英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

 常識こそが民主主義の杖 国会デモから中国軍事パレードまでの1週間

2015年09月06日 11時50分38秒 | 民主主義とポピュリズム
  筆者に色々なことを考えさせられた1週間が過ぎ去った。時はわれわれの思惑、希望、失望、望みを超えて刻まれていく。一秒前の世界と一秒後の世界は異なる。時は世界を変化させている。
 8月30日に国会周辺で行われた安全保障関連法案に反対するデモにはじまり、9月3日の北京での中国軍の軍事パレードに終わった。一つひとつの出来事を単純に判断することはできない。それらは一見、独立した出来事のようだが、それぞれがつながっている。
 歴史は変化し、継続し、複雑だという筆者の持論が映し出されているように思う。過去は現在につながり、現在は未来への指標だ。
 8月30日の安全保障関連法案反対デモを、産経新聞社の論説委員兼政治部編集委員は極限御免「国会前デモを礼賛する異様さ 沈黙する多数の安保法案賛成は民意に値しないとは…」で非難した。7月12日付朝日新聞のコラムを取り上げ、哲学者の柄谷行人氏の次の言葉「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる」を引き合いに出し、朝日新聞は憲法が要請する議会制民主主義を否定したいということだろうかと皮肉っている。
 朝日新聞などリベラル紙はこのデモに好意的な扱いをしていた。朝日の「時時刻刻」で、「このデモが一過性に終わらない」ことを期待した。
 筆者は一つの視点からだけで物事を見ることを嫌う。産経も朝日もそれぞれの言い分があるだろうが、「一点集中主義」的な観察眼しか持ち合わせていないように思う。筆者の偏見であれば、これに越したことはないのだが・・・。
 8月30のデモは主婦や学生ら一般の人々が参加した。政府の独断専行の審議に待ったをかけ、民主主義の隊列に加わったことを評価する。政治にまったく無関心な大衆が国会に足を運んだことは素晴らしい。
 民主主義制度の根幹は人々の自発的な行動と自由で活発な議論にある。自由な雰囲気の中での議論。それでいて、自分とは異なる人びとの意見を尊重して耳を傾ける。そして反論する。誹謗中傷をしないことだ。
 筆者が尊敬する公民権運動の米国指導者キング牧師がこう述べている。The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.(最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である)
 また「Nothing in all the world is more dangerous than sincere ignorance and conscientious stupidity」(この世で本当の無知と良心的な愚かさほど危険なものはない)とも語っている。
 キング牧師は、声を上げて自らの意見を述べ、他人の意見を傾聴してこそ民主主義制度の発展が期待できるということを述べている。
 わたしは首相の安保法制の国会審議や国民への説明の仕方には賛成できない。2~3週間、テレビやラジオに出て持論を展開すれば、国民が自分の意見を理解してくれるとでも思っているのだろうか。自分についてきてくれるとでも思っているのだろうか。そんな簡単な法案ではない。国の将来を左右する法案であり、複雑な世界情勢と密接に関係した法案だ。
 ただ、安倍首相がこの法案を持ち出した理由は理解できる。中国共産党を念頭に置いているのは明らかだ。独裁国家中国が平和を唱えながら南シナ海や東シナ海で国際法を無視した振る舞いを繰り返している。軍事力を年々増大させ、アジアの覇権を打ち立て、アジアを支配するかのような行動をしている。3日の軍事パレードで、中国の最高指導者、習近平総書記は平和を唱え、「中国は覇権国家にならない」と公言していたが、世界の誰が信じるだろうか。
 7月20日付「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」は中国当局が遊牧民を強制定住させようとする政策を推し進めていると報じていた。遊牧民の伝統文化を破壊しているのだ。
 中国当局は今年の末までに1200万人を草原の住家から、電気、学校、病院が備えられた町に移住させるという。英国の作家ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた全体主義の未来社会そのままの姿である。
 「現代社会へ向けての偉大な前進」と中国共産党はプロパガンダで声高に叫んでいるが、それは旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが黒海の暖かな地方に住んでいたタタール民族をシベリアに移住させたのと同じだ。
 スターリンはタタール人がナチス・ドイツに協力したとして、第2次世界大戦後移住させたのである。その結果、タタール人は文化や言語などの民族の一体性を失った。中国は遊牧民が将来危険分子になることを恐れ、監視下に置こうとしているのだろう。独裁専制国家だけができる芸当である。
 軍事力と言う「力」に国の運命を託す前時代的な隣国がいる現状では、安倍首相の心配も理解できる。ただ、安倍首相に「独断専行」を戒めたい。国民的な議論ができる土壌をつくることが先決である。その土壌をつくるのが政府の責任ではないのか。
 安倍首相にキング牧師の言葉を思い出してほしい。「あなたが正しいとき、過激になりすぎてはいけない。あなたが間違っているとき、保守的になりすぎてはいけない」。野党の議員に「早く質問しろよ」といことではなく「なぜそう考えるのですか」と問うことである。
 国会での与野党の審議を聞いていると、与野党とも重箱の隅をつついたような議論を展開する。現実にはほとんどありえないような論点に終始し、大局を見据えた現実的な議論を展開していない。何よりも論敵の見解を尊重していない。
 第2次世界大戦前、ナチス・ドイツをめぐって、ネビル・チェンバレン首相とウィンストン・チャーチルは互いの見解を理解しながら論争した。欧州戦争が始まって、チェンバレン首相がチャーチルに入閣を要請し、海軍相に就いた後、行き違いや論争があったが、チャーチルは最後に必ず首相に従った。こんどは、チャーチルが首相に就任すると、チェンバレンを入閣させ、チェンバレンはチャーチルに従った。
 筆者が危惧するのは日本民族の「極端性」である。一点集中的に反対者や政敵を批判する。全否定する。政治・外交、軍事にとりそれは最大の「敵」である。「常識」を働かせて広い視野から冷静な判断をしてこそ、中国問題をはじめとする困難な問題に適切に対処できる。
 キング牧師は「私たちには今日も明日も困難が待ち受けている。それでも私には夢がある」と支援者に話した。日本人が心を合せて常識を働かせ、これから到来するであろう東アジアの困難な状況に立ち向かい、日本国憲法が示している「第9条」を東アジアに具現する理想を抱きながらも、「第9条」を現実に合わせるための知恵を働かせてほしい。それを皆が共有してほしいと願う。

 写真はキング牧師

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