英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

情緒的右派の進出を憂う     総選挙に思う(1)

2012年12月31日 12時58分02秒 | 時事問題と歴史
12月4日は総選挙の公示日。あすということになる。どの政党にするか、誰に投票するか?筆者は決めていない。数学の難問を解くより難しい今回の総選挙を、できれば棄権したいが、そうもいくまい。今日と明日の2回に分けて今回の総選挙についての筆者のたわごとを書く。
 予想通り、世論調査によれば、自民が優勢。そのうしろに日本維新の会が控えている。嘉田由紀子氏の「日本未来の党」も台風の目らしい(とは言っても伸び悩んでいる)。民主党は苦戦だという。そうだろう。有権者は“うそ”をついた政党に一票を入れることはない。
 “うそ”は3年前、理想を謳ったマニフェストを書いたためだ。理想は理想でしかなく、現実と99%遊離していた。
ちょうど100年前、オックスフォード大学のウォルター・ローリー教授はこう言っている。「政党が当初のマニフェストを変更すると、有権者はうそつきと罵る。しかしそのマニフェストが最初から間違っていたのであって、それを変更することは正しい行為だ」と。
 まさにローリー先生の言葉は民主党の綱領に当てはまる。最近発表されたマニフェストは、3年前よりは「真とも」になったことだけは確かだ。換言すれば、日本国民を取り巻く環境を考察して現実的なマニフェストを記した。ただ合格点ではない。
日本人は理想主義者だ。理想をかかげることは間違っていないのだが、現実を見ずに理想を唱えることほど馬鹿げたことはない。現実の中から理想が生まれるのだ。政治という汚濁の中では、「夢見る人」はとかく「最悪の人」になる。
 となると日本維新の会と自民党はどうなのか。12月2日付朝日新聞朝刊の政治断簡で根本清樹編集委員はこう述べている。「政治的に『右』に分類される主張がこれまでになく強く、鮮明に出ている。自民党の安倍晋三総裁、日本維新の会の石原慎太郎という名うての右派2人が、衆院総選挙に向けて声を張り上げるとなれば、それもまた当然の印象になる」
 保守(英国の尺度で考えれば、筆者は中道である)を自認する筆者は保守を歓迎するが、情緒的、感性的右派に反対する。危険だ。危険千万。情緒的に環境や人を考察すれば、間違った見方をするのは必至。権力や暴力を内在する政治、軍事で、情調が先行すると、観察眼が曇り、政策を誤り、何千万の国民の生命が脅かされる。最悪の場合は、国民の命が奪われる。
 11月22日付朝日新聞のインタビュー記事「天敵いなくなった右」は興味を引いた。インタビューを受けた人物は、一水会顧問の鈴木邦夫氏。一水会といえば、誰でも右翼と烙印を押す。その一水会の鈴木氏は、安倍氏、石原氏、橋下徹氏を「僕はあぶないなと感じています」と発言している。それを受けて、朝日新聞記者は「お話を聞いていると、やっぱり鈴木さんは右翼じゃないんじゃないかという気がします」と応じている。
 朝日新聞の記者は、鈴木氏と安倍氏ら3人の「右派」との違いを理解していないようだ。朝日の記者は御多分に漏れず情緒的な日本人だ。だから気持ちが先行して鈴木氏を見ているから「右翼ではない」と言った。鈴木氏は右翼だ。ただ観察眼を持った右翼であり、安倍、石原、橋下の各氏は心情的、情緒的な右翼なのだ。
「美しい国」と述べた安倍氏。「尖閣問題で行政官を常駐させろ」と発言した石原氏。石原氏本人は否定しているが「中国と戦争を辞せず」。まさに心情的な発言で、観察眼はゼロだ。

 12月2日付朝日新聞朝刊の「波聞風問」で安井孝之編集委員が次のように記している。
 経団連の米倉弘昌会長が「大胆な金融緩和というより、むしろ無鉄砲」「禁じ手」と自民党の安倍晋三総裁が打ち出すデフレ、円高対策を批判した翌日の27日のことだ。都内で開かれたシンポジウムの基調講演で安倍総裁が、米倉会長の批判に反論する中で、こう付け加えた。「実は先ほど経団連の副会長の方から、会長のいわば間違った認識による発言で大変ご迷惑をかけました、という電話をただきました」 安倍総裁が2人きりの電話の内容を、匿名とはいえ漏らしてしまったことにも驚いた・・・

 これも冷静で分析的、観察眼を培っている人物であれば、決して他人に言わないことだ。情緒のなせるわざである。
この情緒三人組が政権をとって防衛・安全保障や経済問題を指導すればどうなるか。現実と100%かい離した理想を情調と“わけのかわらない直観”で推し進め、自分の頭の中に占められた理念で政策を遂行する。筆者は危惧する。
 情緒型、理念型指導者が危険だというのは、何度でも強調したい。以前紹介したと思うが、筆者が尊敬している政治家の一人、幕末の幕府の名臣、勝海舟先生は「自分が抱いている理想と現実の環境が同じだということは99%ない」との名言を後世の人々に残している。薩摩・長州にではなく幕府に勝海舟がいたことが、日本には幸運だった。勝先生は歴史(時の流れ)を熟知し、それを政治に利用した。勝先生は「幕府の時代は終わった。時の流れに逆らっては日本は滅びる」と考え、江戸城を開城し、徳川慶喜公とともに現在の静岡に隠居した。もし幕府が薩長と総力を挙げて戦っていれば、日本は欧米列強の植民地になったことは疑いない。だから薩摩の西郷南洲公は、敵方の勝先生を心から尊敬したのだ。
 これに対して、極東軍事裁判で処刑され、現在でも日本のリベラル派や中韓国民から軍国主義者の権化のように言われる東条英機元首相は安倍氏らのように心情的、情調的、感情的政治家だった。
今日はここまでにする。仕事に戻ります。すみません。


 (2012年12月03日 10時11分07秒)

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