英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

日本の民主主義は危機なのか   幻冬舎社長の実売数投稿に思う

2019年05月18日 14時47分51秒 | 民主主義とポピュリズム
  百田尚樹氏のベストセラー「日本国紀」を批判した作家の版元の社長が投稿したツィッターが物議を醸し出し、民主主義社会での出版社のあり方を世間に問うている。
  作家の津原泰水さんが「日本国紀」を批判したことで、幻冬舎から「刊行予定だった文庫本が出せなくなった」と訴えたことに対し、同社の見城徹社長が初版の発行部数と、その5分の1にとどまる実売部数を挙げて津原氏を批判している。
  出版界では書籍の売れ行きは発行部数で公表するのが一般的。業界の慣例を破ってまでして、津原氏の単行本「ヒッキーヒッキーシェイク」の売り上げの少なさを揶揄した見城氏。これに対し、作家や評論家から批判の声が上がっている。
  見城氏は右派の作家の百田氏の「日本国紀」の売れ行きが良いことを評価し、内容がなくても、コピペの疑いがあっても「売れれば良い」と示唆していることは明らかだ。また同社の編集者は、18日付朝日新聞によれば、「日本国紀の販売のモチベーションを下げている作家の著作に営業部は協力できない」と津原氏に伝えたことを認めている。
  さらに一般人の中には訳のわからない批判を津原氏に浴びせている。津原氏は自身の18日付ツイッターで「実売数がそんなに低くて恥ずかしくないのか、版元への責任は感じないのか、と絡んでこられる方が後を絶ちませんが、売れるものを書いてほしいという依頼が僕には無いのです。リスクはこちらで負うから、まだ誰も読んだことのない新しいものを書いてほしいという依頼に、懸命に応じているだけなのです」と話す。
  津原氏は「日本国記」のコピペを批判した。わたしも津原氏と同様、百田氏のこの書籍の違う版を3冊買い込んで検証し、百田氏のコピペを、「百田氏の『日本国紀』は日本社会の右傾化を映す」と批判した。
  幻冬舎の見城社長と百田氏は友人であり、同じ思想の持ち主だという。それはそれで良いとして、だからといって「売れないから」「『日本国紀』販売の邪魔をするな」という理由だけで、津原氏との「文庫化」の約束を反故にするのは、民主主義への挑戦だけでなく、人間性をも破ることになるのではないのか。中国人の約束破りを批判する右派が、自らの約束破りには何の後ろめたさを感じないというのであれば言語道断だ。そればかりではない。幻冬舎は出版社の使命を放棄していると言わざるを得ない。出版社の使命は、たとえ社長の思想と異なっていても、読者の好みに合っていなくても、時代を超えた、読者の人生にとって必要な本を世に出すことではないのだろうか。
  メディアや出版社は読者の好む本を出すこともあろう。それはそれとして必要だが、読者にとって興味がなくても時代を映す必要な書籍を出版する必要がある。それはメディアの記者とて同じだ。記者は読者の好奇心をそそる俳優のスキャンダルを書くだけでなく、政府統計なども書かねばならない。  
  オウム真理教の取材で有名になったリベラル派の江川紹子さんは「多様な言論より稼ぐ著者、表現の自由より金になる商品が大事。出版社としての矜持はどこへ?」と幻冬舎に問いかけ、同社の姿勢に疑問を呈する。
  見城氏は自らのツイッターに書き込んだ「問題のブログ」を後日、削除したということは、何かしらの思いがあるのだろう。批判されたので引っ込めたのなら何をか況んやだ。どうも右派の連中は情緒に流されやすい傾向がある。見城社長と幻冬舎編集部は民主主義制度の根幹をなす「言論の自由、出版の自由」を疎かにしているようだ。これではいくら中国の共産党一党支配を批判したところで説得力がないし、単なる「中国憎し」の情感だと思われるだろう。
  リベラル派を日頃から批判している、保守派を自認する私だが、今回は「民主主義擁護」の点で、彼らに同調する。それにしても、津原氏の「実売数がそんなに低くて恥ずかしくないのか、版元への責任は感じないのか、と絡んでこられる方が後を絶ちません」との話を聞いて、日本社会の右傾化が強くなってきているのを憂う。