英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

相次ぐ政治家の失言に映し出される日本の社会背景  塚田、桜田両氏の辞任を考える

2019年04月11日 22時05分38秒 | 日本の政治
  新年度に入り、平成が間もなく終わろうとしているとき、塚田一郎国土交通副大臣と桜田義孝五輪担当相が失言の責任を取って辞任した。二人とも支持者を前にしての失言だった。そのとき、支持者は笑っていた。その笑いは失笑ではなく、受けた笑いのようだった。
 塚田氏は4月1日夜、北九州市の集会で、同市と山口県下関市を新たに結ぶ「下関北九州道路」(下北道路)を巡り、本年度から事業化に向け国直轄調査に移行する決定をしたことについて「総理とか副総理が言えないので、私が忖度(そんたく)した」と述べた。一方、桜田氏は高橋比奈子衆議院議員のパーティーでのあいさつし、高橋議員への支援を求めるため、「復興より高橋さんのほうが大事」と発言した。
 また、このパーティーの席上で、桜田氏は2月12日の池江選手の白血病公表に対する自らの発言「金メダル候補ですからね・・・がっかりしています」を茶化し、支持者の笑いを誘おうとした。
 野党やメディアは失言を取り上げて批判するが、一番問題なのは政治家のあきれた失言を助長する社会風潮だと私は強く感じる。
 自民党の二階幹事長がしばしば話すように、政治家の政治目的が「選挙に勝つ」ことである。そして国民の幸福や内外政策は二の次だ。民主主義制度を全く理解できない発言の連続だ。そうでなければ塚田氏や桜田氏のような発言は出てこない。
 政治家は大衆受けする演説をして何とか票に結びつけようとする。塚田、桜田両氏の録音演説テープを聴くと、まるで漫才師のように、大衆から笑いを誘おうと必死になって話している。与野党を問わず、ほかの政治家も地元に帰れば、同じような演説に終始しているのだろう。
 20世紀の大宰相であるウィンストン・チャーチルが生前に語った数々の演説をレコードやテープで聞く機会があったが、あまりにもその大きな落差に愕然とする。塚田、桜田両氏をはじめとする日本の与野党の政治家は「有権者からの笑いを誘う」演説をするか、「お願いします「と連呼するか、「対立候補や他党を批判」するかだが、チャーチルは有権者の感動を与える演説をした。政策や政治方針を訴えた。政敵を批判はしたが、それよりも持論を述べるほうに多くの時間を割いた。その結果、大衆は演説会場から家路に急ぐ途中、チャーチルの演説から人生観や生き方について考えたのだ。
 ここまで日本の与野党の政治家が堕落した原因は何か。その一因は大衆の民度がここ半世紀にわたって次第に低くなっているからだろう。有権者や大衆が、自らの発言の意味さえ十分に理解できない、自らの演説がどんな悪影響を及ぶすかさせ想像できない政治家を国会に送り出しているからだ。
 ここ20年、衆愚政治がますます深刻化してきた。与党自民党政治家連中の大衆への人気取りと、野党政治家の政策立案能力の低下と政敵への批判一辺倒の発言が衆愚政治の深刻化を明白に映し出している。
 まさに1920年代後半のドイツにおけるアドルフ・ヒトラー政権誕生前夜の様相だ。1930年代前半のドイツのように、もし日本経済が大不況に見舞われれば、ヒトラーのような大衆を魅了する独裁者が日本に現れるともかぎらない。そうでないにしても、民主主義が形骸化して右翼が台頭し、権威主義政治がはびこり、民主主義制度が形骸化するだろう。、否、すでに始まっているのかもしれない。


写真:任命責任を問われている安倍首相
 

 
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