現在、ダットン・マンチェスター大学教授が書いた「ネヴィル・チェンバレン」を読んでいる。読むにつれて、1930年代の英国の外交と現在の日本の外交が似ているのに気づく。英国の政治家は1930年代、アドルフ・ヒトラーのベルサイユ条約破棄について、欧州におけるドイツの名誉を回復する外交攻勢だとみていた。
この見解の代表者がネビル・チェンバレンだ。チェンバレンと聞くと、国際政治をかじった人々には「融和政策」が頭によぎるだろう。
チェンバレンはヒトラー・ドイツをレビジョニストだと考えた。これに対してウィンストン・チャーチルはヒトラーがドイツを頂点とする新国際秩序を打ちたてようとしていると確信した。また1933-37年まで在ベルリン英国大使のエリック・フィップスもナチスNo.2のゲーリングらナチスの幹部に会い、ナチスが「異常な暴力集団」だと認識、本国政府に警告し続けた。
ことし6月にBBCが放送した番組「インテリジェンス」で 専門家4人が「チェンバレンは正しいことをしたのか」という題で討論した。
ジョン・チャムリーとグリン・ストーン両教授はチェンバレンに同情的で、「当時の状況からすれば、ベストな政策ではないが、唯一取り得る政策だった」と主張した。これに対してエバンズ・ケンブリッジ大学教授とケンブリッジ大学のチャーチルカレッジのフェローのピアーズ・ブレンドン氏は「チェンバレンの過誤は明らかであり、フィプス大使らの警告を無視した」と反論した。
歴史は繰り返さないと、エバンズ教授は筆者に一昨年春ケンブリッジでお会いしたときに言われた。ただ、こうも言われた。過去を参考にすることは必要だ。
ナチスの性格を読み誤り、第2次世界大戦に欧州を引きずり込んだ張本人と言われているチェンバレンは、なぜ過誤を犯したのか。過誤を犯さなくても、チェンバレン擁護派教授が言われるように、チェンバレンは、なぜ融和政策が唯一取り得る英国の対ドイツ外交政策だと信じたのだろうか。
チェンバレンは悲惨な第1次世界大戦を経験し、2度と戦争をしてはならないと悟った。何を犠牲にしてでも平和を維持することが国民の福祉と安寧を促進すると信じた。
第1次世界大戦は第2次世界大戦より重要な意味を持つ。銃後の市民を巻き込んだ初めての戦争であり、国家のあらゆる資源を投入した初めての総力戦だった。破壊兵器 ー 戦車、飛行機、毒ガス ー が初めて登場した。人間の戦術と英知が主役だったこれまでの戦争を根底から覆した。
チェンバレンをはじめ大多数の政治家は「悲惨な戦争を二度と起こしてはならない」と信じた。だからこそ、第1次世界大戦後に設立された国際連盟に英国の運命を託し、極端な軍縮をして軍備を激減させ、英国は1920年代、ほとんど無防備状態だった。この考えは、ヒトラーが政権が急速な軍拡に走っている時でさえ多くの英国政治家の信念だった。
政府とメディアは英国がベルサイユ条約で天文学的な賠償を押し付けたことを反省し、ベルサイユ条約によってアフリカの植民地を奪われたドイツに同情的だった。そして英国人が恐れた共産主義国家、ソ連の防壁にドイツがなれると信じた。
ヒトラーが1938年のミュンヘン会談で、ドイツ住民が大多数を占めるチェコスロバキアのズデーデン地方をよこせと欧州列強に要求した時、英国が融和政策以外にとり得る政策は残っていなかった。ストーン、チャムリー両教授はこう述べる。
ミュンヘン会談でのヒトラーの要求は民族自決主義にかなっていた。英国がヒトラーの要求を拒絶すれば、戦争が始まるのは必至だった。英国はヒトラー・ドイツに戦争を仕掛けることができたが、一国で戦うのは現実的に不可能だった。
巨大な軍事国家に成長したナチス・ドイツを破るには「大同盟」しかなった。大同盟とはフランス、アメリカ、ソ連と英国のが団結してナチス・ドイツと戦うことだ。しかし4国の国内情勢や対ドイツ政策、思惑が違っており、足並みがそろわなかった。
フランスは国内政治が不安定であり、大陸軍国であっても近代的な軍ではなかった。第1次世界大戦後の軍改革が進まなかった。歩兵が陸軍の主力であり、陸軍参謀本部は戦車や飛行機が次の戦争でどんな役割をするか理解できず、軽視していた。
当時の欧州の軍事専門家の中には、次の戦争の主役は戦車と飛行機だと踏んでいた。少数意見だったが、この見解は当たっていた。。
アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はどうか。大統領はミューヘン会談の結果を聞いてチェンバレンを「グッド・マン。グッド・マン」と称賛し、ズデーデン地方をめぐるドイツの割譲を黙認した。米国民は孤立主義を支持し、欧州の出来事に関心をほとんど示さなかった。また欧州政治は川向うの出来事で自分とは関係ないと思っていた。
ソ連はどうなのか。当時のソ連の独裁者スターリンは1937-38年にかけて有能な軍の最高幹部を次々と粛清(自らの権力基盤を確立するため)し、このためソ連軍は弱体化した。なによりもスターリンは資本主義国を自らの「体制の敵」だと思い込み、彼らを信じていなかった。ソ連の独裁者は、ナチス・ドイツが1941年6月にソ連に侵攻を始めるまで、ヒトラーに親近感を抱き、支援していた。
ストーン教授は、チェンバレンが戦おうにも戦うことができなかったと述べた。これに対してエバンズ教授は、ドイツ陸海空軍幹部はミュンヘン会談当時、同国陸軍が英国と戦う意思はなく、英国と戦う戦力はないと結論付けていた。当時のドイツ参謀総長のフランツ・ハルダー上級大将は「もし英国がチェコ問題に武力で介入してくれば、クーデターを起こしヒトラーを逮捕。英国と和平交渉をする」ことを計画していた。当時のドイツの戦力ではロンドンを攻撃する空軍力はまだ備わっていなかった、と融和政策批判派は述べている。
現在の人々が過去を考察する場合、当時の人々より断然優位な立場にある。われわれのほうが当時の人々より結果を明確に理解し、豊富な資料も手に入るからだ。
われわれは過去を知っている。チェンバレン首相は、ミュンヘン協定から半年後、ヒトラーに裏切られた。1939年3月、ヒトラーはチェコスロバキアに侵入。チェコを併合、スロバキアに親ナチス政権を打ち立てた。
中国問題を考察するために、長々と1930年代の欧州情勢やチェンバレン首相と融和政策を説明した。さて、現在の中国に対する日本人の心理はどうか。1931~45年の対中侵略と敗北は日本人の心理を現在でさえ多分に支配している。日本人が平和を欲し主導しれば、平和は手に入ると考えてきた。特に昭和の時代はそうだった。
現在でも、多くの日本人は、憲法9条の精神に永遠の平和を見いだしている。この心理は第1次世界大戦の英国民の心理とほぼ同じだろう。当時の英メディアと現在のリベラルな日本のメディアの精神構造もほぼ同じだ。
それは理想としては素晴らしいが、中国は今何を考えているのか。特に軍部は何を考えているのか。毎年10%以上の軍備を増強してきた。何よりも透明さが欠けている。何の目的で軍備を拡大し続けているのか。
2月26日付の筆者のブログ「中国の夢は世界一の米国を覆す」で、サンデー・モーニング・ヘラルド(豪州)を引用した。「上級大佐で、中国国防大学の劉明福教授は2週間前、豪州メディアのフェアファクスとのインタビューで『核攻撃の正当化』というシナリオにまで舵を切った。ただし彼は中国が核攻撃の引き金を最初にひかないことを明確にした」
劉明福大佐は2010年3月、ベストセラー「中国の夢」を出版した。この著書で、中国が米国に代わり世界第一に、とアピールした。
ロイター通信はこのほど、「中国の夢」は「米国の『世界一の国家』の地位を阿諛(あゆ)するものだ」と論評。英紙デイリー・テレグラフは、中国解放軍は、世界最強の軍事力を整備し、迅速に前へと進み、米国の「世界第一」の座を覆すことを考えている、と報じた。
この報道が事実なら、中国軍人の最終目標は「世界一」ということになる。ヒトラーと同じ政策であり、レビジョニストではない。もしレビジョニストなら、既存の国際秩序を守り、同時にこの国際秩序の中での地位を上げたいと切望するだろう。国際法を遵守し、尖閣諸島や南シナ海で現状を変更しようとして近隣諸国とトラブルを起こすことはなかっただろう。
いまこそ、日本人は虚心坦懐な心で目を凝らして中国を観察しなければならないと思う。中国へ「プロパガンダ」や「余計な批判」「罵詈雑言」を浴びせることではなく、彼らの意図を観察することだ。
筆者の独断と偏見でいえば、日本人ほど約束を守り、平和を愛し、卑怯を嫌う民族はいない。優しい心も持って感情豊かだ。ただ、外交政策を論じる時は、その長所を心の奥底にしまいこんで、ディタッチメントな姿勢で周囲を観察してほしいと願う。
写真はネビル・チェンバレン首相
この見解の代表者がネビル・チェンバレンだ。チェンバレンと聞くと、国際政治をかじった人々には「融和政策」が頭によぎるだろう。
チェンバレンはヒトラー・ドイツをレビジョニストだと考えた。これに対してウィンストン・チャーチルはヒトラーがドイツを頂点とする新国際秩序を打ちたてようとしていると確信した。また1933-37年まで在ベルリン英国大使のエリック・フィップスもナチスNo.2のゲーリングらナチスの幹部に会い、ナチスが「異常な暴力集団」だと認識、本国政府に警告し続けた。
ことし6月にBBCが放送した番組「インテリジェンス」で 専門家4人が「チェンバレンは正しいことをしたのか」という題で討論した。
ジョン・チャムリーとグリン・ストーン両教授はチェンバレンに同情的で、「当時の状況からすれば、ベストな政策ではないが、唯一取り得る政策だった」と主張した。これに対してエバンズ・ケンブリッジ大学教授とケンブリッジ大学のチャーチルカレッジのフェローのピアーズ・ブレンドン氏は「チェンバレンの過誤は明らかであり、フィプス大使らの警告を無視した」と反論した。
歴史は繰り返さないと、エバンズ教授は筆者に一昨年春ケンブリッジでお会いしたときに言われた。ただ、こうも言われた。過去を参考にすることは必要だ。
ナチスの性格を読み誤り、第2次世界大戦に欧州を引きずり込んだ張本人と言われているチェンバレンは、なぜ過誤を犯したのか。過誤を犯さなくても、チェンバレン擁護派教授が言われるように、チェンバレンは、なぜ融和政策が唯一取り得る英国の対ドイツ外交政策だと信じたのだろうか。
チェンバレンは悲惨な第1次世界大戦を経験し、2度と戦争をしてはならないと悟った。何を犠牲にしてでも平和を維持することが国民の福祉と安寧を促進すると信じた。
第1次世界大戦は第2次世界大戦より重要な意味を持つ。銃後の市民を巻き込んだ初めての戦争であり、国家のあらゆる資源を投入した初めての総力戦だった。破壊兵器 ー 戦車、飛行機、毒ガス ー が初めて登場した。人間の戦術と英知が主役だったこれまでの戦争を根底から覆した。
チェンバレンをはじめ大多数の政治家は「悲惨な戦争を二度と起こしてはならない」と信じた。だからこそ、第1次世界大戦後に設立された国際連盟に英国の運命を託し、極端な軍縮をして軍備を激減させ、英国は1920年代、ほとんど無防備状態だった。この考えは、ヒトラーが政権が急速な軍拡に走っている時でさえ多くの英国政治家の信念だった。
政府とメディアは英国がベルサイユ条約で天文学的な賠償を押し付けたことを反省し、ベルサイユ条約によってアフリカの植民地を奪われたドイツに同情的だった。そして英国人が恐れた共産主義国家、ソ連の防壁にドイツがなれると信じた。
ヒトラーが1938年のミュンヘン会談で、ドイツ住民が大多数を占めるチェコスロバキアのズデーデン地方をよこせと欧州列強に要求した時、英国が融和政策以外にとり得る政策は残っていなかった。ストーン、チャムリー両教授はこう述べる。
ミュンヘン会談でのヒトラーの要求は民族自決主義にかなっていた。英国がヒトラーの要求を拒絶すれば、戦争が始まるのは必至だった。英国はヒトラー・ドイツに戦争を仕掛けることができたが、一国で戦うのは現実的に不可能だった。
巨大な軍事国家に成長したナチス・ドイツを破るには「大同盟」しかなった。大同盟とはフランス、アメリカ、ソ連と英国のが団結してナチス・ドイツと戦うことだ。しかし4国の国内情勢や対ドイツ政策、思惑が違っており、足並みがそろわなかった。
フランスは国内政治が不安定であり、大陸軍国であっても近代的な軍ではなかった。第1次世界大戦後の軍改革が進まなかった。歩兵が陸軍の主力であり、陸軍参謀本部は戦車や飛行機が次の戦争でどんな役割をするか理解できず、軽視していた。
当時の欧州の軍事専門家の中には、次の戦争の主役は戦車と飛行機だと踏んでいた。少数意見だったが、この見解は当たっていた。。
アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はどうか。大統領はミューヘン会談の結果を聞いてチェンバレンを「グッド・マン。グッド・マン」と称賛し、ズデーデン地方をめぐるドイツの割譲を黙認した。米国民は孤立主義を支持し、欧州の出来事に関心をほとんど示さなかった。また欧州政治は川向うの出来事で自分とは関係ないと思っていた。
ソ連はどうなのか。当時のソ連の独裁者スターリンは1937-38年にかけて有能な軍の最高幹部を次々と粛清(自らの権力基盤を確立するため)し、このためソ連軍は弱体化した。なによりもスターリンは資本主義国を自らの「体制の敵」だと思い込み、彼らを信じていなかった。ソ連の独裁者は、ナチス・ドイツが1941年6月にソ連に侵攻を始めるまで、ヒトラーに親近感を抱き、支援していた。
ストーン教授は、チェンバレンが戦おうにも戦うことができなかったと述べた。これに対してエバンズ教授は、ドイツ陸海空軍幹部はミュンヘン会談当時、同国陸軍が英国と戦う意思はなく、英国と戦う戦力はないと結論付けていた。当時のドイツ参謀総長のフランツ・ハルダー上級大将は「もし英国がチェコ問題に武力で介入してくれば、クーデターを起こしヒトラーを逮捕。英国と和平交渉をする」ことを計画していた。当時のドイツの戦力ではロンドンを攻撃する空軍力はまだ備わっていなかった、と融和政策批判派は述べている。
現在の人々が過去を考察する場合、当時の人々より断然優位な立場にある。われわれのほうが当時の人々より結果を明確に理解し、豊富な資料も手に入るからだ。
われわれは過去を知っている。チェンバレン首相は、ミュンヘン協定から半年後、ヒトラーに裏切られた。1939年3月、ヒトラーはチェコスロバキアに侵入。チェコを併合、スロバキアに親ナチス政権を打ち立てた。
中国問題を考察するために、長々と1930年代の欧州情勢やチェンバレン首相と融和政策を説明した。さて、現在の中国に対する日本人の心理はどうか。1931~45年の対中侵略と敗北は日本人の心理を現在でさえ多分に支配している。日本人が平和を欲し主導しれば、平和は手に入ると考えてきた。特に昭和の時代はそうだった。
現在でも、多くの日本人は、憲法9条の精神に永遠の平和を見いだしている。この心理は第1次世界大戦の英国民の心理とほぼ同じだろう。当時の英メディアと現在のリベラルな日本のメディアの精神構造もほぼ同じだ。
それは理想としては素晴らしいが、中国は今何を考えているのか。特に軍部は何を考えているのか。毎年10%以上の軍備を増強してきた。何よりも透明さが欠けている。何の目的で軍備を拡大し続けているのか。
2月26日付の筆者のブログ「中国の夢は世界一の米国を覆す」で、サンデー・モーニング・ヘラルド(豪州)を引用した。「上級大佐で、中国国防大学の劉明福教授は2週間前、豪州メディアのフェアファクスとのインタビューで『核攻撃の正当化』というシナリオにまで舵を切った。ただし彼は中国が核攻撃の引き金を最初にひかないことを明確にした」
劉明福大佐は2010年3月、ベストセラー「中国の夢」を出版した。この著書で、中国が米国に代わり世界第一に、とアピールした。
ロイター通信はこのほど、「中国の夢」は「米国の『世界一の国家』の地位を阿諛(あゆ)するものだ」と論評。英紙デイリー・テレグラフは、中国解放軍は、世界最強の軍事力を整備し、迅速に前へと進み、米国の「世界第一」の座を覆すことを考えている、と報じた。
この報道が事実なら、中国軍人の最終目標は「世界一」ということになる。ヒトラーと同じ政策であり、レビジョニストではない。もしレビジョニストなら、既存の国際秩序を守り、同時にこの国際秩序の中での地位を上げたいと切望するだろう。国際法を遵守し、尖閣諸島や南シナ海で現状を変更しようとして近隣諸国とトラブルを起こすことはなかっただろう。
いまこそ、日本人は虚心坦懐な心で目を凝らして中国を観察しなければならないと思う。中国へ「プロパガンダ」や「余計な批判」「罵詈雑言」を浴びせることではなく、彼らの意図を観察することだ。
筆者の独断と偏見でいえば、日本人ほど約束を守り、平和を愛し、卑怯を嫌う民族はいない。優しい心も持って感情豊かだ。ただ、外交政策を論じる時は、その長所を心の奥底にしまいこんで、ディタッチメントな姿勢で周囲を観察してほしいと願う。
写真はネビル・チェンバレン首相