英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

原子力発電の解決は一国だけでは無理  日本人の将来 

2013年10月12日 09時00分25秒 | 地球環境・人口問題
 筆者にとってことしは歴史的な変化の年だった。妹は亡くなり、母親の面倒を見ることにもなった。長年温めてきた思いを2007年から6年かけて原稿にし、間もなく大阪の出版社から本も出す。目が回るように忙しかった。やっと一段落した。ブログに書き込もうと思う。
 10月に入ってからも全国で30度を超える所がかなり多い。歴史は継続だというから、18世紀後半から19世紀初頭にかけて始まった産業革命以来の「つけ」が押し寄せているのだろう。特に20世紀の革命的な産業の変化は著しかった。それに伴う生活の便利さを人々は手に入れ、それに慣れきってしまった。しかし再び産業革命以前の生活に戻るのはほとんど不可能だ。人間は既得権を手放さない。これは長い歴史が証明している。
 長年排出された二酸化炭素は今や地球を侵しているのは明白だ。地球温暖化は凍土地帯の氷を溶かし、メタンガスの発生をもたらしているという。メタンガスは、石炭などから出る二酸化炭素よりの数十倍の温室効果がある。
  クリーンエネルギーの代表格だった原子力発電も、福島第1原発事故以来、その評価は暴落した。日本人は即刻原発を廃止せよ、と叫んでいるが、ほかのエネルギー供給方法を提示していない。日本の隣国、中国は現在、原子力発電に力を入れ、発電所を広い大地に何十基も建設中。日本人が原発建設を中止しろと言って日本国内から原発を一掃できたとしても、中国の沿岸部に建設された原発が事故を起こせば、たちまち東シナ海や日本海を越えて放射能は日本列島に降りかかるだろう。
 筆者も原発の増設には反対するが、原発に代わるエネルギー源をいかにして見つけることができるのだろうか。東電の福島第1原発事故以来、電力消費を抑えてきた日本人の英知がさらに発揮され、一層のエネルギーの節約に向かうのだろうか。向かったとしても日本人だけでこの地球を救えまい。
 100の民族がいれば、文化的背景の異なる民族の国民性も100ある。中国人と日本人の国民性は水と油。国民の意識も20世紀的発想の中国人と、その世紀のトラウマからやっと抜け出しかけている日本人は現在、協力することさえも困難。前途は茨の道だ。

ヘイトスピーチではなく観察眼を      好き嫌いの感情でなく反証を

2013年10月08日 15時15分38秒 | 日韓関係
  中国情報サイト「サーチナ」によれば、中国の中国新聞社はこのほど、周辺国家に対する韓国人の態度は、サッカーの試合に顕著に表れるとする、韓国国内の学者による調査結果を紹介する記事を掲載した。調査は今年2月と4月に実施された。
  学者は記事の中で「サッカーを含む現代スポーツは非常に政治化しており、試合において国家間の争いが大きく反映される」と話している。
  4月の調査では、米国の試合を応援する韓国人が57%に達した。また北朝鮮の試合を応援する割合が減少傾向にあり、中国やロシアの試合については対戦相手によって支持率が大きく変化するという。
  日本への態度をめぐって、中国紙は「予想どおり」としたうえで、日米が試合をすれば91%の韓国人が米国を応援し、日中戦では74.4%が中国を、日ロ戦では66.3%がロシアを応援することを明らかにした。
  「スポーツに政治を持ち込むな」という叫びは、大多数の韓国人には通じないのかもしれない。
  サーチナの編集担当者は「韓国でこのような調査が行われたということに対して『いかにも』という気持ちを抱かざるを得ない。政治的な感情なしに、純粋に国際スポーツを楽しむというのはそもそも(韓国人には)不可能なのだろうか」と話しを結んでいる。
  日本でも、朝鮮学校の周辺でヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返して授業を妨害したとして、学校法人京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などを訴えた訴訟の判決で、京都地裁は7日、学校の半径200メートルでの街宣禁止と約1200万円の賠償を命じた。
  京都地裁は、ヘイトスピーチを在日コリアンへの侮蔑(ぶべつ)や排除をあおる人種差別だと判断した。
 東京新聞社の社説によれば、在特会は「殺せ」「たたき出せ」と大音量で連呼する街宣活動を続けているという。特定の人種や民族を差別し、憎しみをあおる「ヘイトスピーチ」は在日コリアンが大勢住む東京や大阪などで深刻だ。 
  日韓をめぐるこの二つの事例から両民族の国民性の一端が垣間見える。どんな民族も日韓両民族のような他民族に対する感情的な排他性を持っている。特に、紛争時や「いわれない中傷」と感じる問題、民族の琴線に触れる問題が起こるとその傾向が強まる。
 観察眼を持ち、過去を振り返り、過誤を反省してそれを未来に生かそうと考える人々が多数を占めているときは、二つの事例のような不合理で感傷的な出来事は適切に阻止される。そのような人々が多数を占めていなくても、感情的な侮蔑は行きすぎだと感じる人々が多数を占めている時、国が進路を誤ることは少ない。
  だが、スペインの作家オルテガが言うように、大衆は「愚か」である。途方もない理不尽な政治目的を掲げたモンスター政治家が、感情的、非合理的な大衆を扇動し、感傷的な大衆を引き付け、動員して独裁政治を始めた時、民主政治は終わりをつげ、 われわれの自由は奪われる。ナチス・ドイツのヒトラーはその好例だろう。
  オルテガがいうような大衆になってはならない。絶えず冷徹な観察眼で周囲の環境を観察し、過去を見つめ、これからどう対処すべきかを考察する。北朝鮮や中国の意図は何か。国民性がどの程度まで政策に影響しているのか。歴史が彼らにどんな影響力を与えているのか。
  その分析に際して、われわれは相手を色眼鏡で見るのではなく、相手に肩入れして観察するのでもなく、相手を憎しみや好き嫌いで観察もせず、そのような感情から離れて虚心坦懐な気持ちを持って、科学者のような態度で証明し反証して相手の考えや姿勢、行動を分析する。ヘイトスピーチを繰り返すよりも相手への観察を繰り返すほうが100倍も大切であろう。


学生時代の親友との本音が言える語らい 

2013年10月06日 11時58分41秒 | 交友
 昨夜は大学時代の友人3人と1年ぶりであった。もう一人の友人は所用で欠席。1年に一度、会うことが定例になった会だ。岐阜県から毎年、旧友に会うことを楽しみに上京するM氏が音頭を取ってこの会を初めてどれぐらいたっただろうか。5年は過ぎたように思う。
 Mは司法書士で、息子さんも数年前に司法書士試験に合格、事務所で見習いをしてから、昨年Mの事務所で働き始めたという。Mは言う。「何かにつけて頼りなく、人生に取り組む姿勢も甘いと思っていた息子と一緒に仕事を始めてみると、一生懸命やっている。驚き、なかなかやると思った。自分の息子を他人の前で褒めるのは気がひけるが、よくやっている。俺も数年後に引退して、老後をどうするか思案している。いままであまりにも忙しく、自分のために時間を使うことがなかった。手始めに1カ月ぐらい独りで海外旅行をする計画を立てている。学生時代、休学して半年ヒッチハイクで欧州、北アフリカ、インド、東南アジアを巡ったが、60歳すぎてヒッチハイクとはいかんだろう」。Mは笑っていた。
 もう1人のOは51歳で大手企業を早期退職。東京都心でマンション経営をしている。生涯独身で、企業に勤めているときに貯めた資金を利用してマンション経営に乗り出し成功、初老生活を満喫しているようだ。「一日の日課はフィットネスクラブや図書館に通うこと。夜は自炊してテレビを見て寝る。好きな本を読めて幸せだ」と話していた。
 話がどうしても老後のことになり、葬式についても話題になった。関東圏では骨壺に亡くなった方の骨を全部入れるが、関西では一部を入れて、残りは火葬場が処分するという。Oがこんな話をすると、Mは「そうだ」と返答した。岐阜県は関西圏に入るそうだ。
 Mが「おいO、独りだろう。そんなに金を貯めてどうするのか」と聞いた。Oは「妹や甥に墓に入れてもらおうとお願いしようとも思わないし、どうするかなあ」と思案顔。するともう一人の同席者のSが「慈善団体や非営利団体に寄付でもしたらどうだ」と助言していた。Mは「金はあるところにはあるがないところにはない。Oのように金が貯めることが可能なよい時代に俺たちは生まれたわけだ」と皆を見まわしながら、真剣な眼差しで語っていた。
 筆者は合図を打ち「そうだなあ。俺たち団塊の世代は、親父たちの世代のように戦場に行かなかった。子どもの世代のように就職難や派遣社員を強いられて生活に困ることもなかった。経済は右肩上がり。まともに働こうとおもえば、大多数は報われた時代だった。その上、政治運動に頭を突っ込んで安保闘争や毛沢東に熱を上げる余裕もあった。子供や孫は親父たちと同じような境遇だなあ。もちろん境遇や環境の内容はまったく違うが・・・」と強調した。
 参加者全員があまり長生きしすぎて世間や子どもに迷惑をかけないことで意見が一致した。「80歳ぐらいまで生きれば十分だ」。さて残りの15-20年の人生をどうするか。「いままでやりたくても家族のため、会社のためにやれなかったこと。いままで自分の思想や考え、人生観などを言いたくても会社の同僚に遠慮して言えなかったこと。そんなことを人生の最後にやり遂げてこの世をおさらばするか」。この点で意見が集約されて別れた。「また来年の第1土曜日に新宿で会おう。それまで元気で」とMはニコニコ笑いながら、今晩1泊するJR新宿駅近くのホテルのほうへ消えていった。
 ちなみに孫もいるSは司法書士事務所に長年勤めながら、今も司法書士試験に挑戦している。司法試験に挑戦していたが、司法試験改革で回数制限が決められ、司法書士試験挑戦に舵をきったという。かなりの実務経験があるが「試験と実務は違う。まあ、金にも困らないし、今や趣味とかしたなあ」と話し、「合格して数年でもやれればよいと思っている」と挑戦への意欲は衰えないようだ。
 今回の会に欠席したHは弁護士。彼は昨年の会で「司法改革は失敗した。過疎地にも弁護士も、と法務省は考えて改革を実施したが、過疎地に弁護士が扱うような訴訟など起こるはずがない。それに日本人は争いごとを避けたがる国民性だ。米国人のようになんでも訴訟に持ち込む国民性ではない。いまや弁護士供給過剰時代だ。食えない弁護士は40年前に比べてたいへん多いし、合格者を40年前の500人から2000人にして弁護士の資質も低下した。この改革でなにもよいことはなかった」と切り捨てていた。
 歴史の原則でいえば、英国のバターフィールド教授が半世紀前に言ったように、歴史は人間の当初のもくろみを捻じ曲げる性質があるということに当てはまる。なにごとも人生は思うようにはいかない。

(写真)ドーバー海峡から見える英・白い壁。本文とは関係ありません。