長崎、島原とラッキーなことにお天気に恵まれたのに、いよいよ台風接近のためか3日目は雨。
島原からバスで50分程の雲仙へ向かいました。
雨中の地獄めぐり
雲仙は雨のせいか、土曜日だというのに閑散としていました。
硫黄のにおいと噴き出す蒸気が温泉地に来たことを知らせてくれます。
長崎と佐世保には行くのに、島原も雲仙も初めてです。
傘をさしながら、温泉神社にお参りして地獄めぐりの遊歩道に入りました。
雲仙はもともと「温泉」と書いて「うんぜん」と読まれていましたが、
昭和9年に日本で初めての国立公園に指定され、他の温泉と混同されないよう「雲仙」と改められました。
八万地獄、お糸地獄、邪見地獄など30余りの地獄があります。
入り口近くはまだ蒸気は少ないのですが・・・
大叫換地獄にくると前が見えないほど。このあたりが最も活発な噴気活動をしているところ。
噴気の最高温度は120°もあるそうです。
目の当たりに地球の息づかいを体感するようでした。
一方で雲仙はキリシタン殉教という哀しい歴史も併せ持つ地です。
17世紀前半、キリシタン弾圧のため雲仙に連れて来られたキリシタンは棄教を強要され、地獄の熱湯につけては引き上げられるという拷問を繰り返されたそうです。
それでも棄教せず33名が殉教した、その碑も建てられていました。
島原城の資料室でもみましたが、これまで彼方にあった島原地方のキリシタンの歴史が近くに感じられた旅でした。
雲仙焼窯元の端然とした佇まい
パン屋さんのカフェでシンプルな器が展示してあったので、訊ねたら奥さんが「すぐ近くに窯元があるんですよ。ぜひ訪ねてください」と。
そこが「雲仙焼窯」でした。
入口もその周りも雨に濡れてしっとりとした風情。
入ったところがギャラリーになっていました。
雲仙焼は石川照さん、ハミさんご夫妻と息子の裕基さんの親子3人で作陶をなさり、雲仙中腹に登窯があるそうです。
ハミさんがお座敷にどうぞとすすめて下さったので、二間続きの部屋に展示されていたご夫妻の作品も拝見しました。
奥の座敷はお茶室になっています。
平成3年普賢岳から噴出した火山灰だけを使って油滴天目の焼成に成功。
えもいわれぬ美しい色合いです。
雲仙焼はもともと狭山から雲仙を訪れていた陶芸家が昭和10年、雲仙新湯に窯を開いたのが始まりで、ハミさんの父、石川靖峰さんが受け継いだのだとか。
ハミさんは父から学び、夫の照さんも靖峰さんに師事していたそうです。
焼しめの花入れにハミさんが「今、花を入れますから」とささっと庭のわれもこうなどを摘んできて、活けてくださったのがこれです。
急に訪ねていったのに、こんな心遣い。お人柄がわかるようでした。
親子三人それぞれ作風が異なる作品で素晴らしいです。
京都大徳寺で夫婦展を催されたり、個展も三人三窯展も行われています。
地獄を巡ってきた後、別世界をみたような心豊かなひとときでした。
出会いの想い出に小さなお皿を1枚求めました。
雲仙窯のすぐ近くにあった共同浴場「湯の里温泉」入口前を掃除中の方に訊ねると、
近くに住む人たちが利用するとか。住宅地にあって、入浴料金は200円。羨ましい限り。
泊まったホテルそばの昭和の風情漂う湯せんべいの製造販売店。焼きたての湯せんべいをいただきました。
さすがに雲仙のお湯はすべすべとして、白濁したいい温泉でした。
友と歩き、ホテルの美味しい食事を楽しみ、夜は語り通した想い出深い旅になりました。
台風のため飛行機が飛べるか?というスリリングな体験も加えて。
長崎空港は曇りでしたのに羽田は土砂降り、その夜は暴風雨。
台風を連れて帰京した次第です。
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