英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

勇ましいスローガンばかりで先が見えない     借金大国の日本

2012年12月31日 13時02分03秒 | 時事問題
 今夕帰宅途中、最寄りの駅頭で衆院選挙立候補者がマイクで必死に「お願いします」を連呼していた。日本では衆院選挙が序盤戦の真っただ中。序盤戦から中盤戦へと突入し、反原発、憲法改正、防衛・安保、消費増税、TPPは語られても、日本経済をどう立て直すのか、若者の雇用をどうするか、借金大国からいかに抜け出すのか、社会保障をどうするのか、各党党首や候補者から具体的な提言は語られていない。
 選挙の焦点は、細る国家財政の中で、国民一人一人がほどほどの生活をどうして維持するか、それさえ維持できない若者にどんな援助を与えるのかを真剣に問わなければならない選挙だが・・・。医療・介護と年金もどうすべきか。医療・介護の費用は今後、年金を上回る勢いで増えるという。
 各政党はスローガンだけは勇ましいが、財源の裏付けがない。自分の暮らしは個人や家族で責任を持つ。つまり自助努力か、地域や政府の支援による公助か、地域や政府の支援と個人の努力による共助か。
 政府はここ数年、税収と歳出のギャップを埋めるため、年間50兆円規模の国債を発行している。2012年度も一般会計の総額90兆円のうち、国債が半分を占める。深刻な借金財政。消費増税をしたところで焼け石に水だろう。一時しのぎの策にすぎない。その一時しのぎの政策を「マイク」で解決する政策のようにがなり立てている。
 まるで太平洋戦争中の軍部指導部が、輪転機を回して、お札を刷り続け、武器を製造していたことを思い出す。武器が社会保障に代わっただけ。ご存知のように、終戦直後、日本はハイパーインフレが国民生活を直撃。国民は塗炭の苦しみを味わった。戦前の紙幣は無価値になった。
 この危機に老人も若者も応分の負担をしなければならないと思う。ただ、若者に応分の負担をしてもらうためには、若者の雇用を安定させることが何より先決だ。派遣労働者にしても、いつ首を斬られるかという不安や生活できない賃金に悩まない生活をさせる努力を政府や企業はすべきだ。昔は夫の賃金で生活ができたが、今はできない。派遣社員という冷厳な事実を受け入れるにしても、派遣社員が安心して働ける、健康保険や社会保険の整備を政府は一刻も早く実施すべきだ。
 そして夫だけでの働きでは食べていけないのなら、奥さんも働ける環境を作るべきだ。保育所などの整備は不可欠だろう。少子高齢化の中で、女性の労働はかつてなく日本経済の繁栄に不可欠。政府は、日本が借金で倒れる前に、建設国債を発行する前に、少ない資金を人に投資しすべきだろう。若者に働く場を与え、一人だけでは生活できなければ、夫婦で働いて安定した生活ができるような政策をすることが、社会保障の安定的な継続につながる。
 女性は年収500万円以上の男性と結婚したがっているという。気持ちは理解できるが、多くの若者は年収500万円どころか200~300万円だという。年収が低くても、夫婦二人で500万円以上になるように政府が若者の雇用と生活環境の整備することだ。保育所の整備など、奥さんが安心して子供を産め、働ける社会の仕組みを作らなければならない。そうすれば、若者の結婚も多くなると思う。とにかく若者への安定した雇用確保が、税収を増やし、従って借金を減らし、日本国の再生につながる。これこそ日本政府の第一の緊急課題だ。
 
 
 (2012年12月07日 21時02分06秒)

情緒的右派を憂う  総選挙に思う(2)

2012年12月31日 12時59分54秒 | 時事問題と歴史
 今朝もかなり冷え込む。師走に入って、色々と読者の皆様もお忙しいと思う。そして衆院総選挙。昨日の続きを掲載します。

 1941年10月14日(日曜日): 午後1時30分~3時30分まで、俗に今日「荻窪会談」と呼ばれる会合で、東条氏は次のような発言を当時の近衛文麿首相にした。
 近衛は「支那事変(日中戦争)は開戦からすでに4年以上が経過したが、先行きは明るくない。ここで兵を満州国境まで撤退して、中国の指導者、蒋介石と和平交渉をしてはどうか」と東条氏に求めた。
これに対して東条氏はこう答えた。「14万人の兵が戦死しました。いまさら日本軍が一方的に撤退などできません」。東条氏は日本軍が提案した和平条件を蒋介石が飲まなければ撤退しないと主張した。日本が擁立した汪兆銘・傀儡政権を認めなければ駄目だと言い張った。
 その会談に同席したのは松岡洋右(外相)と吉田善吾(海相)だった。吉田は近衛に日中戦争の打開と日米戦争の是非について下駄を預けて責任を回避した。松岡は「米国に対し強硬姿勢を貫けば、米国が折れてくる」と自ら構築した理解できない理念を持っていた。観察眼はゼロ。
 東条さんも同じく、観察眼はゼロだった。現状を把握し、蒋介石が何を考えているか観察しなかった。自らの情緒と感情に忠実だった。筆者は東条将軍の兵を思う気持ちを否定しているのではない。14万人の戦死者の弔い合戦に中国軍に勝利することが不可能なら、総退却を命令する。それが科学だ。戦死者の御霊を靖国神社で慰める。それ以外の選択はない。
 一方、蒋介石は中国軍に退却して時を稼げと命令していた。中国大陸は広大だ。蒋介石将軍はそれを理解していた。ひたすら退却し、敵の疲れを待つ。時を稼ぎ、時の変化を待つ。
 時を稼ぎ、世界最強の米国を味方に引き入れるために、奥さんの宋美齢(そう びれい)を米国に派遣した。奥さんは英語が堪能だった。彼女は全米各地で中国の「正義」を訴えたのだ。諜報・情報戦でも日本軍は敗れた。目の前の事、今しか見えないからそうなるのだ。そして現在の政治家は?何も言うまい。
 筆者が言いたいことは、東条さんは軍人として不可欠な「自分の感情から自分を切り離して、客観視して周囲の移りゆく環境を分析する能力がなかった。観察眼や思考力もなかった」ということだ。
 軍事や政治は人を観察する科学だ。東条さんにそれがなかった。ただ、東条さんは当時の価値観からすれば、「人間として立派な人」だった。天皇に絶対的な忠誠心を持っていた。もちろん現在の価値観ではない。また現在の価値観にも通じる「誠実」な人だった。
 太平洋戦争開戦時の海軍省軍務局長の岡敬純中将も東条の人柄に好感を持った。「東条(氏)が陸軍大臣のときはこんな訳の解からぬ(非合理的な)男はいないと思った。支那からの撤兵問題では徹底的に(撤退しないと)頑張った。しかし個人としては非常によい人であったと思う。・・・東条は誠心誠意の人と思う。・・・非常な努力家で自分で仕事をする人と思う。几帳面で丹念にノートをし、ちゃんと書類を整理している。・・・(極東国際軍事裁判中)私は巣鴨(刑務所)で長らく東条と二人同室で暮らしたが、個人としても立派な人であったと思っている。裁判に対する態度もまことに立派であった」
 人間として立派だった東条さんは職業を間違えたと思う。軍人になってはいけない人だった。関東軍参謀の石原莞爾と東条さんは犬猿の仲だった。たぶん合理主義者の石原将軍は東条さんの心温かい情緒的なところが嫌いだったのかもしれない。非合理を軍事作戦にまで持ち込んだことを許せなかったのかもしれない。筆者はそう感じる。
 東条元首相が軍国主義者だったから、太平洋戦争(大東亜戦争)を始めたのではない。軍人としての資質に欠けていた。“立派”軍国主義者の軍人なら太平洋戦争もしなかったし、うまく日本軍を中国本土から満州国境に退却させたことだろう。そして歴史は過去から、現在、未来と連続性があるから、日本軍が満州まで撤退していれば、蒋介石政権との和平が成立しただろう。和平が成立していれば、中国共産党が今日、中国大陸を支配する確率はゼロである。
今日の安倍、石原、橋下の各氏はどうだろうか。彼らだけでない。小沢氏や社民党の福島瑞穂氏はどうだろう。読者に考えてほしい。
もう一つ題材を提供すれば、ノーベル文学賞の大江健三郎氏だ。文学者としてノーベル賞を受賞した人間だ。感性鋭い、感情の細やかな人なのだろう。  
 筆者は文学に縁遠い人間だが、大江さんの「鎖国をしてはならない」(講談社文庫)を読んだぐらいだ。筆者など足元にも及ばない素晴らしい文体だが、内容は文学者の目からしか政治を見ていない。つまり情調的であり文学的だが、政治的な観察眼や思考力に欠けている。天は二物を与えず。よく言ったものだ。  
大江氏はリベラル派である。脱原発運動で頑張っている。大江氏の政治運動が脱原発ぐらいにしてほしいと願っている。
 日本のリベラルも右派も心情的であるからこそ、思想の転向が起こるのだ。戦前の共産主義者が戦後、右翼の大立者になったりする。その逆も真である。代表的な人物は田中清玄(きよはる)だ。
 筆者は、日本人の情緒性や感性を決して批判しているのではない。情緒や理念だけを追求し、環境への観察を怠ることは政治や軍事にとり危険極まりない。
 色々と話したが、今回の衆院総選挙は、「駄目」民主党が一番無難なのかと思ってきた。11月16日の安倍氏との論戦に勝利した野田首相の民主に入れるか。ただ部下がなあ・・・。
 2009年の総選挙で「バカ」政党だと確信して民主党に投票しなかった。「みんなの党」の渡辺氏に騙されて一票入れたが・・・。ほんとうに日本の選挙は難しい。そんなことを考えながら、議会制民主主義の堅持・発展と自由な社会を維持するために、立候補者に貴重な一票を入れたいと思う。


 (2012年12月04日 08時14分39秒)

情緒的右派の進出を憂う     総選挙に思う(1)

2012年12月31日 12時58分02秒 | 時事問題と歴史
12月4日は総選挙の公示日。あすということになる。どの政党にするか、誰に投票するか?筆者は決めていない。数学の難問を解くより難しい今回の総選挙を、できれば棄権したいが、そうもいくまい。今日と明日の2回に分けて今回の総選挙についての筆者のたわごとを書く。
 予想通り、世論調査によれば、自民が優勢。そのうしろに日本維新の会が控えている。嘉田由紀子氏の「日本未来の党」も台風の目らしい(とは言っても伸び悩んでいる)。民主党は苦戦だという。そうだろう。有権者は“うそ”をついた政党に一票を入れることはない。
 “うそ”は3年前、理想を謳ったマニフェストを書いたためだ。理想は理想でしかなく、現実と99%遊離していた。
ちょうど100年前、オックスフォード大学のウォルター・ローリー教授はこう言っている。「政党が当初のマニフェストを変更すると、有権者はうそつきと罵る。しかしそのマニフェストが最初から間違っていたのであって、それを変更することは正しい行為だ」と。
 まさにローリー先生の言葉は民主党の綱領に当てはまる。最近発表されたマニフェストは、3年前よりは「真とも」になったことだけは確かだ。換言すれば、日本国民を取り巻く環境を考察して現実的なマニフェストを記した。ただ合格点ではない。
日本人は理想主義者だ。理想をかかげることは間違っていないのだが、現実を見ずに理想を唱えることほど馬鹿げたことはない。現実の中から理想が生まれるのだ。政治という汚濁の中では、「夢見る人」はとかく「最悪の人」になる。
 となると日本維新の会と自民党はどうなのか。12月2日付朝日新聞朝刊の政治断簡で根本清樹編集委員はこう述べている。「政治的に『右』に分類される主張がこれまでになく強く、鮮明に出ている。自民党の安倍晋三総裁、日本維新の会の石原慎太郎という名うての右派2人が、衆院総選挙に向けて声を張り上げるとなれば、それもまた当然の印象になる」
 保守(英国の尺度で考えれば、筆者は中道である)を自認する筆者は保守を歓迎するが、情緒的、感性的右派に反対する。危険だ。危険千万。情緒的に環境や人を考察すれば、間違った見方をするのは必至。権力や暴力を内在する政治、軍事で、情調が先行すると、観察眼が曇り、政策を誤り、何千万の国民の生命が脅かされる。最悪の場合は、国民の命が奪われる。
 11月22日付朝日新聞のインタビュー記事「天敵いなくなった右」は興味を引いた。インタビューを受けた人物は、一水会顧問の鈴木邦夫氏。一水会といえば、誰でも右翼と烙印を押す。その一水会の鈴木氏は、安倍氏、石原氏、橋下徹氏を「僕はあぶないなと感じています」と発言している。それを受けて、朝日新聞記者は「お話を聞いていると、やっぱり鈴木さんは右翼じゃないんじゃないかという気がします」と応じている。
 朝日新聞の記者は、鈴木氏と安倍氏ら3人の「右派」との違いを理解していないようだ。朝日の記者は御多分に漏れず情緒的な日本人だ。だから気持ちが先行して鈴木氏を見ているから「右翼ではない」と言った。鈴木氏は右翼だ。ただ観察眼を持った右翼であり、安倍、石原、橋下の各氏は心情的、情緒的な右翼なのだ。
「美しい国」と述べた安倍氏。「尖閣問題で行政官を常駐させろ」と発言した石原氏。石原氏本人は否定しているが「中国と戦争を辞せず」。まさに心情的な発言で、観察眼はゼロだ。

 12月2日付朝日新聞朝刊の「波聞風問」で安井孝之編集委員が次のように記している。
 経団連の米倉弘昌会長が「大胆な金融緩和というより、むしろ無鉄砲」「禁じ手」と自民党の安倍晋三総裁が打ち出すデフレ、円高対策を批判した翌日の27日のことだ。都内で開かれたシンポジウムの基調講演で安倍総裁が、米倉会長の批判に反論する中で、こう付け加えた。「実は先ほど経団連の副会長の方から、会長のいわば間違った認識による発言で大変ご迷惑をかけました、という電話をただきました」 安倍総裁が2人きりの電話の内容を、匿名とはいえ漏らしてしまったことにも驚いた・・・

 これも冷静で分析的、観察眼を培っている人物であれば、決して他人に言わないことだ。情緒のなせるわざである。
この情緒三人組が政権をとって防衛・安全保障や経済問題を指導すればどうなるか。現実と100%かい離した理想を情調と“わけのかわらない直観”で推し進め、自分の頭の中に占められた理念で政策を遂行する。筆者は危惧する。
 情緒型、理念型指導者が危険だというのは、何度でも強調したい。以前紹介したと思うが、筆者が尊敬している政治家の一人、幕末の幕府の名臣、勝海舟先生は「自分が抱いている理想と現実の環境が同じだということは99%ない」との名言を後世の人々に残している。薩摩・長州にではなく幕府に勝海舟がいたことが、日本には幸運だった。勝先生は歴史(時の流れ)を熟知し、それを政治に利用した。勝先生は「幕府の時代は終わった。時の流れに逆らっては日本は滅びる」と考え、江戸城を開城し、徳川慶喜公とともに現在の静岡に隠居した。もし幕府が薩長と総力を挙げて戦っていれば、日本は欧米列強の植民地になったことは疑いない。だから薩摩の西郷南洲公は、敵方の勝先生を心から尊敬したのだ。
 これに対して、極東軍事裁判で処刑され、現在でも日本のリベラル派や中韓国民から軍国主義者の権化のように言われる東条英機元首相は安倍氏らのように心情的、情調的、感情的政治家だった。
今日はここまでにする。仕事に戻ります。すみません。


 (2012年12月03日 10時11分07秒)

ストーカー犯罪は日英で深刻

2012年12月31日 12時54分42秒 | 時事問題
 神奈川県逗子市でデザイナーの三好梨絵さん(当時33)が刺殺されたストーカー事件は記憶に新しい。「ハリファクス侯爵の歴史夜話」でも取り上げた。
 卑劣なストーカー行為はどうも日本だけの現象でないらしい。英国でもストーカー行為が大きな問題になっている。
 英議会の統計によれば、ストーカーによる被害者は毎年約12万人。そのうちの大多数は女性だ。ただストーカー犯罪として英警察が摘発したのは年間5万3000件にすぎない。そのうちの50人に1人しか起訴されなかったという。
 キャメロン英首相がことし3月、ストーカー被害にあった女性数十人をダウニング街10番地の首相官邸に招待した。首相は今までの刑法では十分に対処できないと述べ、新たなストーカー規制法を導入することを約束した。
 11月25日付のサンデー・タイムズによれば、英政府はこのほど、ストーカー行為に対して最高6カ月、暴力行為の恐怖を与えるストーカー行為に対して最高5年の懲役刑を導入した。
 英国でも、逗子市の事件や1999年に女子大生が殺された埼玉・桶川ストーカー事件同様、執拗なストーカー行為や、それに伴う強迫が殺人に結び付いたケースもあったという。
 一例を取り上げると、クリフォード・ミルズ受刑者は元ガールフレンドのローナ・スミスさんをフェイスブック上でストーカー行為をした後、昨年2月にロンドン南部のブリックストンのアパートで刺殺した。殺人罪で無期懲役刑(終身刑ではない)の有罪判決がこのほど下された。
 キャメロン首相はストーカー被害にあった女性を前に「ストーカー行為は恐るべき犯罪であり、被害者の生活を生き地獄にさせている」と話した。「現在の法律では不十分だ。ストーカーを関連刑法で罰するのではなく、もっと強力な独立したストーカー規制法規で対処すべきだ」
 英警察当局高官もストーカー犯罪の取り締まりを約束し、「ストーカー被害者を心理的恐怖や物理的な危害から保護するカギは、国民全員がストーカー行為を重大な犯罪だと認識すること、及び警察官による迅速な行動だ」と強調している。
一方日本では、三好さんの元交際相手の無職小堤英統容疑者は一日に1000-2000回の迷惑メールを送った。しかし、神奈川県警は、迷惑メールを規制する法律がなかったために、小堤容疑を逮捕できなかった。
 ドメスティックバイオレンス(DV)の被害女性を支援する特定非営利活動法人(NPO法人)「全国女性シェルターネット」など全国の45団体はこのほど、ストーカー規制法の抜本的改正を求める緊急声明を出した。 声明は、現行の規制法が現実のストーカー事件に不十分なものだと指摘している。
 自民党は11月13日、ストーカー規制法改正案を議員立法で提案することを決めた。電子メールや他者のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)への書き込みも規制対象に加える内容だ。与党の民主、野党の公明両党も同調する考えで、今国会中にも成立する可能性が高い。
 英議会が今までよりも厳しいストーカー規制法を成立させたように、日本でも一刻も早い、強力な規制法案を衆参両院で通過成立させなければならない。日本国民のストーカーに対する意識向上も、ストーカー犯罪の抑止力になると思う。
(参考)日本のストーカー行為の認知件数は2001年(平成13年)以降、1万2000件~1万5000件の間を推移しているが、実際の数はこの数より多いと思われる。

 (2012年11月27日 07時03分00秒)

ラーメン好きのロンドンっ子が急増中

2012年12月31日 12時52分10秒 | 旅行
 日本人がごく普通に食べているラーメンがロンドンっ子の心を捉えている。長年ロンドンに住んでいる日本の友人から最近受け取ったメールに書かれていた。それでインターネットで調べ、そこかしこに書かれていることがわかった。またロンドンのラーメンについて書かれた英語の特集記事も見つけた。ラーメン通の読者の皆さんから「遅れている」と言われそうだが、驚いた。
 ロンドンのラーメン店の名前は「ITTENBARI(一点張)」。 ロンドン中心街のリージェント・ストリートの近くにある。地下鉄駅ピカデリーから歩いて数分だという。
 関西を中心に展開している「龍旗信」のチェーン店で、店の名物は「塩ラーメン」。関西に行く機会があれば、ぜひ日本の総本店に行ってみたい。総本店は大阪・津久野だ。難波にもある。大阪に土地勘のないよそ者の筆者が津久野、難波と字面だけ書いて申し訳ない。
 ロンドン店「ITTENBARI」はことし3月2日にオープンした。欧州ではパリにはうまいラーメン店があるそうだが、ロンドンには今までなかったという。
 3月2日に「ITTENBARI」がロンドンにオープンして以来、さらに2店がそれぞれ6月と今月11月にロンドン市内にオープンした。「TONKOTSU」と「BONE DADDIES」。「ITTENBARI」の系列店ではない。
 開店前、ロンドンのラーメン店「ITTENBARI」のターゲットは主に在留日本人と中国華僑だったそうだ。しかしふたを開けてみると、意外や意外、地元ロンドンっ子の人気がうなぎ上り。
 「ITTENBARI」店に来た英国人がメニューを見ながら寿司などの日本食を注文していたそうだ。メニューの後ろに「ラーメン」と記されていた。英国人の客は「これ何」と質問。試食したところ気に入ったという。そんな客が増え続けている。
 英国人は日本食を健康によいと考えている。そして寿司や天ぷら、刺身、しゃぶしゃぶ、スキヤキの次はラーメン。「今や英国人客の目はラーメンに注がれている。ラーメン党が急増中」
 ラーメンはロンドンになかなか根付かなかったそうだが、今回は根付くかもしれないと、日本食を英国に輸入している業者が期待しているという。
 「ITTENBARI」の成功で、ロンドンの回転すし屋「YO  SUSHI」もラーメンをメニューに入れたという。ちなみにラーメンの値段が8ポンド90ペンス(約1150円)
 「ITTENBARI」の店長の話を特集記事から引用すれば、「ラーメンは英国でヒットするのは確実」という。現在はロンドンに限られているが、将来は英国各地に広がっていくとのこと。
 日本人はラーメンを食べるとき、麺やスープをすするが、英国人にはそんな習慣がない。現在の事情を友人に聴いたが、今でも英国人の間でこの習慣に対する評判は悪いという。この点で今も昔も変わらない。
 約35年前、英国に住んでいた頃、日本食材を売っている店はあったが、数件に限られていた。時々、ロンドン西部のリッチモンドから北部のスイスコッテジまで地下鉄で1時間かけて日本食材の買い出しに行った。また大学寮の米国人ルームメートをロンドンの日本レストランに招待し、刺身を注文、「食べろ」と言ったら拒否された。ただ、天ぷらはうまそうに食べていた。現在と隔世の感がある。寿司や刺身が好きな欧米人は当時と比べものにならないくらい多い。
 中国人やアジアの連中も刺身が好物らしい。割を食ったのは日本人であることは間違いない。欧米人やアジアの人々が「なまの魚」を好きにたったために、魚の消費量が増大し、マグロなどは乱獲で数が減っている。日本人が黙って食していればよかったのにと思う(偏狭な心ですみません)。ただ、日本が依然としてマグロの消費量の3分の1を占め、世界最大の消費国なので文句は言えない。

(2012年11月25日 10時20分00秒)