ
自分の根っこの部分を変えたい。