甚大な被害の爪痕を残した台風19号。
皆さまの街は大丈夫でしたか。
千曲川が氾濫し、泥水の中にリンゴがいくつも浮いている映像を見ました。
昨年も長野に行き、千曲川のほとりにリンゴ畑が続く風景が素晴らしかったのに無残です。
家が流され、車も、家財道具もひっくり返っている映像が東日本大震災と重なり、目を覆います。
福島の犠牲者が多いのが哀しいです。
失われたものの大きさは計り知れませんが、日常の暮らしが少しでも早く戻りますよう祈るばかりです。
こんな時に小さな旅のレポートを記すのは気が引けることですが、前回の続きですので書かせていただきますね。
近江商人の街を歩く・・・
私はローカル線に乗るのが好きで、今回は混雑する京都を避けて近江八幡まで行ってきました。
京都駅から40分足らず、駅前の人もまばらでほっとします。
私にとって初の滋賀県です。
落ち着いた街並み、バスを降りると聞かなくても道を教えてくれる親切な人々。
まず、近江八幡市立の資料館と旧西川家住宅(重要文化財)を訪ねました。
屋号を「大文字屋」と称する西川家は蚊帳や畳表などを扱って財をなし、この地を代表する近江商人だったそうです。
帳場や台所に当時の商家の暮らしが偲ばれます。
近江商人はここ八幡と近くの湖東(五個荘)、日野が発祥とされています。
中でも八幡商人は最も早くから活躍した人たちで、朱印船貿易商として今のベトナムやタイと交易していたとか。
江戸城が築かれる頃には中心地の日本橋通りで、八幡商人の大店が軒を連ねていたそうです。
高島屋も近江商人の流れを汲む企業です。
最初は天秤棒一本の行商からスタートし、革新的な商法と不屈の精神で日本全域に出店を広げていった人たち。
「三方よし」という言葉を聞きますが、これは近江商人が培ってきた商いの精神で、
「売り手によし」「買い手によし」そして「世間によし」が「三方よし」ということ。
「世間によし」は現代の企業のCSRにつながるような気がします。
この旧西川家住宅の見学者は私一人でした。
が、近江八幡観光の目玉、八幡堀にはそこそこの観光客で賑わっていました。
時代劇のロケにも出てくるという風景、風情があります。
豊臣秀次が八幡山城築城とともに八幡堀を掘削し、八幡を湖上交通の要衝にしたのだそうです。
八幡堀めぐりの舟もゆったりと進みます。
これ何だかわかりますか?
「かわらミュージアム」に続く瓦の道です。とてもモダンです。
入口には瓦を重ねたこんなオブジェがありました。
掘割が造られた後これを利用して、瓦の製造が栄えたそうです。
建物も周辺の景観と調和した、しっとりとした雰囲気でしたが、ここもこの時入場者は私一人の貸切でした。
かわらミュージアムから堀沿いの石畳に下りたところ。
一瞬、時が止まったような風景でした。
カフェで出会った地元愛のオーナー
八幡堀沿いにぶらぶら歩き、名物の赤こんにゃくやでっちようかんをおみやげに買いました。
次に池田町洋風住宅街に行きたかったのですが、歩き疲れて、お腹もすいて・・・
偶然入ったカフェYAMAYA。
ご夫婦二人で営んでいる地元のお店らしい。
ランチタイムを少し過ぎていたので、ここもお客は私一人でした。
近江牛のカレーが自慢のようですが、カレーは前々日に家で作ったので、牛丼を注文。
(食事メニューはカレー数種と牛丼だけだったのです)
写真を撮り忘れたとご主人に言ったら、壁に貼ってあったチラシを外し、くださったのです。
この牛丼が今まで食べた牛丼の中で最高でした。
脂身のない肉が柔らかく、また味付けがあっさりしているのにコクがあって。
ご主人にそういうと「近江牛だもの、うちはもと肉屋でね。コメも地元産の新米だよ」と。
この方がYAMAYAのご主人、生粋の近江八幡人です。
話によるとこのオーナーの先祖(といっても明治初期)の兄弟が近江牛を初めて浅草へ運び、
牛肉の販売と牛鍋店を始めたのだそうです。
その店「米久」は牛鍋を流行らせ、東京に26店舗も持つ屈指の豪商となった家系。
このオーナーさんも近江商人の末裔だったのです。
貴重な冊子を戴きました。
オーナーも言っていましたが、この冊子によると近江牛を陸送で17日位かけて東京へ運んだ時。
商いを終えて道中箱根の山中で、山賊から身包みはがされそうになった。
その時居合わせた、あの街道一の大親分、清水次郎長が助けてくれたとか。
その後は次郎長と義兄弟の盃を交わしたというエピソードが伝わっているそうです。
地元のことに詳しいオーナーは、乗ってきた近江鉄道バスは西武鉄道の傘下で、
創始者の堤康次郎氏も近江商人なのだと教えてくれました。
どうりで、ライオンズカラーのラインが入っていて、西武バスとそっくりでした。
いろいろな発見があって、地元の方の話が聞けてラッキーでした。
ビートルズ大好きなオーナーとの出会いに感謝!
美味しい牛丼、また食べに行きたい!
池田町洋風住宅街はすぐ近くとオーナーに聞き、言ってみました。
青い目の近江商人と言われた建築家ヴォーリズが大正時代に建てた洋館。
時代を経た赤レンガの塀が何ともいえない、イイ味を出していました。
持ち主が変わって、売りに出してもすぐ売れるのだと、YAMAYAさんが話していました。
バス停へ行く途中で出合った近江八幡小学校。
この街には丸い赤ポストが似合いますね。
このあと、「ラコリーナ」に向かったのですが、長くなりましたのでまた、次回に。
ここまで読んでくださってありがとうございました!