神奈川県川崎市の登戸駅付近で28日朝、男が18人を刃物で刺し、小学6年生の女の子と39歳の現職外交官が死亡した事件は、言いしれぬ不安や、言葉には表せないほどの怒りを社会に与えている。刺した男は岩崎隆一容疑者で、身柄を確保されたが、自分で首を切っていてその後、死亡した。
小学生は整列し、学校側が用意したスクールバスに乗り込んでいるところに岩崎容疑者が走りながら次々と刃物をかざして切りつけてきたという。
無防備でいたいけな児童に刃物を向けること自体、決して許すべきことではない。その上、児童を次々と殺傷したことに激しい怒りを感じる。ただ、感情的な発露だけでは、殺害されたカリタス小学校6年生の栗林華子さんと外交官の小山智史さんは浮かばれない。
児童を狙った凶悪犯罪は過去にもあった。2001年、児童8人を殺害した大阪・池田小事件。この事件の犯人は宅間守・元死刑囚だった。また児童を狙わなかったが無差別殺害事件として、2008年、秋葉原通り魔事件の加藤智大被告がいる。
岩崎容疑者が自ら命を絶っているため、この事件の全貌は正確には見えてこないのかもしれないが、犯罪心理学者が言うように、岩崎被告が社会に何らかの偏見に満ちた不満を抱いていたと思える。そして彼のような人々が少なからずいることを、われわれは確認しなければならない。
『無差別殺人の精神分析』 (新潮選書)の著書がある精神科医の片田珠美氏(Yahooニュースから引用)は宅間元死刑囚事件を振り返りながら川崎での事件を心理分析しこう話す。
「宅間は自殺を図ったこともあり、裁判でも控訴を取り下げるなど自暴自棄の傾向が見られました。無差別殺人犯の特徴は、人生に絶望し、でもおとなしく一人で死ぬのはいやだから、他人を巻き添えにしたいと考えることです。そこには自己顕示欲や承認欲求もある。2008年、秋葉原通り魔事件の加藤智大も無差別殺人犯ですが、不特定多数を狙った犯行でした。今回、登戸の犯人がカリタス学園の生徒さんをターゲットにしていたとしたら、エリート校である池田小を狙った宅間と近いものがあります」
一方、カリタス小学校には非がなかったのか?尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏は「本当に痛ましい事件が起こってしまった。・・・学校側に落ち度はないと思います。駅から歩いて5、6分の距離でもスクールバスを8往復し、教員も輪番でついていた。これ以上の安全策はなく、防ぎようがない」と話す。
このところ老齢者ドライバーの運転によって歩行者や児童が殺傷される事故が相次いでいる上、殺傷事件が再び起こった。社会の不健康さやいびつさを表しているとしか思えない。
格差社会の拡大と地域コミュニティーの崩壊が一連の事件や事故を起こしているようにみえてならない。スマートフォンやAIなどによる通信革命は派遣労働者を生み出し、貧富の差を拡大させた。特に1990年代後半から2000年代前半までの不況期に、大学などを卒業して社会人に巣立った人々の中には、社会的偏見を抱いている人々が他の世代に比べて多いのではないかと推察する。
われわれ「団塊の世代」と違って、時代の巡り合わせからくる不運の側面は確かにあるが、歴代政府や社会が再雇用や、再雇用に伴う職業訓練など、十分なケアを彼らにしてこなかったことにも一因がある。
また地域コミュニティーの崩壊が人々の孤立感を深め、人々の間の信頼感や相互扶助の精神を喪失させていることもあると思う。全国各地で、自治会活動が衰退していることは、コミュニティー崩壊の一現象だろう。
われわれはこれまで、このような凶悪事件を未然に防ぐ手だけを真剣に議論し実施してきたのだろうか。自省をこめて思う。
このような社会状況にあっては、今回の「川崎事件」や2001年の池田小事件が再びおこっても何ら不思議ではない。政府や地方自治体が児童を凶行から守る方策をたてることはもちろんだが、われわれ一人ひとりが我がことと思い、教育委員会や最寄りの警察、各町内の自治会などと話し合い、連携していく必要を感じる。