かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

食べものと私たちの命を取りもどす暮らし

2014年10月07日 | 暮らしのしつらえ

 わたしは、専業農家が減り兼業農家が増えることは、必ずしも悪いことではないと思っています。

 もちろん、農家が専業で食べていけないという実態は好ましくないことですが、他方で農業を収入目的でなく、自らが食べて行くためだけに生産するところが増えるのは、本来の人間の命の再生産の意味では、とても素晴らしいことです。

 

 市場に出して、流通経路を経ることで農産物の本来持っている鮮度は、致命的な打撃を受けます。

 それを避けるために、様々な無理(冷凍による膨大なエネルギー消費や有害な保存料の使用)をする。


 それよりも、自分の親やおばあちゃんが作ってくれた自家栽培の新鮮な野菜を毎朝食べられる子どもが、一人でも増えることの価値には、はかりしれないものがあります。

 

 

「 もっと野菜を多く食べなさい」

 

ヘルシー志向が高まるなか、しきりにこうした言葉が繰り返されます。

それは「良いこと」「間違いのないこと」には違いないのですが、

ほんとうに大事なことが何も語られていないことを最近痛感しています。


必要なのは、健康のために「野菜をもっと食べなさい」
ではなく、


「ナスってなんておいしいんだろう」


「ニンジンでなんておいしんだろう」


という体験が先になければ、栄養成分を説明する栄養学なんていくら繰り返しても意味が無いと思うのです。


収穫してから一日以上経って店頭におかれたままの野菜が、いくら産地直送などといっても新鮮であるはずがありません。

新鮮なおいしい野菜は、買う時間で考えれば、朝、店頭にならんだものであれば、昼までが勝負です。

 

事実、近所の農産物直売所は、午後に行っても良い野菜はもうおかれていないと妻は言います。

それは、単に商品量が少なく売り切れてしまうということではなく、

おいしい野菜がなにかをそこの消費者が知っているということなのです。

 

 

F1種(種を買い続けない限り実のならない種)などを使わず、化学肥料や農薬も使わず

本来の生命力にあふれた新鮮な野菜を食べることで

まず第一に、「食」というものが、本来、自然の「生命をいただく」ことなのだという基本を取り戻し、体験することができるようになります。

第二に、その命をいただくということが、なによりもアレルギーや冷え性などを無くし、 カロリー栄養学に勝る最良の健康法であることに気づきます。

第三には、新鮮な生命力あふれる食品を食べると、本来の食品そのもの持っている豊かな味を知ることができ、不要な化学調味料や塩分、マヨネーズなどを加えることなく、おいしさを感じ味わえるようになり、忘れていた私たちの味覚を取り戻すことができるということです。

 

流通市場にあふれている食品の多くは、これらに逆行したものにあふれています。

 

企業は、食品のなかの塩分、糖分、脂肪分さえ増やせば、売上げは確実に伸びることを知っています。

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠
クリエーター情報なし
日経BP社

 

仮にそうした食品産業の戦略を知ったとしても、現代人の味覚は、すでにどっぷりとその感覚に汚染されつくしています。

 

私は、亡くなった義父に本来の「食」のあり方を学んだのですが、本来、「おいしい」「おいしくない」という味覚は、なによりも、自分の体に良いか悪いかが一番の判断基準であるはずなのです。

健康な人は、まずそういった「自分の体に聞く」感覚としての味覚を持っています。

97歳で亡くなった義父にはナイショでしたが、食卓で義父に先に食べてもらって、これはおいしい、といってくれたものはカラダにいい。

これはマズイといったものは、きっとカラダに悪いと判断させてもらっていました(笑)。 

 

この健康な感覚を取り戻すことを第一に考えないで、カロリー計算やビタミンがどうのこうのを気にしても、健康になることはありえません。

 

おいしい新鮮な野菜を食べると、日頃慣れ親しんだ加工食品や清涼飲料水の甘みが、おいしくは感じられなくなります。ドレッシングやマヨネーズをかけない方が、野菜の味をよく味わえるようになります。 

 

 

これらの食生活を現代の食品流通業界で取り戻すのは、とても難しいことです。

また、自然のままの食品を手に入れることは、なぜかかえって高コストになる現実があります。

多くの生産者が、こうした矛盾をなんとか解決しようと真剣に挑んでいることも事実です。


でも、最も確実に解決に向けて成果を上げているのが、専業農家でない兼業農家や家庭菜園のようなかたちで、自家消費される農産物の生産が増えることです。

 

食料の自給率を上げようとか、国内農業の生産性を上げるために経営の大規模化をはかることは、経済学では大事なことでしょうが、私たちの暮らしと健康のためには、むしろ市場には出回らず経済統計には繁栄されない自家消費型の農業が増えることは、何重の意味でもすばらしいことです。 

それでは、肝心な経済発展による豊かさが後退してしまうではないかと言われそうですが、そんな「豊かさ」を求めて、私たちの暮らしと健康がどんどん破壊される世の中は、もう誰ものぞみません。 

 

 

経済学や社会政策は、「食」の持つ根源的な役割と世の中全体に与える経済を含めたほんとうの効果を未だに評価できない。

でも、政策とはまったく別の次元で、多くの生活者が自分自身を守るために正しい判断をするように少しずつなり始めています。



そういえば、同じような視点のことを、以前に

「キューバを乗りこえたキューバのキューバしのぎ」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/5992ff0f480aae1f3208bd37290e69c8

と題して書きました。


 

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